(7)イザナギとイザナミの別れ | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

伊弉諾尊(イザナギ)伊邪那美尊(イザナミ)による国産み、神産みによって、新たな太陽系での神々の社会が再開します。

 

古事記では神産みについて、あっさりひとまとめに簡潔に書かれていますが、実際には神産みが行われた期間は数億年以上に及ぶと考えられます。人間ではとても気が遠くなるような長い期間に行われたことが、さらりと書かれているのです。

 

この神産みに関して、古事記と先代旧事本紀では天照大神月読尊素戔嗚尊三貴士の誕生について大きく異なっています。

<WIKI:三貴士>

 

古事記では、イザナミが火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ、以下「カグツチ」)を産んだ際、陰部に火傷を負い、それが原因で亡くなってしまいます。亡くなった、イザナミは黄泉の世界に行ってしまうことが書かれています。

 

夫のイザナギは、死んで黄泉の国に行ってしまったイザナミ(の霊魂の姿)を追いかけて黄泉の国へ行き、イザナミと出会います。ところが、イザナミは、イザナギに「自分の姿を決して見ないで欲しい」という約束をします。

 

しかし、イザナギはその約束をすぐに破ってしまいます。醜く腐った変わり果てた姿を見られたイザナミは怒り心頭し、鬼女や雷神、鬼の軍団を送りイザナギを追いかけます。やっとの思いで黄泉の国を抜け地上に出たイザナギは、巨岩を黄泉比良坂に置いて道を塞ぎ、黄泉の世界との通路を閉じてしまいます。この時、イザナギとイザナミが完全に決裂します。

<WIKI:黄泉平坂>

 

この後、イザナギは黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊を行ないます。この時に、今度はイザナギから様々な神が生まれます。そして最後に、イザナギの左眼から天照大御神、右眼から月読尊、鼻から素戔嗚尊三貴士が生まれます。

 

 

ところが、先代旧事本紀では、イザナミが火傷して死ぬ前に、イザナミから天照大御神、月読命、素戔嗚尊がすでに生まれているのです。ここが古事記と大きく異なる点です。また、生まれた時期だけでなく、イザナギ-イザナミから生まれている点が違います。古事記ではイザナギから生まれています。

 

三貴士を生んだ後、イザナミはカグツチを生み、陰部に火傷を負って亡くなります。

 

ここから先は古事記と同様の内容で、イザナギは死んだイザナミを黄泉の国まで追いかけ、古事記と同様に約束を破ります。そして、鬼どもに追いかけられ、やっとの思いで黄泉平坂に戻り、黄泉の世界に通じた道を閉じます。

 

そして、イザナギは黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊を行ない、様々な神を生み、最後に、左眼から天照大御神右眼から月読尊鼻から素戔嗚尊の三貴士が生まれます。実は二度目の三貴士の誕生なのです。

 

つまり、先代旧事本紀では、イザナギの死の前後の二度に渡って、三貴士が誕生しているのです。一度目は死ぬ前のイザナミから、二度目は禊祓い後のイザナギからです。

 

ちなみに、日本書記では、本文ではなく一書(あるふみ)を使って、先代旧事本紀に近い内容が書かれています。

 

三貴士の二度の誕生は、何を意味しているのでしょうか?

 

最初の三貴士は、イザナギ-イザナミの子として誕生しています。

 

そして、二度目の三貴士は、イザナギの身体から誕生します。同じ三貴士でも誕生の仕方は大きく異なります。

 

このことは、イザナミの死によって、太陽系の構造が大きく変化したことを意味しているようです。

 

イザナミが亡くなる原因は、カグツチを産んだことですが、そもそもカグツチが火の神とは言え、産まれる際に母親のイザナミを傷つけるでしょうか?

 

ここに謎があるのです。

 

おそらく、この最初の神産みの時に、すでに太陽系には邪神が生じていて、イザナギがカグツチを産む際に、毒等の罠が邪神によって仕掛けられたのでしょう。邪神らは、新たに再出発した太陽系の世界を乱すために、イザナミが死に至るように罠を仕掛けたことが考えられます。

 

神であっても死はあります。死んでしまうと太陽系の星々と異なる世界である、黄泉の世界へ行くことに当時から決められていたのです。黄泉の世界とは、肉体ではなく霊魂主体の世界であり、半霊半物質で存在する場所のようです。そこでは肉体を持ってくらしていた生前の世界での神生を反省し、次の転生まで待機する場所だったのです。

 

しかしながら、黄泉の世界こそ、太陽系の星々に先立って邪神によって乗っ取られ、すでに統治を奪われていた世界だったのではないでしょうか。本来は魂の再出発を行う神聖な場所だったはずが、邪気が溜まりに溜まった大変波動が低い場所に堕ちてしまっていたのです。

 

黄泉の国の酷い有様を見てしまったイザナミは、霊体も腐った状態になってしまいます。その姿をイザナギに見せたくなく、黄泉の世界に留まることを決心したのが、古事記に書かれているイザナミの黄泉の国での様子だと考えられます。

 

ところが、記紀や先代旧事本紀に書かれている黄泉の国でのイザナミの行動は表向きの話で、実際にはイザナミは黄泉の国を正常に変えるために、黄泉の国の鬼どもを良い方向に統率していくために、悪の大将に成りきろうとしたのではないでしょうか

 

イザナミは黄泉津大神とされて、三重県熊野市の花窟神社ではカグツチとともに祀られています。最終的には黄泉の国のトップになったのです。

 

イザナミがイザナギを追い払った行為は、邪神に乗っ取られた黄泉の世界を救うためだったと考えられます。

 

ちなみに、この時の黄泉の国が今の地球に繋がっています。このことは次回にでもご紹介します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。