人が亡くなった時の埋葬方法は、世界中の地域で異なります。土葬、火葬の二つが代表的な埋葬方法で、他にも水葬などが行われる地域もあるようです。
埋葬方法の違いは、信仰する宗教によって異なり、ユダヤ教・イスラム教、キリスト教では、死者の復活が教義となっているため、肉体を焼却する火葬は否定され、土葬となっています。
また、儒教でも、肉体の棄損行為ととらえるため、火葬は否定されているようです。
一方で、ヒンズー教では、火葬は「遺骸を火によって速やかに毀損せしめることで、死んだ直後の霊魂による自らの肉体への未練を断ち切るとともに、立ち昇る煙とともに霊魂を天上界に送ることで成仏を促す行為」ととらえられています。
仏教では、儒教と同じように火葬を肉体の棄損行為ととらえていたため、土葬が中心だったようですが、中国の唐の中後期時代から火葬が行われるようになったようです。
日本では、縄文時代の遺跡から火葬骨が出土していることから太古の昔から火葬が行われていたようですが、その後の仏教伝来や儒教思想の普及、キリスト教伝来などにより、一部では土葬も行われてきました。一つの宗教で支配されない日本人らしいですが、現代の日本では火葬が一般的に行われています。
このように、二大埋葬方法である土葬と火葬については、宗教の教義によって分かれています。双方を行う側の主張もそれぞれ分からない訳ではありません。
日本やヒンズー教地域を除けば、火葬よりも土葬が多いようですが、中世以降は、他地域でもだんだん火葬が増えて来ているようです。その理由は、実は宇宙の法則の変化と関係していたのです。
宇宙を霊的に分類すると、天界、中有界、地界の3つに大きく分けられます。
佛や天津神がいる世界が天界、我々人間が存在する地球や地獄などの黄泉の国がある場所が地界で、その間に中有界が存在するようです。
死後は、生前の功徳によって天界(上の六道輪廻)に行くのか、地界の下部の界(畜生界、餓鬼界、地獄界:下の六道輪廻)へ行くのかに分かれます。これが六道輪廻です。
ところで、西洋のユダヤ教、キリスト教でも、仏教の霊的世界観に近い考え方があるようです。
14世紀前半に活躍したイタリアの詩人ダンテは、自身の霊的体験を元に叙事詩『神曲』を発表し、世界の文学界に大きな影響を与えました。
ダンテは神曲の中で、見た世界を大きく3つに分けて表現しています。
天国、煉獄、地獄の3つです。
ここでは神曲の内容を深く追求はしませんが、ダンテが定義する3つの世界は、次のように前述の霊的宇宙と対比されると私は考えています。
天国=天界
煉獄=中有界
地獄=地界(現界を除く畜生界、餓鬼界、地獄界の3つの界だが、広義には現界も地獄に含まれる)
ダンテの神曲を持ち出したはのは、良く分からなかった前述の中有界を定義するためです。
ダンテは、天国と地獄の間にある中有界を、煉獄(れんごく)と定義しているのです。煉獄の定義は次のとおりです。
「浄火」あるいは「浄罪」とも言う。永遠に罰を受けつづける救いようのない地獄の住人と異なり、煉獄においては、悔悟に達した者、悔悛の余地のある死者がここで罪を贖う。
「浄火」とは、炎によって死者の魂を浄化することです。つまり、煉獄の世界は、炎が至るところで燃え上がっており、死後、地獄に堕ちなかった魂で、かつ直接天国に行けない「徳が積めていない魂」は、一旦煉獄を通過し、炎によって魂の浄化(これを「浄火」と呼んでいる)を行った後でないと天国に行くことが出来ない、ということになるのです。
このように煉獄は、中途半端な魂を浄化し、天国へ導く中間的な場所なのです。この煉獄が、霊的世界の中有界なのです。
ところが、ある時期(かなり古い昔のようですが、現時点でいつの時代なのかはっきり分かっていません)から、何らかの事情で、この煉獄が機能しなくなり、「功徳を積んでいない魂」を浄火することが出来なくなったようなのです。
そのままでは、天国に行けない魂がどんどん中有界に滞り、六道輪廻が機能しなくなります。
従って、現界で死後肉体を火葬することで、煉獄の「浄火」を代替するようになった、というのが世界的に火葬が増えだしたきっかけなのです。奥が深いですね。
数年前、今上天皇・皇后が火葬復活を望まれたのは、このことに起因していると私は考えています。
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