<ヤフー地図:対馬>
対馬は長崎県に属していますが、距離的には長崎市より福岡市に近く、経済的には福岡県との関係がより深いです。
福岡空港からですと航空便でたった30分で到着します。長崎県出身の私自身も初めての訪問でした。
何故、対馬に行くことにしたのかと言いますと、重要な神社があることと、韓国と近く、最近多くの韓国人が訪れていると聞いていたのでその様子を見に行ったのです。
対馬空港に降り立ってすぐに感じたのは波動の高さです。空はやや青かったですが、波動は東京、大阪に比較すると数段高いと思っていた福岡市よりも、格段に高かったです。同じ長崎県の五島列島と遜色がない高さでした。
<世界を浄化する五島列島>
対馬は島の9割が森林で覆われており、開発地が少なく、人口密度が低いことが高波動を維持している最大の要因でしょう。人口が多くなると、当然人間にまとわりついている邪気の量も比例して多くなりますから波動が高いのは当然のことです。
世界最大級の都市圏である東京都市圏に住んでいると、花粉症になったりアトピーになったり、咳き込んだりする人が良く見受けられますが、その原因は邪気が多いからなのです。
そのような症状の人たちが、田舎暮らしに変えたとたん症状が回復するのは、波動が高くなるからなのです。都会であってっても、出来るだけ自然の緑が多い場所に住むことで少しでも波動は高くなり、体調も回復します。
対馬に到着して、まず、厳原(いずはら)八幡神社を訪れました。
<WIKI:三韓征伐>
厳原八幡神社の神功皇后像
三韓征伐とは、古代の倭国(日本)が、馬韓(後の百済)、辰韓(後の新羅)、弁韓(後の任那・加羅)の三国(三韓)に分離していた朝鮮半島(高句麗を除く)を、征伐したように伝えられていますが、これは熊襲による改竄です。
実際には、倭国と友好国だった三韓が、熊襲に侵略されかけたため、倭国がに助けに行ったのです。そして、神功皇后が平定します。三韓征伐ではなく熊襲征伐だったのです。
この時の倭国の拠点が対馬だったのです。
次に、対馬で最も有名な神社である和多都美(わたつみ)神社へ向かいました。
途中、対馬を上島、下島に分ける万関の瀬戸を通過しました。
<WIKI:万関の瀬戸>
対馬は、北側が上島、南側が下島にと呼ばれているので、二つの島だと思い込んでいたのですが、地理的には一つの島でした。上島、下島に分けている万関の瀬戸は、1900年に人工的に開削された運河なので、実際は一つの繋がった島だったのです。現在は、万関の瀬戸は橋で繋がっています。
橋の上から見た万関の瀬戸
万関の瀬戸を越え、ほどなくして和多都美神社に着きました。そこで驚いたのは観光客の多さでした。さらに、そのほとんどが韓国人観光客だったのです。観光バスを連ねてやって来ていました。100人を超える人出でした。
<WIKI:和多都見神社>
前述した厳原八幡神社には観光客は一人もいなかったので、和多都美神社の韓国人観光客には驚きました。
和多都美神社の海の鳥居
和多都美神社は対馬で最も人気のある観光スポットです。彦火々出見尊と豊玉姫命を祀り、境内の裏には豊玉姫命の陵墓もありました。人気スポットになっているのは、海の中に二つの鳥居が建っていて大変珍しく、美しい光景だからです。韓国人観光客が多いのもそのためです。
地元に人に聞いてみたところ、対馬を訪れる韓国人観光客は年間20万人に達するそうです。対馬の全人口が4万人程度ですから、その多さに驚きです。おそらく対馬を訪れる日本人観光客の10倍以上はいると思います。
対馬の中心街、厳原の町では、多くの韓国人で賑わっていました。韓国人と言っても、ほとんどは釜山からの船の直行便で来日していました。高速船なら釜山からは一時間程度しかかかりません。
しかし、世界的に有名な観光施設がない対馬を、これほど多くの韓国人が訪れる理由は何なのか、不思議です。
この後、対馬国一宮海神(かいじん)神社、元寇の襲来地小茂田浜神社等を巡り、対馬最北部へ向かいました。
対馬は国境の島ですから、隣の国韓国を見たいと思い、異国の見える丘展望所へ向かいました。ここから韓国までの直線距離は50キロありません。天気の良い日は韓国が綺麗に見えるそうです。
<ヤフー地図:異国の見える丘展望所>
薄っすら韓国が見えた
さらに最北端に足を伸ばしました。そこには美しい海が現れました。ここにも自転車に乗って観光している韓国人観光客がたくさんいました。
一泊し、翌日はリアス式海岸の湾となっている浅茅湾を烏帽子岳から見に行きました。
<WIKI:浅茅湾>
<ヤフー地図:浅茅湾>
烏帽子岳から臨む浅茅湾は最高です。ここが日本であることを忘れてしまうくらいの光景でした。
私はこの5年間で北海道、秋田、沖縄を除く全都府県、場所にすると2000カ所以上巡りましたが、その中でも最高級に位置する光景と波動でした。素晴らしい!
この場所にもたくさんの韓国人観光客が来ていました。日本人はいませんでした。
浅茅湾は、世界でも珍しいリアスシキ海岸に挟まれた湾ですから、魂の浄化システムで重要な役割があるのは間違いありません。黒潮は琉球列島付近で一部が対馬海流となって対馬方面へ向かい、日本海へ到達します。対馬海流と名前が付けられていますから、ここに対馬の役割が隠されていると思います。
ただし、今回対馬に行ってみて感じたのは、浄化システムの役割よりも韓国との関係でした。
何故、たくさんの韓国人が訪れるのか?
単純な日本観光なら福岡や東京に行けば楽しいはずです。日本人がほとんど訪れない対馬に、年間、人口の5倍の観光客が訪れるには何らかの理由があるはずです。
その理由は、歴史的な日本と朝鮮半島のつながりなのだと思われます。
太古、縄文時代以前のある時期まで、日本と朝鮮半島は陸地で繋がっていたのです。その頃の日本と朝鮮半島は民族的にも深い繋がりがあったはずです。その交流のルート上にあったのが対馬だったのです。
日本と朝鮮半島が分離して以降も、対馬は経由地として両者の交流があった場所だったのです。
その一端が、前述した厳原八幡神社に祀られている神功皇后(4世紀)であり、天智天皇の時代の白村江の戦い(663年)です。奈良時代以降は大陸からの渡来人も増えて行きます。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年~)時も対馬は拠点になっています。実は秀吉の朝鮮出兵の真の理由は、熊襲に侵略された明から李氏朝鮮を護るためだったのです。通説はそうなっていませんが。
江戸時代には、朝鮮通信使が対馬を経由して日本にやって来ていました。
近年、対馬にたくさんの韓国人観光客が訪れるようになったのは、このような両国の歴史的繋がりを現代の韓国人が霊的に感じているからではないでしょうか。
対馬に来たところで、奈良や京都のような日本文化を味わえる訳ではありませんし、東京や大阪のように大都会が味わえる訳でもありません。それなのにたくさんの人が訪れるようになっているのです。
その背後には、朝鮮半島の歴史の真実が隠されているからなのです。
現代では、日本と朝鮮半島は、政治的に故意に分断されています。ッ在日朝鮮人は差別されています。そして朝鮮半島は南北に分断された国家となり、北朝鮮は完全に熊襲の国となってしまっています。
何故そのようになったのか、今後少しづつご紹介していきます。世界的に重要な歴史が朝鮮半島から消されたのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。