前回記事<忠臣蔵の真実①> の続きです。
元禄赤穂事件が起きたのは1701年4月21日。討入りは1703年1月30日(新暦)。徳川幕府第5代将軍徳川綱吉の時代です。
綱吉と言えば、天下の悪法『生類憐みの令』を施行し、人より犬などの動物を大事にしたため、世の中が大混乱した時代です。犬をいじめでもしたら下手すれば首打ち。この時代の庶民の心境は大変なものだったでしょう。この悪法は将軍交替とともにすぐに廃止されます。
この生類憐みの令を発案したのは実は将軍綱吉ではなく、実権を握っていた実母の桂昌院(お玉)だったのです。玉の輿という言葉は、このお玉が由来と言われるほどの逸話も持つ女性です。
WIKIには意図的なのか、お玉について詳細が書かれていませんが、厳しい身分制度の江戸時代に、一介の八百屋の娘が、第3代将軍家光の側室となるという夢のような人生に転換したのが、お玉なのです。
その後、綱吉を生み、家光の死後、第4代将軍家綱も若くして亡くなり、本流でない綱吉に将軍の座が降ってきます。綱吉は将軍になるような器ではなく、すべてはお玉の言いなりだったようです。お玉は奥の院で実権を握り、将軍綱吉を操っていきます。その結果が、生類憐みの令になったのです。
このお玉こそが、浅野内匠頭が元禄赤穂事件を起こす原因を作った張本人だったのです。
その謎を紐解く書籍を、Tさんに紹介してもらいました。
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- 超脳霊視聴「忠臣蔵松の廊下」〈下〉/白石 秀行
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著者の白石氏は情報工学の技術士なのですが、今から50年前の1962年に自身が体験したことを本にまとめています。
その時の体験というのが、霊能者である当時70歳を超えていた老女、長谷川わかとの偶然の出会いなのです。
白石氏の前に現れた長谷川わかは、ひょんなことから浅野内匠頭、大石内蔵助、神功皇后との意識とチャネリングして、元禄赤穂事件の詳細を教えてくれたのです。その内容を2004年になってやっとまとめ、出版したものが前掲の上下巻の書籍です。
この本の中では、長谷川わかが、前出の三人の意識、及び自分の守護神とチャネリングしながら、赤穂事件の詳細について伝えていきます。また、白石氏の質問に対して、三人の意識が細かく答えてくれています。
霊能者やチャネリングというと大半は金星系で胡散くさいのですが、長谷川わかさんは本物です。私自身も彼女が本物か確認してみました。長谷川わかという女性は、実は前世が水戸黄門で有名な徳川光圀だったようです。黄門様のイメージのように忠臣蔵の真実を伝えるために霊能者として生まれ変わったようです。
また、浅野内匠頭、大石内蔵助の意識も、赤穂事件の真実を知ってもらいたいために、長谷川わかを通じて白石氏の前に出てきたようです。この上下巻にはその詳細が書かれています。久しぶりの面白い内容の本でした。
それで、問題の元禄赤穂事件の真相に入っていきます。
まず、刃傷に至る理由を浅野内匠頭が話しています。
~転載開始~
白石「何で、刃傷しちゃったのですか」
浅野(長谷川わかの霊視聴)「舌禍があり申した。女のことで、罠にかかり申した」
・・・・・・・・・
浅野「個人の婦人の邸宅で、庭でっていうのじゃなくて、家の中にいて、家の中から庭の桜をながめながら、接待をされて、話をしていたんです」(現在の半蔵門あたりらしい)
白石「桜は満開でしたか」
浅野「咲いていて、満開でござり申した」
・・・・・・・・・・
浅野「ときどき風が吹くのか、ひらひら、すこし散っており申した。とても、雰囲気のいい女性で、庭の花も綺麗だし、この女と話していて、とても快適でござった」
・・・・・・・・・・
浅野「男が五、六人隠れて申した。そういうことをぜんぜん知らないで、つい、うっかり話していたのでござる」
白石「何の話をしたんですか?」
浅野「・・・・公儀のやっている「犬の政治」を批判しちゃった」
浅野「・・・かなりのあいだしゃべったら、キチョーの影から、そいつらが出てきて、政道を批判した現行犯として取り押さえられたのでござる」
白石「その雰囲気のいい女は何て言っていましたか?」
浅野「影から五、六人出てきたら消え申した」
白石「盗聴ですね。どの位の時間、しゃべったんですか?」
浅野「小いっときでござる」(わかの霊感によれば2時間程度)
浅野「ふだん、そういう、人間のことより犬を上に置くという、無分別な狂った政治への不満を、ぎゅうぎゅうに心の中に抑え込んできたから、言い出したら、ついに、止まらなくなって、全部吐き出しだしちゃったんですって。女ひとりだって聞いていたから、まさか、そういうことはないと思って、安心してしゃべっちゃったのでござる」
浅野「・・・そこから籠へ乗せられて、それで、場所もずっと違う所へ連れていかれて、今度は、人が違うのが、頑強で屈強みたいのが八人いて、そこの部屋に夜中じゅう監禁みたいにされて、さっきの者たちが幕の後ろで聞き直したことを、これはどういう意味か? って、一つづつ、説明しろって言うのでござる。『将軍に言って、赤穂藩を潰す』って」
~転載終了~
浅野内匠頭は、当時、幕府より饗応役(きょうおうやく)という役職を任命されていたようです。饗応役とは、朝廷(天皇、上皇)から派遣されて江戸(幕府)に下向した使者を接待する役職だそうです。
<WIKI:饗応役>
赤穂事件の直前の1701年3月13日(新暦)に、浅野がその饗応役を務めることになっており、その直前の準備が終わり、ほっとしていた時に前述したように女性から花見に誘われたようです。
このとき、饗応役の上司だったのが吉良上野介だったようですが、このシーンには吉良は登場していません。これも罠の一環だったようです。吉良も罠を嵌める側にいたぐるだったのです。
「浅野内匠頭罠を嵌めなさい」と命令したのが、お玉だったのです。
何故、浅野が嵌められなければならなかったのでしょうか?
それはお玉には、とんでもない計画があったからなのです。その手先に浅野を使おうという魂胆だったようです。
~転載開始~
浅野「千代田城の大奥に、ダイギャクの謀反がござり申した。天皇にそむく大逆罪の陰謀があったのでござる」
白石「何天皇ですか?」
浅野「千代田城の大奥で、桂昌院(お玉)が東山天皇を殺して将軍綱吉を天皇の座につけようとする陰謀があったのでござる」
白石「その天皇殺しの計画の首謀者は、誰なんですか?」
浅野「この東山天皇殺しの陰謀の黒幕は、玉の輿に乗って大奥に入ったお玉でござる。玉の輿とはこの女の為にできたような言葉なので、ござる」
「前の将軍(家光)の未亡人、今の将軍綱吉の産みの母のお玉が、恐れず、天皇を殺そうとしていたのでござる」
・・・・・・
浅野「これは。もと赤穂藩主・浅野内匠、神かけて、真実の事でござり申す。そういう事さえなかったらならば、何もわざわざ、乱心と誤解されるような、複雑な刃傷をする必要はなく、この度の勅使ご馳走役の役目は、すべてうまくいって、平穏無事に終わるはずだったのでござる」
~転載終了~
お玉は、東山天皇を暗殺して、次期天皇に綱吉を据える計画を本気で考えていたようなのです。
そのためには、勤皇である赤穂藩の浅野内匠頭を罠に嵌め、暗殺計画に加担させることにより、東山天皇を安心させ、刺客が近づきやすくしようという魂胆だったのです。
「浅野が断れば討幕の罪を着せ、赤穂藩を潰せばいい。」
浅野内匠頭の心境を考えると不憫でたまりません。恐ろしやお玉。
話が飛びますが、朝廷、皇室の権威は、鎌倉時代に源頼朝が武家社会を確立させてからは、徐々に落ちていきます。鎌倉時代末期に後醍醐天皇が登場し、朝廷の権威を復活させようとしましたが、結局、失敗し、南北朝時代以降は朝廷の権威は落ちていく一方でした。徳川幕府の頃は、朝廷は形式的なトップ、名誉だけに堕ちていたのです。
一介の八百屋の娘からスターダムになったお玉の最後の願いは、息子の将軍綱吉を名実ともに日本のトップとするために、東山天皇を暗殺し綱吉を天皇に据えることだったのです。
ただ、この本には書かれていませんが、私は、これは単なるお玉の個人的な願いだけではなかったのではないかと思っています。背後に金星系がいたはずです。お玉は洗脳・憑依されていたのだと思います。このように継体天皇以降、ずっと朝廷(皇室)は狙われ続けてきたのです。明治天皇もそうですよね。
しかし、この東山天皇殺害、朝廷転覆事件は浅野内匠頭の刃傷事件によって未遂に終わってしまします。浅野内匠頭は朝廷転覆を身を持って防いだのです。
これが元禄赤穂事件の真実であり、その後の討ち入りに続いて行くことになります。忠臣蔵にはこのように深い謎が隠されていたのです。
少し長くなりましたので、予定を変更して続きは次回に書きます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。