出雲とスサノオ | 知っとうや(真実を求めて?!)

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神無月と言えば、旧暦10月。

全国の神が出雲大社に集結し、各地に神が居なくなる月ということですね。
逆に出雲大社では神あり月の儀式を行うようです。

それでは何故、出雲大社に集まるのでしょうか?

はっきりとした理由はないようです。
WIKIでは出雲大社がそのように広めたとなっています。

そんなことはないはずです。
出雲大社に神様が集まる理由があるはずです。

私は、たまたま20数年前の学生時代に出雲大社に行った事があります。
もちろん、その頃は神道の事など全く興味がなかった訳ですが、出雲大社が伊勢神宮と並び全国でもトップ級の神社ということはその頃知りました。

その後、数年前に、神道の仕組みを調べる機会があり、現在では伊勢神宮を頂点とする天津神(あまつかみ)系が正統(皇室の祖先)とされており、出雲大社を頂点とする国津神(くにつかみ)系は別格扱いされている事が分かりました。

<WIKI天津神・国津神>
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E3%83%BB%E5%9B%BD%E6%B4%A5%E7%A5%9E

何故、天津神系と国津神系と分かれているのか、その当時は深く考えていませんでしたが、ここに歴史の謎があるようです。

出雲大社の主祭神は、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)とされ、創建は神代とされており、いつなのかはっきりしませんが、相当古い事は確かです(私の推測では3500年前)。

オオクニヌシは、古事記や日本書紀によるとスサノオの子、もしくは子孫となっています。

オオクニヌシと言えば、有名なのは日本神話の因幡の白うさぎ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E

もう一つが国譲り
古来から出雲を治めていたオオクニヌシに対して、天津神(アマテラスの子孫)が「日本を統治するから出雲を譲りなさい」と命令し、オオクニヌシは快く国を譲ったとされる神話です。

因幡の白うさぎとともに、オオクニヌシを優しさと大きな心を持った神として称えているように思えます。
この国譲りの証として、オオクニヌシを主祭神として創建したのが出雲大社とされています。


しかし、これは古事記や日本書紀の創作のようです。

実際に出雲で活躍したのはオオクニヌシではなく、スサノオのようです。

まず、スサノオとオオクニヌシは同時期に実在したようです。
時代は3500年前。

スサノオは、出雲で生まれ育ち、治めていたようです。
ヤマタタノオロチ伝説は、オロチ族と呼ばれる蛮族との闘いを神話に伝説化したもののようです。

その後、助け出したクシナダと結婚し、日本統一を目指して全国各地を巡るようです。

一方、オオクニヌシは大陸から流れて来た人物のようです。
スサノオに助けられて、出雲で暮らしていたようです。
日本神話とは異なり、目立った活躍はしていないようです。

本来であれば出雲大社はスサノオを祀ったものです。
しかし、記紀ではオオクニヌシにすり変えられています。

これは、まさしく、隕石落下のどさくさに紛れて大陸から侵略した大和朝廷が、過去の歴史を消し去るために他ならないはずです。

スサノオを乱暴者扱いに格下げし、オオクニヌシを心優しい神に祀り上げる。
これは、オオクニヌシが大陸から来た、自分たち(大和朝廷)の祖先と同根だからと考えられます。

現在の出雲大社の本殿は高さ24メートル。
全国の神社の中で一番高いそうです。

しかし、平成12年に発見された古代出雲大社の境内の遺跡から推測される社殿の高さはなんと96メートル

途轍もなく壮大なものです。
これが3500年前に実在した出雲大社。
当時の出雲が日本で大きな勢力だった証です。

詳細は次の本にも書かれています。

まぼろしの出雲王国 まぼろしの出雲王国
(2010/03/13)
山崎 謙

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スサノオが本来の出雲の神であるだけでなく、現在の天津神系伊勢信仰をも否定するような壮大な歴史が出雲大社には隠されているようです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。