興国山大光院は、1603年(慶長8年)に松平忠吉(徳川家康の第四子)が清州に興国山清善寺として建立された曹洞宗の寺院で、1607年(慶長12年)に忠吉逝去の年に戒名の院号から大光院と改め、1610年(慶長15年)に清州越えにより現在地へ移転されました。
こちらの御朱印は烏瑟沙摩明王を祀っている明王殿。
烏瑟沙摩明王とは不浄を転じて、清浄にする徳を有すもので、不浄の処にこの明王を祀ります。
この神社は中京区にある神社です。
祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称されている。
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。
これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建された神社だそうです。
洛陽三十三観音霊場 第七番 長楽寺です。
延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、伝教大師を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建された。
当初は天台宗・比叡山延暦寺の別院として建てられたが、その後室町時代の初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が合併し今日に至っている。
「今昔物語」に一条天皇の朝(九六六即位)巨勢広高、本寺新堂の壁に、地獄変の名画を揮毫して名を得たのだそうです。
大悲殿とは人々の苦しみを救う観音様の大きな慈悲という意味だそうで、転じて観音さまを祀っているお堂のことも差すようになったようです。