人は知識を身に着けたいと思う。「わかりたい!」と願う![]()
日常生活の中で、早く「わかる存在」になろうと努力しています。
私たちが必死に何かを学び、わかろうとするのは、良い判断をするためです。
人はわかりたい、本当の正解などないとしても、正解の側に立ちたい。あいまいさから抜け出したいと思っています。
あいまいな世界は不安でその状態で居続けるのは勇気がいります![]()
ですので、正解主義をやめることはなかなかできません。
私たちは間違えている人がいたら、それを指摘するのが「親切」だと思っています。
でも、それは正解主義の中の親切のようです![]()
あいまいな世界の中にいたら、間違えていることは気にならない。そして、その間違いに本人は自分で気づく。そのときに本人が改めればいい。他者が関与する必要はない…と考えることです。
なんか冷たい人のように思いますが、「人は自分で気づいたことしか改めることはできないのではないか!」と思いました![]()
ふだん私たちは正解主義の中にいたいので、「すること」にとらわれています![]()
「何をするといいのか?」
「どうすればいいのか?」
そういうことをずっと考え続けていませんか![]()
「自分は何をしたいのか?」そんな自問自答を繰り返します。
「する」を積み重ねることで、夢を実現したいと考えるからです![]()
「する」には「する前」と「した後」があります。
始まりと終わりで区切ることができて、「したこと」を観察しやすいのです。「したこと」が正解だったのかどうか、判断することができます。
あいまいさを受け入れるとは、することに注目しないことです![]()
することは「いること」の結果でしかない。
「自分がどういるか」を観察して、「自分のあり方」について考えることです。
ワタシはカウンセリングにおいて、自分が相談者に何をしたらよいのかということばかり考えていました。つまり、「する」ことで相手に影響を与えようとしていることだったのですね![]()
しかし、相手に影響を与える何かをするということは、相手をそのままではいけない、「あなたは変化したほうがいい」と伝えることであり、相手を信頼していないということだったのです![]()
相手を信頼していたら、相手に何かをする必要はありません。何かをするときは、贈与として、相手がそのときには気づかない形でするのが、相手を信頼しながら、する行為だと気づきました![]()
相手のために、何かをするか、できるかではなく、
相手のためにどう「いる」か![]()
いることについて考えていると、「いる」の中には始まりも終わりもないと気づきます。「いる」状態があるだけです。
正解主義の中にいると、過去と未来にこだわります。
それを手放し、あいまいさを受け入れると今だけになります。
すると、自然に今に集中することができるようになります。
「あいまいな思考法」は気づき、新たな問いの入り口となる
●「あいまい、わからないことを受け入れること」
正解を思い求めるのをやめる。わからないに向き合い続ける
●「目的を手放すこと」
わからないに向き合うとは、目的を手放すこと。目的があると、目的が正解になる。わからないへの向き合い方だけに集中する。
●「いること」
●「今に集中すること」
あいまいさを受け入れるとは、わかりあえない状態を放置することではありません。
わかり合おうと常に試み続け、その中であいまいさを受け入れることです![]()
ワタシはすぐに正解主義になって、自分を追い込んでいた感じもしたので、2024年は「あいまいな思考法」を実験的に試みてみようかと思いました。
そして、「すること」から「いること」に軸足を置いてみようかと思いました![]()