「風をとおすレッスン」(著者:田中 真知氏)の本からのメッセージを紹介します。
「私」とは、例えていえば船のようなものです。船には航海士、機関士、通信士など多くの乗組員がいてそれぞれの持ち場や役割がある。
様々な乗組員をまとめあげ、船を安全に目的地へみちびくのが船長。「私」という船にはサブパーソナリティという様々な乗組員が乗っていて、協力しながら「私」を動かしている。
本物の船と違うのは、船長が初めからはっきりと存在しているわけではないこと。そして、いわば密航者のように自分でも気づいていないサブパーソナリティが潜んでいる可能性がある、ということ
「私」という船の船長、それはアサジオリのいう「セルフ(自己)」にあたる。
※サイコシンセシス(統合心理学)は、イタリアの精神科医であるRoberto Assagioli(ロベルト・アサジオリ)によって20世紀の始めに創られたもの
セルフは様々なサブパーソナリティとのかかわりの中で少しずつ育っていく。同じようにサブパーソナリティも、他のサブパーソナリティやセルフとのかかわりの中で変化し、成長していく。
セルフの役割は、サブパーソナリティを思い通りにコントロールすることではない。そうではなく、相互に矛盾することもある彼らの言い分に耳を傾け、それぞれに居場所を与えること。
どのサブパーソナリティも、元をたどれば縁があって私が人生の中で出会い、自分の内面に取り込んできた他者にほかならない。
どのパーソナリティも、「私」そのもではないけれど、どれも「私」を作り上げている大切な一部である。
その意味で「私」は孤独な存在ではない。たとえ無人島にたったひとりでいたとしても、「私」の中で様々な声がツイッターのように、たえずつぶやかれている。
それらを「私」主語とする一人称の声として聴くのではなく、「私」の中にすみこんでいる他者の声として聴いてみる。
すると「私」と自分自身の思考や感情とのあいだに隙間が生まれる。怒りがこみあげても、怒りと自分が一体化してしまうのではなく、怒りと自分のあいだに隙間が生ずる
「私は怒っている」ではなく、「怒っているのは誰だろう?」と感じることができる。そのとき、サブパーソナリティとのあいだに対話がはじまる。
結論は出なくても、いや、あえて結論に向かわないことで、自分の中の複数の声を深く聴きとることができる。すると、隙間に風がとおるように緊張がほぐれる
この最近、イライラすることが多くて滅入っていました。
ワタシの中にいる様々なサブパーソナリティの声をじっくりと傾聴しようと思いました。
「きみはどう思う」と二人称で呼びかけ合う
一人称で考えるよりも、心の中で対話的に考えるほうが発想が柔軟になる。人称が変化するだけで、世界の見え方は変わるように感じました