感情とは単に、私たちの内面に気まぐれに生まれてくるようなものではない。外界の様々な事物や人物や状況が私たちの心に働きかけることによって、一定の論理に従って生まれてくるものだということを教えてくれた本「世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義」(山本 芳久著)をご紹介しますキラキラ

 

 自分がどのような状況に囲まれているのかをありのままに認識し、一つ一つの状況に対して適切に対応することができるようになります。

 

 感情がせっかく伝えてくれているメッセージを正確に解読することができないと、私たちは不正確な状況認識を持つことになります。そして状況認識が不正確だと、それぞれの状況に対して適切に対応することができなくなってしまう。そうなると、困難な状況を打開することも滅多にない好機を生かすことも難しくなってしまうでしょうショボーン

 

★感情には論理がある

 この本ではトマス・アクィナスが「希望」の論理学で述べている、人間の感情についてどのように理解しているかを、特に紹介したいと思いました。ワタシ自身の感情の持ち方に大きな変化が生まれたからです。

 

 トマスの感情論の特徴は「感情には明確な論理がある」。感情には明確な構造と論理を見出しているところです。「希望」についてトマスが解説している所を見ていきましょうキラキラ

 

①希望」の対象の第一条件……善であること

・善は次の3つに分類されます。

①道徳的善 ②快楽的善(喜びを与える) ③有用的善(役に立つ)

日常生活において「道徳的善」という意味で「よい」という言葉を使う場面が実はさほど多くないのです。

「よいレストラン」という言い方は味がよく、店の雰囲気もよく接客もいい感じで、全体的に「喜び」を与えてくれる「快楽的善の側面が強いです。

 

 また、「お金はよいものだ」と言うときには「有用的善」の側面が強いですね。つまり、私たちが「よい」という言葉を使うさいに、実は「道徳的によい」という意味で使っているケースはさほど多くないのですびっくり

 

★「希望」と「恐れ」の区別

この「善であること」という第一条件によって、「希望」という感情は「恐れ」という感情と区別される。「恐れ」とは「悪」を恐れているのです。「悪」とは道徳的に悪いことのみでなく、反価値、価値を破壊するもの全般を意味します。

 

②「希望」の対象の第二条件……未来のものであること

何かが「希望」の対象となるための第二条件は「未来のものであること」です。まだ手に入っていないもの、これから手に入れようと思っているものだからこそ、「希望」の対象になるという意味です。

 

★「希望」と「喜び」の区別

私たちが喜ぶのはすでに「善」を手に入れたからですね。つまり「現在の善」が「喜び」という感情の対象になります。「希望」と「喜び」という二つの感情が未来に関わるか、現在に関わるかという時間軸を導入することで区別できます。

 

③「希望」の対象の第三条件……獲得困難なものであること

困難に直面したときに、出てきたり出て来なかったりすることが初めて問題になるのが「希望」という心の動きなんです。

 

例えば、学生さんが「先生と面談が終わったら、夕食をとることを希望します」という言い方をしたら、おおげさなものの言い方と違和感を感じませんか?食べたければ好きなように食べればいいのにと思うわけです。「先生と面談が終わったら、夕食をとろうと思っています」というのが自然な言い方のように思います。

 

★「希望」と「欲望」の区別

「欲望」と区別されますが、だからと言って「欲望」の対象が「容易に獲得できるもの」となるわけではないということです。「欲望」という心の動きはその対象が獲得困難であろうがなかろうが、そんなことは無関係に発動するものなのです。

 

「欲望」が「希望」と呼べるようになるには、例えば、小学生の頃、「友人と同じ大学に行きたい」という欲望を持っていたが、高校生になり模試を受けたりして合格することの困難さに気づくことが必要です。

獲得困難こと」に直面すると、そこで出てくる可能性があるのが「希望」という感情なんです。

 

★「主観性」を論理で捉える

「欲望」を抱くというのは人間にとって自然な心の動きの一つです。人間の自然な心の動きを認め、的確に捉えたうえで、それをさらによい方向へ導いていこうとするのがトマスの根本精神です。

 

トマスの感情論を理解するさいに大切なのは、「困難」だとか、「魅力的」だとかということを感受するのは本人の受け止め方が重要だという点です。

「主観的」な受け止め方も含めて、感情全体を論理的に捉え直そうとするところに、トマスの「感情の論理学」の凄みがあります。

 

④希望の対象の第四条件……獲得可能なものであること

あまりに困難すぎて獲得することが完全に不可能だと思ってしまったら、当然ながら「希望」という感情は生まれてこないです。

傍からはいくら非現実的に見えても、本人の主観においては「獲得可能」だからこそ、「希望」を抱いています。たとえ心の隅っこであってもそれが「獲得可能」だと思っているからです。

 

◆◆希望とはキラキラ

第一条件から第四条件まですべてを合わせると、「獲得困難だけれども、獲得可能な未来善に関わる感情」ということになります。

 

★「希望」と「絶望」の区別

「希望」と「絶望」の差が、「獲得困難だけれども獲得可能な未来善」か「獲得困難で獲得不可能な未来善」かという紙一重の差に過ぎない事実はあります。しかし、「希望」も「絶望」も「善」を対象としている点では変わりないということです。つまり、「絶望」の対象は「悪」ではないのです。

 

★「絶望」と「恐れ」の区別

「絶望」の対象が「悪」ではなく「善」であるということの意味は、第一条件で「希望」と区別された「恐れ」と比較するとわかりやすくなります。

「恐れ」の対象は「差し迫った未来の困難な悪」です。

単なる「未来の悪」ではなく、「差し迫った未来の悪」こそが「恐れ」という感情を呼び起こすのです。

 

よく「震災による大混乱のなかで、恐れと絶望の一夜を過ごした」というように、「恐れ」と「絶望」を一緒くたにして語ります。「恐れ」も「絶望」も私たちがあまり抱きたくないネガティブな感情として、同列に語られることが多いです。

 

しかし、トマスの感情論を手がかりにすると、「恐れ」と「絶望」は対象を異にした根本的に異なる感情だということがわかってきます。

 

・「恐れ」について言えば…

また大きな余震が来るのではないかという「差し迫った未来の困難な悪」を自分は恐れているのだと気づくことができます。

 

・「絶望」について言えば

不況という困難の中でなんとか立て直そうとしていた事業の再建が、震災によって不可能になってしまった。つまり「事業再建」という「未来の善」がもはや達成不可能だと思い、それに自分が絶望していることに気づくことができます。

 

キラキラこのように「感情の論理学」を踏まえたうえで、自らの感情を振り返ってみると、何がそうした感情を呼び起こしているのかということにあらためて気づくことができるようになりますOK

 

絡み合って混乱しがちな自らの感情を、うまく腑分けして整理するための手がかりを与えてくれます。

 

◆「震災による大混乱のなかで、恐れと絶望の日々を過ごしている」という漠然とした仕方で事態を捉えている人ガーンも……

「恐れ」は「差し迫った未来の困難な悪」を対象とし、

「絶望」は「未来の困難な善」を対象としているというように区別して捉え直すことによって、かき乱されている心が少し整理されてくるのではないでしょうかはてなマーク

 

◆私たちは「感情」と「理性」を対立させて考えがちです。一つ一つの「感情」を丁寧に理性的に分析するという仕方で、「感情」を大切にすることと「理性」を大切にすることが、ひとつながりになってきます。

 

キラキラ「希望」という心の動きと「絶望」という心の動きはこんなに近いのかびっくり

「絶望」という感情と「恐れ」という感情はこれほどまでに異なる感情だったのかびっくり

ということに「気づくこと」がとても大切だと思いましたお願い

 

「気づき」を積み重ねていくなかで、自分で新たな「気づき」を得られるような「洞察力」が少しずつ身につけていきたいと思いますクローバー