ものごとはそう簡単に決着がついたり結論が出たりすることはあまりありません。
いくら努力したりアプローチを繰り返しても、機が熟さなければどうにもならないことのほうがむしろ多いです。
そのようなことに、いつまでも未練がましく粘着していても決して能率的ではないと考えてしまいますよね。
とりあえず保留(ペンディング)として脇に置き、アタマの片隅に留めておきつつ他のことに集中します![]()
そうするうちに、ひょっとした弾みに様々なことが有機的につながったり作用したりヒントになったりして、複数の問題が一挙に解決したり新しい視点が見えたりきたりすることもあります。
あるいは思ってもみなかったことが起きる。そんなことがあるからこそ、私たちは世の中が一見単純に思えても意外に奥が深いと感じたり、生きていく面白さを味わったりするのではないでしょうか。
中途半端な状態や未解決のもどかしさに苛立つことなく、逆にそれを可能性と豊かさと捉えられるような弾力的な精神が必要だと思いました。これは「必要に応じて受け流す能力」にも通じていますね。
そのまま受け流して忘れてしまったほうがいいものもあれば、どっしりと構えて保留の項目へ分類しておいたほうがいいものもあるし、すぐに何らかのリアクションや対処が必要なものもあります。
そうしたことを選別し実行する能力があって、初めて「豊かで安定していて創造的な心」が出来上がるのでしょうか。
保留できる能力は「中腰の状態で事態の展開や解決を時間に託す」ということです。時間に託すというと、つまり「放置しておく」ことと変わりがないように思えます。
確かに放置というと無責任とか、消極的、受動的なものとネガティブなイメージがありますね。
でも、「保留」はもっと積極的な意味があります。差し当たって行えること、詰めるべきことは済ませた上で「人事を尽くして天命を待つ」
と自覚しつつ時間に託すのです。
★「心の底から強く願えば、その願いはきっと叶う。ただし、実現するのは、自分が望んだタイミングとは限らない」という言葉……
ワタシは「ほんとにそうだな!」と思いました。
振り返ってみると、自分の願いは結構な確率で実現しているかもしれません。ならば、もっと幸福感や達成感を覚えているかといえば、それほどないです![]()
というのも、願いが実を結んでも「えっ、今さら」といった感じで、あまり有難味がないことが多いからでしょうか![]()
それなりに実現したとしても、全体としてどこかしょぼくれていたりします。すっかり香りの抜けた松茸のような気がします。散々待った挙句がこの有り様と言いたくなることがあります![]()
「待つ」ことには豊かさや予想外の可能性が潜在していて、偶然性や関係性にアクセスするための積極的方法ともなり得ます。そのようにプラス要素もありますが、一方で待っている間に旬を過ぎてしまうような事態があります。そうしたマイナス面が真っ先に私たちの脳裏に浮かぶから、「待つ」ことができなくなってしまうのですね![]()
ごく一部の幸運な人だけが、自分の望んだ通りのタイミングで願いが叶うのでしょうか。それ以外の人たちは気の抜けた炭酸水みたいなもので我慢するしかないのでしょうか?
でも、どうにか願いが叶ったことを天に感謝した方がきっといいと思いました![]()
これが生きていく上で「謙虚な態度」になるのでしょうか。この謙虚さはつまり「生活の知恵」であり、そうしたほうがストレスが少ない人生を送れることなんだと思います![]()