怒りは二つの段階を経て生み出されます。

 

 ストレスが作り出す刺激を主観的に感じるところから始まります。ストレスを感じている人は、この不快な感覚を弱めるか遮断したくなります。

 

 こうしてストレスの自覚から対処法の決断に至るまでが怒りを生み出す一つ目のステップです。対処法はさまざまなのに苦痛を遮断し放出する手段として、怒りを選ぶことがとても多いです。

 

 しかし、ストレスだけでは怒りは生まれません。

 

 ストレスを敵意ある情動に転換させるには、「引き金思考」(怒りを引き起こす考え)という心理的な着火石が必要です。

 

 「あなたが悪い」「すべき思考」という引き金思考に気持ちが集中していくときが、怒りを生み出す二つ目のステップです。

 

①「あなたが悪い」:相手の間違ったふるまいによって、私はあなたに意図的に傷つけられたというのがポイントです。

 

②「すべき思考」:相手は正しい行動のしかたを知っているか、知らなければならないのに、愚かなので、または自分勝手なので、道理にかなったふるまいの規則を破ったという考え方です。

 

 つまり、どちらの「引き金思考」も私のその中心的信念は、相手が悪く間違っており罰せられて当然だという認識を持っています。

 

 「ストレス(不快な刺激)+「引き金思考=怒り」

ストレスと引き金思考の要素が両方ともなければ、怒りを感じることはできません。

 

 引き金思考だけでストレス誘発要因がなければ、感情を伴わない決めつけが生まれます。

 

 一方、ストレス誘発要因だけで引き金思考がなければ、慢性的な苦痛を感じ、いずれはストレスを軽減する別の方法を選択するようになるでしょう。

 

 怒りのサイクルの始まり方は二通りです。


 一つはストレスが「引き金思考」を生み、それが怒りを生み、さらに多くの引き金思考が生じ、より強い怒りが生まれというふうに続いていきます。

 

 考えることと怒りの感情はフイードバックのループとなり、際限なく怒りが継続します。

 

 このフイードバックのループによって、怒りは何時間も、

ときには何日間もゆるみなく燃え続けることができます。

 

 もう一つは「引き金思考」がストレス反応を作り出し、それが怒りを焚きつけます。

 

 「引き金思考」のいくつかは、たいへん刺激的なので、それ自体でストレス誘発要因を作り出すことがあります。

 

 「引き金思考」によって多くの怒りが生まれ、その怒りがより多くの「引き金思考」を誘発し、より多くの怒りが続いていくわけです。

 

 引き金思考と怒りの間に、苦痛(喪失感、絶望、恐怖、欲求不満、傷ついた等)を感じる瞬間が必ずあります。

 

 その苦痛を誰か他の人のせいであると認識してしまうために、怒りがすばやく着火されフイードバックのループが確立するのです。

 

(1)怒りが2段階プロセスを持つ意味とは

 

◆怒りは本来的に正しいことや正当なことは何もない

 

 怒りを感じているとき、実は私たちは苦痛を感じており、それについて何かをしようとしているだけなのです。

 

 怒りを生み出す私たちが使う「引き金思考」は違っているかもしれません。もしかしたら、私たちの怒りには正当な根拠は全くないかもしれません。

 

 怒っている私たちが本当にしたいことは、ストレスから来る刺激を軽減するか、放出することなのです。

 

 私たちが使う「引き金思考」は恣意的な、自分を欺くものかもしれないのに、その場でそう感じられないのは苦痛を放出したいと思ったり、遮断したいと思っているからです。

 

 「感情には正当性があるのだから、怒りを表出すべきだ」という主張があります。

 

 「苦痛」は大切で、苦痛の表出も大切ですが、怒りはたいていの場合は破壊的です。

 

 表出させる必要があるのは怒りではなく、怒りの下に隠れている苦痛(ストレス)です。

 

 怒りではなく、人間らしい苦しみこそを認め、検討しなければなりません。

 

◆「怒りのダム」は存在しない

 

 「怒り=ガス抜き」説は私たちの内部には大きなダムがあり、貯水池いっぱいの怒りと怒りの衝動を抑えていると言います。

 

 この「怒りのダム」理論は、表出されなかった怒りの感覚はどんどん積もっていき、最後は壁を壊して落ち着き払った仮面を木っ端みじんにするのだと言います。

 

 しかし、積もっていくのは怒りではなく、ストレスなのです。

 

 救済策がなくストレスが続く限り、私たちは緊張と刺激を感じ続けストレスが大きくなります。

 

 怒りは使うことのできる数多いストレス対処法の一つにすぎません。怒りを表出しなかったからといって、より多くの怒りが積み上げられることはありません。

 

 また、ストレスを高めることもありません。怒りを表出しないことを選べば、単にストレスを減らす他の方法を見つけるまで、ストレスが同じレベルで継続するだけのことです。

 

◆「置き換え理論」は的はずれ

 

「置き換え理論」とは、ある標的に対する怒りが、別のそれほど脅威でない標的に向けられることがあるというものです。(上司に大声を出せないから、家に帰って妻に怒鳴り散らす。家族や親しい人に八つ当たりするなど)。

 

 そして、適切な標的に向けられた怒りは「健康的な怒り」だと考えます。

 

 しかし、怒りの2段階モデルを理解すれば、置き換え理論は的外れだとわかります。

 

 怒りはストレスへの反応でその機能はストレスの放出または遮断です。怒りは一時的に緊張を和らげることしかできません。

 

 適切な人に向かってぶちまけようが、より脅威の少ない対象に置き換えようが、その下にあるストレスは建設的なやり方で処理されていません。

 

 つまり、「私は正しい相手に怒ったのか?」と尋ねるのではなく、「私は解決に向かうやり方で苦痛を表出したか?」と自分に尋ねることが重要です

 

◆私たちは「怒り」を選んでいる

 

 私たちは実は、怒りを感じることを選んできたのです。怒りとは何年にもわたる条件づけに基づいて、ほとんど無意識のうちにストレスへの対処法として私たちが選んできた習慣だったといえます。

 

 自分はストレスに対処しようとして引き金思考を選んでいるのだと気づくことは簡単ではありません。

 

 でも、自分自身の怒りのプロセスを学び、自分の怒りがどのように働いているのかを深く理解すれば、それは可能だと思いますよ三毛猫

 

【参考文献】

マシュー・マッケイ+ピーター・D・ロジャーズ(2013)「怒りのセルフコントロール」明石書店

安藤俊介(2018)「アンガーマネジメント実践講座」PHPビジネス新書