ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)とは「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。

 

 問題を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのが、ネガティブ・ケイパビリティだとしても実践するのは容易ではありません。

 

 ヒトの脳には「分かろう」とする生物としての方向性が備わっているからです。さまざまな社会的状況や自然現象、病気や苦悩に、私たちがいろいろな意味づけをして、「理解」し、「分かった」つもりになろうとするからです。

 

 目の前にわけのわからないもの、不可思議なもの、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着きません。そうした困惑状態を回避しようとして、脳は当面している事象に、とりあわえず意味づけをし、なんとか「分かろう」とします。

 

 世の中でノウハウもの、ハウツーものが歓迎されるのは、そのためです。「分かる」ための究極の形がマニュアル化ですね。マニュアルがあれば、その場に展開する事象は「分かったもの」として片づけられ、対処法も定まります。

 

 ヒトの脳が悩まなくてすむように、マニュアルは考案されているといえます。

 

 ところが、ここに大きな落とし穴があります。「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないのです。まして理解が誤っていれば、悲劇はさらに深刻になります。

 

 私たちは「能力」といえば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。ネガティブ・ケイパビリティはその裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。

 

 私たちがいつも必死に求めているのは、ポジティブ・ケイパビリティです。この能力では、表層の「問題」のみをとらえて、深層にある本当の問題は浮上せず、取り逃がしてしまいます。

 

 その問題の解決法や処理法がないような状況に立ち至ると、逃げ出すしかありません。私たちはわけの分からないことや、手の下しようがない状況は不快です。早々に解答をひねり出すか、幕をおろしたくなります。

 

 私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、分かりやすかったり、処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。

 

 だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくると思いました。私はこの能力を知って、問題を抱えて苦悩されている方とお話をお聴きする度に、その方の「ふんばる力」「底力」に共感しています赤薔薇