学校とうまくやっていく方法って③ | 凸凹ママの日常~我が子たちと描く凸凹な世界

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発達障害と不登校。それに向き合ってきた私と子どもたちの凸凹な世界を描き続ける、直感表現アーティストである私のブログです

こんにちは。

 

勇気づけアーティストのやつゆきです。

 

ここ数日学校と上手にやっていく方法ってシリーズを綴っています。

・学校と上手にやっていく方法って①

 

そして、前回がその②の記事。

今回は3回目の記事です。

※もう数年前の話で過去の話として書いているのでご理解ください。

 

 

あれからすこし年月は過ぎて

長男高学年のなかまいりをした年に、

 

 

本格的に学校を休むかどうかを考えなければならなくなりました。

 

 

登校渋りも数年間続けば、何にもきっかけがなかったとしても、フェードアウトのように休みがちになる。

 

支援級の希望を出したけれど間に合わず、今年度は普通学級で過ごさざるを得なかったこの年。

 

プツンと休んでも良いかなと親子で思うようになりました。

 

 

並行して始まった次男の腹痛を伴う登校しぶり。

 

 

我が子が2人とも登校を渋るというのは、親としてとてもしんどかった。

 

 

2人のスケジュールに合わせて送迎をするという事が、

思ってなくても、潜在的に精神的に負担になり始めたこの時期。

 

 

引きずってでも連れて行くか。

もう休ませるか。

 

 

この2択しか心で考える選択肢がないほど、余裕のない時でもありました。

 

 

私の「もう学校へはしばらく行きません」という連絡さえすれば、

ずーっと学校行かないかなってところまで思いました

 

 

 

でも、一方で、こんな思いも。

 

 

“学校へ行かなくなることで、当時仕事もしていない私が子どもと共に、孤独になるんじゃないか”

 

と思いました

 

 

地域社会でひっそりと学校も行かずに親子が棲んでいる・・・

 

 

私は

“それは嫌だな”

と思ったんです。

 

 

無職で家で不登校の子どもを抱えて、学校とも縁が切れたら地域社会で孤独になってしまうのではないかと不安に思いました。

 

親としての私の心配が、

不登校になって一番心配な事が親子で孤立するかも、

と言う不安だなんて・・・・

 

 

それって親の自己中じゃん、と今は思いますが

 

この時は本気で不安に思ってました。

 

ちなみに・・・・

うちの地域は都会のようにフリースクールはありません。。。

 

障がい福祉で日中一時支援と言うのがありますが、

次男の居場所として問い合わせると、

学校を休めば、タイムケアで子どもが来るまで利用可能。

※あくまで私の時は、私の場合は、です。

 

そんなぁ~~~

その日は学校を休むってことなんてその日にならないとわからないし・・・

 

 

うちの子どもたちはその時低学年ではなかったですが、

小学校1,2年生で登校しぶりになると、うちの市では

預け先がない

親は仕事を辞めないといけないかもしれない。滝汗滝汗滝汗

 

 

学校以外にどこと繋がればいいのか、ほとんど情報を持っていませんでした。

 

 

実家がない。

単身赴任で夫が不在。

 

当時は

今が崖っぷち???

と思ってました。
↑その時に情報を持っていない私の狭い視野での想いです

 

 

やっぱり

私のためにも、学校と疎遠になるなんて出来ない。

学校と繋がっているという事が必要だと。

 

 

私は我が子を説得して学校へ行かせました。

「親子で登校し、隣の部屋で私が待機するから、」と。

小学校高学年でしたが、親が近くにいると安心するんでしょうか。

長男は同意してくれました。

 

ここまで綴ると、いかに私がウザい親か、思う人は思うかもしれません。

でも当時の精神状況で考える精一杯の私の選択だったんです

 

 毎日学校へ送迎して学校の雰囲気はかんじていましたが、

空き教室で待機という、子どもの戦場である学校に子どもと一緒に居ることを選びました。

 

その時に空き教室で読んだのが、

嫌われる勇気

 

 

 

学校へ行きづらい我が子。

それなら、しんどいと思っている子どもが、

じゃあどんなふうに過ごしているのか、

どんな話をしているのか?
授業の雰囲気はどんな感じか?
休憩時間にトラブルが起こってないか?

母親として共感してやりたい。

そう思って学校で過ごしました。

 

 

そこから見えたこと、感じたこと。

特定の人物にいじめられたとかがなければ、

そういうことが無ければ、

学校というのは

良いも悪いもない。

この空気に馴染めたら行けるじゃろうけど、

行けないからと言って学校も本人も非が無いことなんじゃなぁ

 

ただただ学校が本人がすんなり行ける(と思う)環境じゃない

本人が行けないと思ってしまう。

それが何を改善したら良いのか?というわけじゃなくて。

ただ何となく行けない

問題点、改善点が見えない。

ただ行きにくいという本人と、

来れない、行きにくいのはなんでかなと思う大人がいる。

この、学校の雰囲気を感じて分かるけど

一方的に学校ばかりを責められない

かといって、本人も非があるわけじゃない

 

親として学校へ行って思ったのは、

そういうモヤ―ッとした思い。

感じたのは、なんかボタンの掛け違えがあるかのような、雰囲気。

学校も悪いところじゃない、多分行ける子にとってはとっても楽しそう。

 

この、学校に付き添うっていうのは、

長男の支援級への転籍に見通しがついて、支援級へのお試しが始まったころに一区切りして終わりました。

 

最高学年になっての支援級への転籍と、

私が仕事をはじめたこと。

 

小学校最後の一年は、小学校生活の中で久しぶりの居心地いいものだったんじゃないかと思います。

 

で、思ったこと。

 

不登校だから送迎が必要だったり、付き添いが必要だったりして大変だけど、

だからこそ感じる学校の雰囲気ってある。

 

学校の雰囲気を感じたうえで行動することもある意味大事

 

それが良くても悪くても、

ワクワクしててもモヤ―ッとしてても

学校の雰囲気や子どもの学校での姿を知っておくこと

 

そして我が家の門戸は開けておく

どんな経緯があれ、我が家の窓口は母親である私。

門戸を固く閉ざしたいと思う事もあるけれど、

こちらからぴしゃりと閉めないように、(せめてすこーしは開けておくように)

門戸は広げておこうと思う

 

 

今日もありがとうございます✨✨