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美由樹@アファメーション研究中

アファメーション研究中です。気の向くままに書いています。

私は盛田氏と同期の野村弘樹氏のファンということもあり、盛田氏のことは印象に残っています。
ブログを見ると入退院を繰り返していた様子が伺えます。やはり脳腫瘍の再発だったようですね。
こんなに早く逝ってしまわれて、残念でなりません。心よりお悔み申し上げます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151016-00000133-sph-base

脳腫瘍乗り越えた「奇跡のリリーバー」盛田幸妃氏死去
スポーツ報知 10月16日(金)20時25分配信

 プロ野球の大洋(横浜、現DeNA)、近鉄で主にセットアッパーとして活躍し、脳腫瘍からの復活で「奇跡のリリーバー」と呼ばれた盛田幸妃(もりた・こうき)氏が16日午前、東京都内で死去した。45歳。葬儀・告別式は未定。近年は腫瘍が再発し、闘病生活を続けていた。

 盛田氏は1969年11月21日、北海道鹿部町で生まれた。函館有斗(現函館大有斗)では甲子園に3度出場。速球で注目された。87年のドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団した。

 5年目の92年、才能が開花する。150キロ近いストレートと鋭いシュートを武器に、主に中継ぎとして52試合に登板。14勝6敗2セーブ、2・05で最優秀防御率のタイトルも獲得した。この年は外国人打者を被本塁打0に封じた。「大魔神」佐々木主浩とのコンビは「ダブルストッパー」と呼ばれ、8回を担って一時代を築いた。

 97年オフにはトレードで近鉄に移籍。だが98年には脳腫瘍を発症し、「二度と野球はできない」とも言われた。歩行も困難になり、選手生命も危ぶまれたが、約12時間にも及ぶ摘出手術と壮絶なリハビリを乗り越え、99年には1軍のマウンドに戻った。01年には1082日ぶりの白星を挙げ、34試合に登板。パ・リーグの優勝に貢献し、カムバック賞を受賞した。「奇跡のリリーバー」として人々に勇気を与えた。

 中日・谷繁元信監督「大洋に入団したときから、野球をお互い必死に取り組み、プライベートでも良くしていただいた。体調が悪いことは知っていた。いろんなことを考えると本当に寂しい」

 楽天・斎藤隆投手「良き友であり、良きライバルでした。あのえぐるようなシュートは今でも鮮明に覚えています。何よりもマウンド度胸がすごかった。あまりにも若すぎます」

 中日・大塚晶文投手コーチ「突然のことで信じられない。病気から復活するという諦めない気持ちを教わった。僕が5回の手術をしてマウンドに戻るという気持ちを持てたのは盛田さんの姿を見たからこそだった」

私Calmblessingが一番好きだった十二使徒のリチャード・G・スコット長老が亡くなって初めての総大会が行われました。この大会が始まるまでスコット長老ロスだった私ですが、新しい使徒の発表を喜んで受け入れることができました。
中でもゲーリー・E・スティーブンソン長老は日本に大変ゆかりの深い方で、東日本大震災の時期にアジア北地域の会長でした。震災の年の5月に奥様と、コスタ長老ご夫妻と女川町を訪問し、車5台、小学生のために手提げかばんなどをプレゼントしました。
日本語も大変お上手で、日本にいらしたころは日本語でお話をしてくださいました。

ゲーリー・E・スティーブンソン長老たちが召された時の発表の様子はこちらのページにある動画で確認できます。
体に気を付けて、私たちに必要なことを教えてくださることを楽しみにしています。


9/22にリチャード・G・スコット長老が老衰のため86歳で亡くなりました。

リチャード・G・スコット長老は私が一番好きな十二使徒です。
特に2004年10月のリチャード・G・スコット長老の「良心の安らぎと心の安らぎ」というお話に支えられました。

教会のお話の割り当てなどで調べ物をしていて、いい言葉を見つけるとスコット長老のお話の一部だったということも度々ありました。2007年2月に渋谷公会堂でのお話しされる時には、スコット長老の大会説教を読み返しました。もうスコット長老のお話が聞けないと思うと残念でなりません。

スコット長老は2015年4月の総大会を健康上の理由で欠席されていますので、2014年10月の大会が最後になりました。この時のお話は教会についてある程度の理解がないと難しいかもしれませんが、家族で毎日聖書やモルモン書を読むことや、祈ることなどを定期的に行うことが大切であることを気づかせてくれます。

活字版


よければ、英語版ハイライトでスコット長老の肉声をお聞きください。