元南海、西武、大洋の片平晋作氏が膵臓がんで死去 68歳 | 美由樹@アファメーション研究中

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私Calmblessingが大洋ファンになりたての頃、チーム最年長でファーストを守っていたのが片平晋作選手でした。
そして、初めて応援したプロ野球選手でした。その頃すでに38歳の大ベテランで、体力の限界に挑戦する姿に心を打たれました。私が粘り強くなれたのも片平さんのお陰です。

私が信仰している宗教では来世でまた会えると信じているので、悲しいわけではありませんが、本当に寂しいです。
解説者としても選手のいいところを誉める解説が大人気だった様子が伺えました。
片平晋作さんと直接お話する機会はありませんでしたが、私の人生に大きな影響を与えてくれた方です。
こんなに早く逝ってしまわれて本当に残念です。心よりお悔やみ申し上げます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180122-00106467-nksports-base

元西武の片平晋作氏が膵臓がんで死去 68歳
1/22(月) 17:55配信

 プロ野球の西武の内野手などとして活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。68歳だった。西武球団が発表した。

 片平氏は東農大から71年ドラフト4位で南海に入団。1本足打法で知られるようになった。82年には西武に移籍して一塁手として活躍し、82、83年の連続日本一に貢献。89年に大洋で現役を引退した。

 引退後は西武の1軍打撃コーチ、2軍監督などを務めた。

日刊スポーツ


近年は女子プロ野球の発展にも尽力されていたようです。深い悲しみが伝わってきます。
https://www.jwbl.jp/news/detail/id/6779/

片平晋作アドバイザー永眠に関して2018年1月22日
いつも日本女子プロ野球リーグに温かいご声援をいただき、ありがとうございます。
この度、片平晋作アドバイザーが2018年1月22日(月)に永眠されましたことをご報告いたします。
すい臓がんを発症したことをきっかけに病状が悪化し、息を引き取られました。
 
最期まで野球に情熱を注ぎ、埼玉アストライアの監督も務め、選手への温かい指導や試合中継の実況などを通して女子野球の発展に大きく貢献してくださいました。
故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆さまに感謝申し上げます。
 
【辻内崇伸(埼玉アストライア監督)】
 
片平さんとは2008年、私が現役だった頃に初めてお会いしました。 
当時、西武の二軍監督をされていた片平さんとご挨拶させていただいた事を今でも覚えています。 
 
2014年から、アストライアを、そして女子プロ野球を共に強くしようという思いで、 
片平さんと一緒に指導にあたらせていただいた事を光栄に思っています。 
 
片平さんからは女子プロ野球での4年間、チームの指導と共に、指導者としての心得も常日頃から教えて頂きました。 
「選手との会話の中で生まれた気づきは大切にしろよ」「選手を信じる気持ちはだれよりも強く持て」 
といつも仰っていた事が忘れられません。 
その教えがあり、選手を起用する時は自信を持ってグランドに送りだすようにしていました。 
 
未だに片平さんが亡くなられたという現実を信じることができません。 
今でもグランドで明日お会いできるんではないか、笑顔で話しかけてもらえるんではないかと思っております。 
 
埼玉アストライアの活躍と、片平さんへの思いを胸に今年飛躍していく選手の姿をお見せできるよう、空から見守って頂ければと思います。 
 
片平さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 
【佐藤千尋(埼玉アストライアキャプテン)】
 
片平さんには、私個人としてもたくさんご指導いただいて、「大丈夫」「良くなってるよ」「変わったな!これからもっと楽しみだ」 とあたたかいお言葉に救われたことが何度もありました。
 
片平さんとお会いできるのが本当に楽しみでした。他の選手もそれぞれ、片平さんとの思い出がたくさんあり、こんなに早く旅立たれたことを悲しく残念に思っています。 
 
野球の技術指導はもちろん、物事に取り組む姿勢や人としての考え方などを愛情深く伝えてくださいました。体調が優れない中でもグラウンドに来てくださり、笑顔を見せてくださいました。私たちが足の怪我やお体の心配をすると「ご心配ございません!」と笑って吹き飛ばす片平さん。一切辛さを見せずに、気丈に振る舞っていた姿を思い出すと、旅立ってしまったことがまだ信じられません。 
 
本当にまっすぐに私たちと向き合ってくれた片平さんのお陰で、今の私たちがあると思います。 
片平さんから教えていただいたことを胸に、そして片平さんにいいご報告ができるように、今シーズンもアストライア一同、1年間駆け抜けたいと思います。 
心からご冥福をお祈り致します。 
片平さん、本当にありがとうございました。私たちのことをこれからもずっと見守っていてください。
 
 
【中島梨紗(埼玉アストライア前監督) 】
 
片平晋作さんという方に出会えて、私は本当に幸せでした。昨シーズン中、苦しい時に本当に励まして下さいましたし、助けていただきました。グラウンドに来てアドバイスを下さり、いつも「大丈夫、大丈夫。」と言葉をかけてくださったり、「監督、体は大丈夫か??無理するなよ。」といつも優しい気遣いをしてくださる片平さんは私にとってずっと支えになっていました。本当は片平さんが一番きつかったはずなのに、、と考えると涙が止まりません。 
片平さん、 
本当にありがとうございました。天国でゆっくり休んでください。 
 
心より、ご冥福をお祈りいたします。

これがメディアでの最後の姿になってしまいました。
http://www.sanspo.com/baseball/news/20171209/npb17120910000008-n1.html

2017.12.9 10:00(1/3ページ)

【帰ってきた!ダンカンが訪ねる 昭和の侍】

片平晋作さん 田淵、清原に立ち向かったカタヒラーマン
特集:ダンカン 虎の通信簿

 これは、家庭の平和を守るため、強力怪獣との壮絶な戦いを繰り広げたヒーロー、カタヒラーマン(片平晋作)の物語である。現在、カタヒラーマンの胸のカラータイマーは危機を知らせ、点滅している。

 「ボク、1カ月前にがんを宣告されましてね。それで冥土の土産にダンカンさんと対談させてもらおうとハハハ‥」。強い人だ! その言葉に、JKのように明るい笑い声を重ねるWヨウコさん(奥様の洋子さん&友人の平山陽子さん。この対談は埼玉・所沢市内の平山さん宅で行いました)。強い奧さん、そして強い仲間だ!!

 大阪・上宮高時代から王貞治の一本足打法に憧れ、東京農大、プロ入り後も周囲が何と言おうが一本足を貫き通した。南海入団2年目でレギュラーの座をつかみ、不屈のヒーロー、カタヒラーマンは誕生した。

 --40歳までプレーできた原動力は?

 「全ては家族と世話になった人に喜んでもらうためや! 野球で稼いでも自分のモノは一切買ったことはない!! 妻には1000万円のダイヤ買うてやったな?」

 「えーっ『万』が付いてないのでしょ! アハハハ」。Wヨウコさんは、爆笑光線。

 1981年、南海のブレーザー新監督の起用法に納得できず、82年、ライオン星(西武)へ…。ここから、し烈なカタヒラーマンの戦いが始まるのだ。

 ライオン星の一塁には通算474本塁打の長打怪獣、大人気のタブチー(田淵幸一)が君臨し、アーチビームを炸裂(さくれつ)させていた。顔面蒼白(そうはく)のヒーロー。しかし、彼は立ち向かったのだ。新任の広岡達朗監督は守備重視のチームを作るらしい。タブチーは50センチ横のゴロの捕球も怪しい(田淵さーん、言ったのは片平さんですからねー)。チャンスはある!

 タブチーの守備固めからシーズンは幕を開けたが、気が付いたらタブチーをDHに追いやり、カタヒラーマンは一塁のレギュラーとして、82、83年の日本一連覇に貢献。83年にはゴールデングラブ賞に輝いていた。

 しかし、野球の神様はカタヒラーマンの杯に苦々しい一滴を垂らしたのだ。86年、天才野球少年怪獣がライオン星にやってきた。ポジションは、一塁。そのまぶしく太陽のような光を放つ怪獣の名は「キヨハラドン」(清原和博)であった。

 「終わった…」。なぜなら、自分がプロで10年かかってつかんだ打撃をキヨハラドンはすでに持っている。ところが、森祇晶新監督は自分と同じ勝負師の匂いを片平に感じていた。開幕から43試合、カタヒラーマンを一塁で起用したのである。

「何が辛いって、自分の子供が球場に来ているでしょう。スタンドは『清原出せー! 何で片平なんだー!!』。打たなきゃ父親失格だよね…」

 父は強し!! 子供のためにその年、打率・292、17本塁打でまたしても日本一の力になるのだった。母(妻)も強し!! 「全打席、録画していました。何か役に立てばと…。野球は全く分からないんですけどね、アハハハ…」。出たあ、Wヨウコさんの爆笑光線。

 カタヒラーマンは決して負けない!! 「必ずまた、球場で会いましょう!!」。その握手は力強く、まさにヒーローのものであった。

片平 晋作(かたひら・しんさく)

 1949(昭和24)年8月5日生まれ、68歳。大阪府出身。上宮高から東京農大を経て72年ドラフト4位で南海に入団。西武、大洋を経て89年に40歳で引退。西武で1軍コーチ、2軍監督などを歴任後、編成部長を務めた。その後は解説者をしながら女子プロ野球の指導を行った。通算成績は1503試合に出場、打率.274、176本塁打、601打点、1181安打。埼玉・所沢市在住。