Calmblessing的メサイア解説 第3部 | 美由樹@アファメーション研究中

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明日はいよいよ本番です。何とか間に合いました。^^;

第3部:メシアのもたらした救い〜永遠のいのち


45. ソプラノ独唱 わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる(ヨブ記19:25-26、コリント人への第一の手紙15:20)
イエス・キリストは死を経験しましたが、復活して天国にいて私たちを見守ってくださっています。そして裁きの日に再びやってきます。ヘンデルが何回目かのメサイア公演で、拍手喝さいの中、見えない目を天に向けたという話を聞いたことがあります。その時の心境も表れているようにも思います。

46.合唱 それは、死がひとりの人によってきたのだから(コリント人への第一の手紙15:21-22)
アダムが禁断の実を食べたことにより人類に死ぬ体になりましたが、イエス・キリストのお陰で、時がくれば全人類が復活できるようになりました。

47.バス独唱 ここで、あなたがたに奥義を告げよう(コリント人への第一の手紙15:51-52)
48.バス独唱 ラッパが響いて(コリント人への第一の手紙15:52-54)
イエス・キリストが復活したことにより、時がくれば全人類が復活します。聖書には人類が復活するとき、天使がラッパを吹くという預言があります。

49.アルト独唱 そのとき、聖書に書いてある言葉が成就する(コリント人への第一の手紙15-54)
50.アルト・テノール二重唱 死よ、お前の勝利は、どこにあるのか(コリント人への第一の手紙15:55-57)
51.合唱 されど神に感謝せん
この3曲は連続で歌われることが多いです。人類が復活し、死を克服したのを見て、「死よ、お前の勝利はどこにあるのか」と歌っています。
肉体の死は克服したものの、私たちの行いに対して裁かれることに変わりはなく、罪(過ち)に対しては死のとげが残っているので、50番の後半で「死のとげは罪である。罪の力は律法である。」(コリント人への第一の手紙15:56)と歌っています。51番ではそれでもイエス・キリストを送って死を克服させてくださった神様に感謝すべきであると歌っています。

52.ソプラノ独唱またはアルト独唱 もし、神がわたしたちの味方であるなら(ローマ人への手紙8:31,33-34)
イエス・キリストがとりなしをしてくださり、神様が私たちに味方なら、敵対する者だれもいないという曲です。イエス・キリストの教えに従うなら恐れることはないと希望を与えてくれる曲です。

53.合唱 ほふられた小羊こそは~アーメン(黙示録5:12-14)
聖書の中ではイエス・キリストのことを「神の子羊」として出てくる箇所があります(22番の合唱も参照)。キリスト教における羊についてはこちらをご参照ください。
「ほふる(屠る)」というのはあまり聞きなれない言葉かと思いますが、主に動物を殺すことです。イエス・キリストが子羊になぞらえているので、この言葉が使われているのでしょう。
私たちのために屠られた子羊(イエス・キリスト)に祝福、賞賛、名誉、栄光、力、富、知識があるようにと歌っています。

後半は通称「アーメンコーラス」と呼ばれています。譜面上は、独立した演奏番号はなく'Worthy is the Lamb (ほふられた小羊こそは)'の続きとして扱われることが多いです。
歌詞はアーメンだけなのですが、楽譜を見るとかなり複雑です。あるパートが入った一拍後に別のパートが入る箇所は何箇所もあります。大学で音楽を専攻していたアメリカ人の友人が授業でこの曲の指揮について学んだのですが、難しかったといっていました。
歌う方もなかなか難しく、「アーメン」の「アー」が何拍も続いた後で「メン」が来るものですから、注意していないと「メン」を忘れてひたすら「アー」と歌ってしまいます。
複雑な構成になっているのはイエス・キリストによって救われた人たちがあちこちで賛美の声をあげている様子を表現する手段のように思います。
アーメンコーラスを歌っていると夢心地になります。
もし私がこの曲の指揮をするなら、最後から9小節目ではソプラノに思い切り舞い上がるように歌ってもらいます。


この解説にあたっては曲名はWikipedia、聖句は口語訳聖書標記に基づいています。