代表としてのコメント | 情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

虚偽DV,子の連れ去り、打倒離婚ビジネスなどの解決に向けわずかながら取り組んでいます。
1月30日に,TEAM「愛のある家族」は「子の連れ去り問題、面会交流及び親権」について、日本初の全面勝利を得ました。この判例により今後は家庭裁判所も変わりつつあると思います。


『愛のある家族』の代表としてコメントするのは初めてです。

私と面談した方々は、私の事を知っているのですが、ブログ。FBなどでしか知らない人の中には、話した事すら無いのに「ネトウヨ」(こんな死語はブサヨクしか使いません)だとか言う者や過激などという者がいますが、その事についてはいちいち取り会う気にもなりません。大体ネット上でリアルをさらすわけありませんしね・・逃げも隠れもする必要ないので個人情報はさらしてますがね。


人間社会なんてものは其々に価値観の違い、主義主張の違いがあって当然であり、その事で議論するのは、問題解決や事態の向上・改善といった点では良い事であると考えます。

まず、相手の主義主張に対して理解をしめす。その為には相手を断片的に捉えていては誤解も生じるし、議論すらできない。なので当方は批判はしないし、まず先方に対してリスペクトの気持ちを忘れない姿勢でいます。私達の取り組む問題に於いて、「反対勢力」など基本的に存在しないはずなのです、あるとしたらそれこそ「悪」ではないでしょうか。なぜならただ単に「親子を会わせて」と唱えてるだけなのですから。それも「子供の最善の利益を優先して」との条件つきです。これに反対ならば反対理由の是非を問わず「子供の人権を無視した身勝手な親」「悪」でしかないでしょう。

其々に手法は違えど、目指すもの、求める結果が同じであれば、批判や誹謗中傷などする事にはならないはずであるとの思いがあるからです。主義主張の違いや手法の違いでいがみ合う行為そのものが起きるのは「愛」もないし「敬う」とか其々の立場に配慮する器がないからにすぎません。まず相手の話を十分に聴き理解したうえでこちらも意見し議論する、そこにメンツやプライドは必要ありません、必要なのは道徳・倫理観、そして愛情でしょう。極道ならメンツとプライドに命かけなきゃならんでしょうが、我々は同じ問題に取り組む者としての共通点で結ばれ共に支え合い第二第三の矢が放つ事の出来る体制を取るべきと考えます。

しかしだ、中には幼稚な者もいて自分を誇示し、子供のような言葉使いでやたら批判しまくる者もいるらしい。(言葉使いからホントに中学生なのかと疑う事もある)それも不特定多数が閲覧できるツィッターやらSNSでだ、昨今そうした品格の無い連中の迷惑行為は問題視されているが、現実的には対処のしようがない。なぜなら、馬鹿につける薬は無いからだ。そうした品格の無い者は「自分の知り得る知識を振りかざし、論理的に自身の考えを肯定し、自身の考えに反する者をやたら批判する」まぁ、批判ならまだいい方で、取り様によっては「幼稚なただの悪口」にか捉えられない。

当方は「愛ある家族」の代表であるが、直接お話しさせていただいたり、意見を述べさせていただく諸兄は限られている。

今後も、私が面談や電話でお話しするにしても、お相手させていただく方々は、この問題に関して社会的に信用、実績、のある方に限らせていただきます。イコールそれなりの品格・人格ありと判断しますので、知識が豊富であるとか引き出しの数だけしか取りえがない方は、たとえ議員であれ例外ではありません。尚「朝日新聞」「中日新聞」は今後もいっさいの取材は受けかねます。

ところで最近・・「愛ある家族」の各支部から「相手にしてないのにやたら絡んでくる輩に迷惑してる」との事を聞きました。

まぁ、我がTEAMはピラミッド型の組織ではないので、各方面での事態に私自身が出る事も無いのですが、そうした輩に対してこれだけは言っておきます「お前は俺の事を知ってても、俺は無名のオマエの事など知らないの!俺が相手出来るところまで実績を積みなさい。ボクシングで喩えたら、世界ランキングの選手がアマチュアの選手など知らんし、相手も出来んわ!」それに当方自身ツィッターで相手してる程暇ではないし。まぁせいぜい処理班に相手してもらっていなさい、相手をしておかないと他者に迷惑がかかるから適当にあしらう体制は整えてありますが程々にしないと・・憶測や嘘は信用を失くし「類は友をよぶ」が如し、同じ様な者しか周りに出来ず、結果自身の視野を狭くし、御自身が一番の損失を被ると思うのですが・・。この話はこのへんで終わります、こうした問題は私が語り誤解を招いても困るので・・。


世の中には多くの問題があります、全くの分野違いに見える、思える問題でも接点はあります、どこでどう影響するか分りません。点のみで見ていては線から面そして三次元へは移行できません。点として捉えた事実を、点から線そして面から三次元として見る事の出来る見方や考え方が出来る様、各界、各分野の方々との交流を今後とも大切にしたいと思います。