それはズバリ知性と教養。
特に地方公務員の警官と裁判官は読書をした事がないのか?と思うくらい知性と教養に欠けている。
それ故、判断に誤りも多く、犯罪を取り締まり、または罰するべき立場にありながら程度の低い犯罪を犯している始末の悪さ。
学科試験のみならず、適性検査・試験なりして「人格」を量るべきだ。
現状は「泥棒に番人をさせ、痴呆に判事を任せてるようなものだ」
政治家で福沢諭吉の著書を10回以上読んだ者が何人いるか?
法学部や松下政経塾で学ぶ程度の同等の事は簡単だ、本質が見えていないから幼稚であり、目指すべきものも見えづらいから「志(こころざし)」にかけているのだ。政治家として志を持っているならば、言動、行動もそれなりに表れ「求められる者」として確立出来る。
そうすれば選挙で「お願いせずとも、市民からお願いされる立場だわ」
警官も、市民を守る使命感より、地方公務員としての安定した生活を求めるから、組織の駒としてしか動けないし、程度の低い犯罪を犯す。どうせならキャリア目指して警察官僚になって、組織改革してまでも「市民の安全を守る」くらいの志持てよ、地方公務員の微々たる稼ぎにしがみついて、人として大事なもん見落としてる。なさけないわ。そんな、おまいらの月給分くらい俺は分速で稼いでやるわ。

大事なのは「お金儲けより、まず人として社会に貢献しようという気持ちと感謝の気持ちを忘れない事だ」そして自分の立ち位置にしっかり地に足着けてやるべき事をやり遂げることだ。料理人なら利益よりまず、美味しいと感じさせ人を幸せにする事、企業なら社会に貢献できる経営指針を持つ事、警官なら組織やシステムより正義を基準に動く事、裁判官なら先例重視でなく公正さと事実に基づいた判断を下す事。つまらん金や保身ごときの拘るから「歪が生じる」。お金なんてもんは正直に感謝の気持ちを忘れず頑張ってリゃ次から次に入ってくるものだ。天祐に恵まれないのは「人を泣かせたり、間違っているから」。自分のしたこと全ては、形を変え全て自分に返ってくるのだよ。