1年前の今日、ジミンさんとジョングクさんが1年半の軍務を満期で終えて転役した。
思えば私がブログを始めようと思ったきっかけが、彼らの転役だった。
他の5人は成熟して大人になって帰ってきたのに、この2人は兵役を終えてもまるで成長してないと批判する文章を読んだことへの反発で、アメブロを始めた。
絶頂期にキャリアを中断して兵役につき、1年半の義務を誠心誠意全うし、ようやく元の場所に帰ってきた彼らに対して、敬意のかけらも感じられないことへの信じられないという思い(ほぼ怒り)だった。
大きな花束に顔を隠してくすくすと笑っていた2人の動画や写真が昨日あたりからSNSにたくさん流れてくる。ジミンさんとジョングクさんにとって2.0が始まった日。
昨日のBTS会食2.0は23分ほどの短い動画だったけど、美味しい料理とワイン、テヒョンさんのMCを時に冗談を交えながらもみんなで暖かく見守る雰囲気が良かった。
次のアルバムの話題から「SWIM」に話が飛んだ。
ジミンさんが「RMさんが書いた歌詞を見てすごく納得してこの曲を出すことに心から同意したんだけどそれを説明する過程が足りなかった気がする」と言うと、ナムジュンさんも「説明する機会がなかったね」と重ねた。
それに対してテヒョンさんは、「僕たちが直接”これはこういう曲です”って、、」と言いかけ、ユンギさんが「Vさんが言いたいのは僕たちがこういう曲ですって説明するのはちょっと違うってこと?」と続けた。
「だから説明したところで何が変わるのかなって。曲は曲として解釈されるべきで」とテヒョンさん。
「聞く人が判断すべきで」とユンギさん。
一旦世に出したからには、作品をどう解釈するか鑑賞するか受け取るかはリスナー次第、曲は曲として解釈されるべき、というテヒョンさん、ユンギさん(Jホープさんも同意していた)の主張は、一般論としては私も半分はそう思う。
残り半分は、作者の意図や楽曲に込めた思い、制作時の状況や環境など作者側からの説明や発信は、曲をより深く理解するきっかけになりうるし、思いもかけない見方を発見することもあるから、作者の説明で何かが変わることもあると思う。
で、一般論は別として、ここでジミンさんが”説明が足りなかった”といったのは、”SWIM”という個別の作品についてだ。特に例に挙げたのがMVとアルバム。
「僕がいう「説明」っていうのは例えばMVとかアルバムについて僕たち自身がどれだけ理解してるかによって見え方も変わると思う」
ジミンさんのその言葉に、SWIMのMVを見た時に感じた違和感を思い出した。
月とサメの海を、一人一人が時に漂い、時に泳ぎ、ただ前へと泳ぎ続ける。人生を泳ぎ続ける僕たちと君たち。そんなイメージを抱いていたから、初めてアリランを米国で録音した130年前の7人の韓国人留学生の物語に寄ったミュージックビデオに、そういえば少しばかりの違和感を感じたんだった。
会社から提案されたARIRANGのコンセプトと多分身を切るように(ちょっと大袈裟かも)紡ぎ出したナムジュンさんの言葉とのちょっと捻れた関係を想像してしまったのが、違和感の正体かもしれない。そしてそれは”SWIM”1曲に限ったことではなく、アルバム全体に言えるような気もする。
「僕たち自身がどれだけ理解しているか」そう言ったジミンさん。
私はジミンさんの「説明」をもっと聞きたいと思う。
ジミンさんの言葉を受けて続けたナムジュンさんの言葉も印象的だった。
BTSは最後の世代。世の中に何かメッセージを届ける、語れる最後の世代。
「7人だからこそpopで普遍的なメッセージをうまく伝えられると思う。」
ARIRANGというコンセプトと結びついて、カムバックでやることが多すぎたから
「”SWIM”に十分な重みを持たせるのが難しかった」
トレンドを含む社会自体の変化の激しさと速さ。じっくりを詩を読むことが段々となくなっていく。そんなことを言いながら、「僕たちは最後の世代」そんな覚悟も持ってるんだなあ。