パンシヒョクさんのビルボードのインタビューによると、BTSのカムバックアルバム”ARIRANG”のプロジェクトにパンさんは1年半以上関わったという。


メンバーの兵役半ば頃にメンバーからの呼びかけで着手して1年半というから、2024年9月頃からプロジェクトは始まったんだろう。(ここで言うメンバーは、最後に転役してくる5人のことだと思う。)

最終的に全員が兵役を終えるまでの間、パンさんがしたのは、会社レベルでできる準備。


それが、全体的な構成の設計、音楽的ビジョンの定義、楽曲の調達、だという。

24年9月頃に着手して約5ヶ月後の25年初頭に、リードプロデューサーとしてディプロを選んだ。ディプロのインタビュー記事によれば、24年11月にパンさんとディプロの間で初めのミーティング。

その時点でパンさんは典型的なPOPプロデューサーではなく、リスクをとってくれる人を望んでいたみたいだ。

ディプロのリードプロデューサー就任は25年初頭。

それから数ヶ月、彼らはスタジオでサウンド作り、ディプロ側からは数名が協力。初めは、トリップホップとオールドスクールヒップホップを参照。

25年の4月と5月にロサンゼルスで2つのプレソングキャンプを開催、ここで約100曲のプロトタイプトラックを作ったという。


その間、メンバーの休暇中に個別に会い、多くの会話を交わしたみたいだ。


7月、京畿道にプレイベートモニタリングルームを設置、終日ワークショップを開催、プレソングキャンプで制作したプロトタイプトラックを視聴、議論を深めたという。

BTSが今できること、すべきこと、BTSだけができること。そんなことを議論したみたいだ。


転役後、全員揃ってのWライブは7月1日。

彼らのこの時の会話から、アルバム制作のためアメリカに行くこと、3月のアルバムリリースは決まっていたようだ。

7月に米国ですぐソングキャンプをするということは、パンさんからの提案で、メンバーは転役後のプライベートなスケジュールをそれぞれキャンセルして米国に向かったとパンさんは語っている。

パンさんのインタビューを読んだ限りでは、7月のワークショップで、アルバムのアイデンティティ、ビジョンが明確になった後、すぐにソングキャンプに向かうという決定をしたみたいだ。


パンさんがARIRANGのプロジェクトに着手してから、7月の韓国国内のワークショップまで、約10ヶ月。その間、パンさんはメンバーに個人的に会っていたというし、メンバー間でも話し合いがあっただろうし、カムバックプロジェクトの進行をそれぞれ把握していたんだろうとは思うけど、25年6月に転役したメンバーたちはそれぞれプライベートな予定を立てていたというから、転役して1ヶ月経たないうちにソングキャンプという早い展開は予想していなかったんだろうと思う。


転役して4日後からイゲマジャの撮影旅行、帰ってきてジンさんのコンサートに行って、7月に入ってアルバムのワークショップ、そして7月8日にはソングキャンプのためにロスに到着。

彼らは芸歴12年のプロではあるけれど、創作活動とは真逆の生活の1年半のブランクがある。

それでもこの畳み掛けるような流れに適応してやり切った。