Netflixのドキュメンタリーについてか書かれたVULTUREというメディアの記事によると、メンバーはそれほどたくさん英語を入れることにためらいがあったみたいだ。


SUGAさんとRMさんが、もっと韓国語の歌詞を入れたい、特にラップ部分、と希望した時、ビッグヒットのキム・ニコル副社長に、アルバムをグローバル展開したいならトライする必要があると反対されたという。

韓国語の歌詞は、ナムさん曰く信憑性・真正性の問題。

メンバーたちは、それとは別に、正確な発音を得るための十分な時間が取れるのかという不安があり、どれだけ一生懸命やったって下手なものは下手、とジミンさんは言ったみたいだ。


それでも結局は、ほとんど英語のアルバムになった。英語のみの曲は、SWIM、NORMAL、Like Animalsの3曲だけど、HooliganやBody to Bodyはほぼほぼ英語だ。


自分たちの原点を韓国に求め”ARIRANG”というタイトルにしたのだと思っていたから、楽曲のタイトルリストが全て英語だった時点で、ちょっと拍子抜けし、リリースされたアルバムを実際に聞いて、あまりに違和感がなさすぎることに逆に違和感を覚えた。

私にとって違和感がなさすぎる感覚はどこから来るのか考えていたんだけど、ほぼ英語の歌詞だったこととボーカルにエフェクト(曲ごとに使っている技術が違うのかもしれないし、エフェクトという言い方は間違ってるかもしれません。技術的な知識がないので、とりあえずエフェクトという単語を使いました)かけまくりで、せっかくの4人のボーカルの魅力が効果的に使われていないように感じたことの2点なんだと思う。

とはいえ、繰り返し聴くうちに声の聞き分けもできるようになってきたし、これが彼らにとって新しい方向性なのかもしれないと思うようになってきた。パートは少ないけど、ジミンさんが歌でも表現者になっているように思えて、感動もしてる。


英語といえば北米向けだと最初は反射的に思ったんだけど、考えてみればグローバルを目指すというのは米国だけを目指すということじゃない。

今は指先一つでタップすれば簡単に翻訳できるから、韓国語だろうと英語だろうと違いはないようにも思えるけど、やっぱり違う。

英語が全然得意じゃない私ですら、歌詞をばっと眺めた時、英語の部分はとりあえずだいたい読めて、なんとなくだけど大雑把に何を言ってるのかわかる。


一方で、詩を書く側からすれば、母語にこだわるのは当然だと思う。

韓国のARMYにしても、韓国語にこだわるのは当然だと思う。翻訳では伝わらない微妙なニュアンス、肌感覚で共有する感情があるはずだから。韓国語でなければ表現できない思いがあるはず。


それでも、彼らは英語を選んだ。

一体どれほど悩み、迷い、メンバーの間で会話を重ねたんだろう。ドキュメンタリーでその一端でも見ることができるだろうか。


英語の歌詞ひとつとっても、メンバーの間に葛藤があったということが、この記事でわかったけれど、それだけじゃないんだろうなあと思う。


Jホープさんがアルバムの準備をしながら忘れられてしまうのではないかという不安もあった、と言うのを聞いた時、正直驚いた。

昔から芸能の世界は浮草稼業、人気商売ではあるんだろうけど、BTSほどのグループのメンバーで、その直前にはソロワールドツアーを成功させた彼でさえ、そのような不安からは逃れられないのか。


兵役という空白期間後の7人揃ってのカムバック。

このアルバムは、ただハードな作業の末に作り上げたというだけではなく、彼らの悩み、不安、それを乗り越えて新しい世界に踏み出そうという決断、全てが詰まったアルバムなのかもしれない。

やっぱり丁寧に、大切に聴いていこうと改めて思う。