初めて触れたバイオリン。
弾いてみたいなと軽い口調で言ったら
類はもってた楽器を『あげる』って
いとも簡単に手渡した。
「……ちょっとこんなの貰えない
高いんでしょう?」
悪いよ……と押し返す私に
類はにこっと微笑んだ。
「いいよ、牧野が俺のすることに
興味を持ってくれたのって
初めてじゃない?弾き方教えて
あげるから弾いてごらんよ」
そういって楽器の構え方から
弓の持ち方、弦の弾き方まで
初めての私が判るように
丁寧に教えてくれた。
初めは恐々だった私も類の
優しい指導のお陰で1ヶ月後には
簡単な曲を弾けるようになっていた。
類と会うたびにバイオリンの
レッスンをしてもらって
初めて覚えた楽器の演奏の楽しさ。
そのときの私は道明寺に
忘れられてしまった哀しみを
類と一緒にバイオリンを弾くことで
心の奥に押し込めていた気がする。
類の優しい眼差しと包み込むような愛情
そしてバイオリンを弾くことで
気持ちを紛らわせてきた気がする。
類が奏でるバイオリンの
音色が私の心が負った傷を
癒してくれた。
バイオリンを弾くように
なってから迎えた道明寺の
20回目の誕生日の日。
私は西門さんと美作さん
滋さんの3人に協力してもらって
5人で道明寺のためにバイオリンを奏でた。
広大なホールに響く弦楽器の音色。
弾きながら涙が止まらなくなった。
視界が霞んで指先が見えない。
涙が出るのは私が道明寺との
関係を諦めピリオドを打とうって
ようやく決心したから。
友達に戻るだけ。
ふざけて言い合って笑い合えるような
関係に戻るだけ……。
握手をする。
大きな手のひらが私の
手を包み込む。
相変わらず体温の高い手。
この手に何度も助けられた。
陰険ないじめのから……
騙されて雪山で遭難したときは
命がけで助けに来てくれて
抱きしめてくれたね。
与えてくれた温もりは忘れないよ。
この手に殴られたこともあった。
与えられる愛情が重くて苦しくて
何度も離しそうになった。
涙が止まらない私を道明寺は
「今までごめんな」といいながら
優しく抱きしめてくれた。
アイツの身体から離れて
また握手をする。
もうこれだけで充分だよ。
……アンタの笑顔がまた見られるだけでいい。
生きててくれるだけでいいんだ。
そして……その手を私はまた
自分の意志で離そうとしている。
……待っててあげられなくって
ゴメンね。
どうか幸せに……なって。
今から私たちは同じスタートラインに立つ。
今度会うときは……なんの蟠りもなく
笑い合えたらいいね。
パーティが終わったあと、
私は類にアパートまで送ってもらう。
送ってもらったお礼と称して
部屋に上げた。
今まで決して特に夜は
部屋に上げたりはしなかった。
それは友達としての境界線を
私の方から引いていたから。
類は、いいの?という表情で私を見る。
私はうなずくことしかできない。
話があるからといって彼を引き止めた。
「はい、お茶……」
普通に入れた日本茶を私は
類専用のマグカップに入れて出す。
ありがとう、と類は微笑う。
類の愛用の座椅子に座ってもらう。
向かい合って座る。
類は抹茶入りのお茶が好きみたいで。
ちょっと高いけれど何時も
そのお茶っ葉を常備してる。
「で、話って何?」
熱いお茶をすすった後
類は早速本題を口にする。
「……あのね……まだ……あの言葉は有効?」
ズルい質問の仕方。
「あの言葉って俺なんか言ったっけ?」
思い当たる節はないなという
顔をして首を傾げる。
そうだよね……と私は俯く。
類は道明寺が記憶喪失になってから
ずっと私を無言で支えて側にいてくれた。
道明寺に心無い言葉を浴びせられて
落ち込んでるときも。
泣きたくて我慢できなくなったら
黙って胸を貸してくれた。
私を私らしくいさせてくれたのは類のお陰。
だから凄く感謝している。
『司なんかやめて俺にしなよ。
アンタが泣いているの俺見たくない』
その度に私はごめんね……
もう少し待ってみると繰り返してきた。
だけど繰り返しているうちに
そうした方が楽になるって
わかってきたんだ。
辛くなったら逃げていいんじゃ
ないのかなって……。
いっこうに思い出さない道明寺を
見てそう思ってしまった。
でもそんなことを今さら口にできずに……
類の優しさを利用してるだけだって
わかってるから苦しくなってきた。
そんなことを考えてしまう
自分自身の思考が嫌だった。
だけど、言葉にしなければ
伝わらないことだってある。
類はいつだって正直に私に気持ちを
ぶつけてきたんだもの。
「今日、ここに来てもらったのは……
まだあのときの気持ちが
変わってなかったら……」
動揺して唇が震える。
でもちゃんと伝えなきゃって思ってる。
アンタの癖だって笑い飛ばされる方が
何倍もマシだから。
「……そう簡単に変わるわけないでしょ?」
至近距離にある類の整った顔。
い、いつの間に隣に来たんだろう?
気付かなかったよ。
急に我に返って顔が熱くなる。
ヤダ、やっぱり覚えてたんじゃないの。
心臓の鼓動が早くなる。
「変わってなかったら、何?」
ちょっと動いたら唇が触れ合って
しまいそうな距離での囁きに私は焦る。
「私、類が好きなの。それだけ
伝えようと思って……」
最後まで言い終わらないうちに
無言で塞がれた唇。
優しい口付けが落ちてきた。
何度も何度も繰り返される
キスに私は酔いしれる。
「嬉しい……」
このとき類が私に見せた笑顔は
一生忘れられないと思った。
今にも泣きそうな表情で切なげに
私を見つめる。
「今までゴメンね……大好き、類。」
そっと彼の背中に触れられる手を回して
彼の腕の中に抱きついた。
類が私の手の上に自分の手を重ねて
剥がすと手を取ってそのまま
寝室に移動する。
ベッドに腰掛けてまたキス。
怖くてどうしようもなかった
この行為も本当に好きでお互いが、
望むなら怖くないんだって分かった。
この人となら、どうなってもいい。
素直にそう思ったから瞳を閉じた。
たくさんのキスが落ちてくる。
私はそれを受け止めるのに
精一杯で。
そしてこんな私を受け入れてくれた
喜びに身を打ち震わせながら
重なってくる類の身体を抱きしめ返した。
愛しいってこういう気持ちなんだ。
そして……。
彼は始めて私の名前を囁いた。
つくし・・・愛してる。
たったそれだけの言葉で涙が
止まらなくなる。
この夜のことを私はきっと
ずっと忘れない。
そして
このときの私は目の前で微笑む
彼に気持ちを伝えることに
夢中ですっかり忘れていたんだ。
彼もまた道明寺と同じ生きる
世界の人間だということを…………。