1981年のゴダイゴ
81年の10月、僕は1人の男友達と緑色のバスに揺られ、ゆっくり山道を登っていた。バスは今度新しくオープンする団地へと走る。
バスの中のほぼ全員が女性であり、男は僕たち2人だけ。女子たちの楽しそうなお喋りの声が車内に響いていた。
僕たちはこの年の3月、荒廃し切ったゴミ溜めのような中学校を卒業し、今は別の高校に進学していた。
旅の目的は新しい団地のオープンイベントとして招かれたゴダイゴのライブに参加する事だった。
全盛期を過ぎた彼らのフリーライブにどれだけの人数が参加するのか、もしかしたら人が集まらずに悲惨なことになりはしないか、と僕たちは、正直酷く心配したのだが、それは杞憂に終わりそうだ。
シャトルバスは次々に発車し、既に多くの人を乗せて現地へと向かっていた。
時は1977年の事だ。
小さなショッピングモールの小さなレコード店の前を通りかかると、一際格好の良い曲が流れていた。今までに聴いたことのないタイプのハードロックだった。店内に流れる曲のジャケットがレジの前に飾ってある。
急いで確かめに行くと、いかにもガラの悪そうな人相の5人組が写ったジャケットが展示されていた。
「ゴダイゴ」「DEAD END」
当時、僕はこのアルバムをカセットで手に入れた。何故かレコードではなくカセットだった。
我が家に鎮座するTechnicsで統一されたオーディオシステムは、巨大なスピーカーを擁していた。カセットを挿れて再生ボタンを押すと、美しくそしてハードなロックが鳴り響いた。この不良性の高いアルバムに僕はたちまち虜になった。
当初洋楽だと思っていたゴダイゴは、実は日本のバンドで2人の外国人を含んでいることを知った。
ボーカルはメインのタケカワを筆頭に3人で分担し、ベースのSTEVEとドラムスのTOMMYが歌う。キーボードのミッキー吉野がアンサンブルの中心で、ギターの浅野はどちらかと言えば脇役に徹している印象だった。
翌年ゴダイゴの新しいアルバムが発売になった。CM SONG GRAFFITTIがそれだ。そこにはDEAD ENDとは全く異なる方向性を持った曲が収録されていた。
明るくてキャッチー。元々ゴダイゴは多様性を持ったバンドであった。DEAD ENDの硬派な印象は、彼らの引き出しの一部でしかなかったのだ。
彼らの真のブレイクは3rdアルバムのMAGIC MONKEYで、最大の出世作である。
テレビドラマ「西遊記」の主題歌や劇中曲を含むサントラ盤だ。このアルバムの大ヒットにより、ゴダイゴは世間的に認知された。
後で知った話だが、ゴダイゴはこのアルバムにその存続を賭けていたそうだ。
「これで売れなければ解散」
CM SONG GRAFITTIというスマッシュヒットがあった彼らに、まさかそれだけの危機感があったとは、当時は知る由もなかったが、その危機感が彼らに火をつけたのは間違いないだろう。
このアルバムに収録されている曲は、劇中でインストとして使われることを前提に作曲されており、そのアレンジの完成度はキーボードを中心に異常なテンションを保っている。
また、シングル盤「ガンダーラ」では日本語の歌唱に踏み切った。まさに売れるためになんでもやった、という事だろう。
テレビで彼らの動く姿を見たのも、この時が初めてだった。
画面の向こうのゴダイゴは、満面の笑みを浮かべて歌うタケカワを中心に、メンバーは実に楽しそうに演奏していた。
そこにはDEAD ENDで感じられたクールなイメージはなく、まるでアイドルと呼んでも差し支えない振る舞いを見せていた。
その後、ファン層は次々に広がり、お年寄りから幼稚園児まで、ありとあらゆる層を取り込んでゴダイゴ人気は拡大していった。
ゴダイゴは、アルバムごとに異なったコンセプトで作品を発表している。これは彼らの何でもできるという強みを生かしたものだ。
1stではB面全部を組曲にしたし、2ndではハードでクールなロックを披露した。CMソングやサントラ盤もあった。
そして、ここに来て大衆という味方も付けた。まさに彼らにとって今こそ何でもできるという状況が生まれた。
そしてリリースされたのが4thアルバムOUR DECADEである。
このアルバムのレコーディングは多忙を極めたとされている。
事実レコーディングの最中にもヒット曲が次々と生まれ、TV出演の依頼は絶えなかった。酷い時にはレコーディングスタジオから番組に出演することもあった。
しかしそんなネガティブな状況を吹き飛ばす会心のアルバムは完成し、遂にリリースされた。
OUR DECADEのコンセプトは70年代を総括するというもので、70年代に起きた様々な出来事をストレートに、時にはユーモアや皮肉を込めて表現している。
楽曲の質は高く、最初から最後まで全く飽きさせない。サウンド的にも重厚さが増し、ゴダイゴの音はこうあるべきという方向性すら示された気がした。
しかし、多くの人は気づいた筈だ。このアルバムは単なる時代を総括するアルバムではないということに。
時代を総括するという形を借りて、彼ら自身つまりゴダイゴ自身を総括しているのだということに。
「はるかな旅へ」
(Where will we go from now)で彼らは
「ねぇ、教えてよ。これから僕らはどこへ向かうの?」
と、心情を吐露する。
70年代後半にデビューし、解散の危機を乗り越えて、国民的なバンドへと成長したゴダイゴの偽らざる心境がここに綴られている。
彼らの想像をはるかに超えた変化に、彼ら自身が苦しんだことは容易に想像できる。
確かに売れることはバンド存続のために必要ではあった。しかし、失ったものも多い。
特にゴダイゴというバンドに対する大衆が持つアイドル的なイメージは、本当に彼らが欲したものだったのだろうか。
OUR DECADEはコアなゴダイゴファンの間では最高傑作として位置付けられているが、西遊記によって誕生した「にわか」ファンには相当に難解な内容であったのも確かだ。
何故ゴダイゴは「はるかな旅へ」を英語詞でシングルカットしたのか。何故この曲をアルバムに収録したのか。
一つ言えるのは、このアルバムによって相当数に上るライト層のファンが、ふるい落とされたということだ。
彼らがこれを意図的に行なったのか、それとも偶然の出来事なのか、今となっては真相は藪の中である。
その後に発表されたライブアルバム、MAGIC CAPSULE以降、聴衆の関心は徐々にゴダイゴから離れていった。
少なくとも僕の周囲では誰もゴダイゴのことを話題にしなくなった。
ブームは去り、コアなファンだけが残ったようだった。
その頃バンドの関心は主にアジアの国々に向けられているようだった。中国、シルクロード…それはミッキー吉野の夢であり、海外志向の強いバンドの夢でもあったのだろう。
彼らは精力的にアジアを巡り、いくつかの大きなコンサートを実現させた。また、以前と比較すれば各段に減ったものの、TVで新曲を披露することもあった。
会場に降り立つと、だだっ広い空き地に野外ステージが組まれていた。ステージ脇には白いテントが建てられ、どうやらそこがバンドの控え室となっているようだった。
会場のほとんどが女性で占められ、前の方は既にレジャーシートで埋まっていた。
僕たちは所在なげに場所を探す。男子学生2名がなんだかとんでもないところに紛れこんだような気がしてきた。
そんな時、若い女性に声を掛けられ、前に来るように促された。断るわけにもいかず好意に甘えることにした。
案内された場所は、最前列のシートだった。「たくさん盛り上げてね」女性は屈託無く笑った。
しばらくすると白いワゴン車が到着した。黄色い歓声が響いた。どうやらワゴン車からメンバーが降りた様子だった。
メンバーの誰かが手を振ったようだったが、誰かは分からなかった。
定時になると、ゴダイゴホーンズのメンバーがステージに上がった。わき起こる大歓声。
続いてメンバーが登場。タケカワはいない。ミッキーは僕たちの目の前だった。
ドラムスのTOMMYは手を振りながら定位置についた。ギターの浅野は想像以上に華奢でカッコいい男だった。
ベースはSTEVEではなく日本人だった。それが一時期サポートに入った富倉氏だったのか、新加入の吉澤氏だったのか、よく思い出せない。
コンサートがスタートした。延々と続く長いイントロ。ニューアルバムMORのオープニングが再現されている。
不意に演奏がストップし、前に出てきた浅野のギターがロックンロールのリフを刻む。
MORだ。
と、同時に舞台右袖からタケカワがロケットのようなスピードで飛び込んできた。
最前列で見るタケカワはテレビで見るよりずっと精悍で男らしさに満ち溢れていた。ライブの間中、僕たちは必死に盛り上げた。
まるでそれが義務であるかのように。
ライブが終わり帰途につく。疲れ果てて、何もする気が起きない。ちょっと眠ろうか、と思ったその時、彼が口を開いた。
「俺たちは大変な勘違いをしていたのだと思う。彼らはまさにアイドルだよ。俺たちは彼らに何を望んでいたのだろう?」
「そう言えば、カトマンドゥのラストが日本語だったじゃない?あの時は本当に頭にきたよな。日本語はシングルだけにしとけよ!ってね」
「結局さ、俺たちはゴダイゴにアメリカやイギリスに進出して欲しかったんだよ。本当の意味で海外で勝負できるバンドはゴダイゴだと…」
「それって…結局…俺たちの勝手な思い込みじゃん。ゴダイゴにこうあって欲しいとか…完全なエゴじゃん…」
そんな断片的な会話を思い出す。
バスは停まり、僕たちは軽く挨拶をして、再会を約束し別れた。
しかし、その後彼と会う機会は二度と訪れることはなかった。
81年、僕はスプリングスティーンのThe Riverをよく聴いた…
ゴダイゴはその後もアルバムを出し続けた。どれもいい出来だった。
しかし、ヒットチャートの上位に顔を出すことはなかった。
そして、一般的にはほとんど知られないまま、彼らは解散した…
2019年、ゴダイゴはここ数年の地道なライブ活動やYoutubeの普及により、再評価されている。