no,2540 飛鳥の朝廷(その61) | 古代史のページ福さん

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びっくりびっくり 「人生」めんどくせ~(20) ゲホゲホゲホゲホ

★マイナンバーカード問題点だらけ。

それと紐づけの範囲が明確で無いのが恐ろしい。

文科省では、大学の図書カード、講義の受講券など細部まで個人情報が組み込まれることを目指しているようだ。それを推進する大学には補助金を増やす。何時もの手法だ。申請は「任意だ」といいながら、紙の保険証を廃止だなど、矛盾しすぎだー。

◆筑紫と東国

文献に最初に表われるのは筑紫の糟屋屯倉である。

磐井の乱の後、磐井の子どもの葛子(くずこ)が貢献したとされる。

○続く安閑天皇紀には二年五月条には他の多くの屯倉を設置したとの記事がある。

それらは畿内やその周辺ではなく、以遠の諸国が大部分である。

○安閑二年五月条には二十六に及ぶ屯倉の名がこの時設置されたとして列挙されている。

*筑紫・・・穂波・鎌

*豊国・・・勝碕(みさき)・桑原・肝等・大抜・我鹿(あか)

*火国・・・春日部

▲那津の宮家

「紀」には宣化朝元年(536年)那津の宮家を修造し、かつその財源を強化することを図る、詔を掲げている。

○朝廷は諸国の屯倉に蓄積した稲穀(いねもみ)をこの宮家に運送・蓄積しようとはかり、天皇自らは河内の茨田屯倉の穀を阿蘇の君を使わして蘇我稲目は尾張屯倉の穀を尾張連をして、物部麁火は伊勢の新家屯倉の穀を新家連をして、阿部連は伊賀国の屯倉の穀を伊賀臣を使わして那津に運ばせ。さらに筑紫・肥・豊三国の諸屯倉から、その貯穀の一部をさいて送らせることとしたという。

奈良県橿原市大歳神社