🚎🚌 転んだ日記 (137) 👧🏻
「 お~~い 花子や 大谷君大丈夫か? 」
「 誰でも 山あり 谷ありだっぺ 」
「 うんだ うんだ だから人生は楽しいのだ 」
「 レレレ のおじさんだ~~ 」
※河内直と安羅
◆「紀」欽明二年条に
百済の聖明王が任那(迦耶諸国)の使者や代表を安羅に招集し
「安羅日本府(任那日本府)」の倭臣たちと共に任那復興について協議
させた事を記している。
○「安羅日本府」の倭臣河内直は同書に引く「百済本記」には
「加不至(かふち)費直」とあるが「費直」はカバネ「アタイ」の古い
借字であるから、本文の河内の直と同一人物であり、西漢人の枝氏である
河内忌寸の祖にあたる人物と推察される。
○加不至費直は日本府の官人阿賢移那斯(あけええなし)、佐魯麻都(さろまつ)
と共に日本府に強い影響力持ち、新羅に内通していたが、彼等は血統的に
繋がりがあったようで、「百済本記」によれば、彼等の先祖を
那千陀甲背(なかんだこうはい)・加猟直岐甲背(かろうじき)といいまた
那奇陀甲背(ながた)・鷹奇岐彌(ようかきみ)とも言う。
*岐彌は君・公である。