渡来氏族の謎 (その28) no,1,538 | 古代史のページ福さん

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🚎🚌 転んだ日記 (137) 👧🏻

「 お~~い 花子や 大谷君大丈夫か? 」

「 誰でも 山あり 谷ありだっぺ 」

「 うんだ うんだ だから人生は楽しいのだ 」

「 レレレ のおじさんだ~~ 」

※河内直と安羅

◆「紀」欽明二年条に

 百済の聖明王が任那(迦耶諸国)の使者や代表を安羅に招集し

「安羅日本府(任那日本府)」の倭臣たちと共に任那復興について協議

させた事を記している。

○「安羅日本府」の倭臣河内直は同書に引く「百済本記」には

「加不至(かふち)費直」とあるが「費直」はカバネ「アタイ」の古い

借字であるから、本文の河内の直と同一人物であり、西漢人の枝氏である

河内忌寸の祖にあたる人物と推察される。

○加不至費直は日本府の官人阿賢移那斯(あけええなし)、佐魯麻都(さろまつ)

と共に日本府に強い影響力持ち、新羅に内通していたが、彼等は血統的に

繋がりがあったようで、「百済本記」によれば、彼等の先祖を

那千陀甲背(なかんだこうはい)・加猟直岐甲背(かろうじき)といいまた

那奇陀甲背(ながた)・鷹奇岐彌(ようかきみ)とも言う。

*岐彌は君・公である。