渡来氏族の謎 (その27) no,1,537 | 古代史のページ福さん

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🎐🎐 転んだ日記 (136) 🛴

「 お~~い 花子や 藤波君 勝利したずら~~ 」

「 うんだ~~ 良かったとしか言い様がない 」

「 注目を浴びるだけでも幸せな男だ 」

「 名前も知られず 試合にも出ず 去って行く選手がいかに多いか」

「 その幸せが 理解できているのなら 本格的復活は 約束されている。」

※西(かわち)漢氏の実態

西漢氏の枝氏は

(A) 互いに同祖同族関係に有り

(B) 河内(和泉)に拠点を有する

(C) 旧姓(カバネ)が直で「紀」に忌寸賜姓を記さず

  忌寸賜姓が行われた天武十四年(685年)とそれほど隔たらない時期に

  忌寸のカバネを帯することになる。

以上の三条件を満たす氏族が西漢氏の枝氏と推測される。

これらの条件を具備する氏族に河内忌寸・山代忌寸・台(うてな)忌寸の三氏がある。

三氏の旧姓は直で持統・文武朝頃にはカバネが忌寸に代わっている。

☆「台」とは土壇や高殿を意味する。「台忌寸」は台の建造を職掌とした伴造氏族

とみられる。そして居住地であった岡本の地にちなんで、岡本に改めたいと

請うている。〈現枚方市岡本(おかほん)町〉

☆天平勝宝八年(756年)七月

 河内国石川郡の漢人広橋・同刀自売(とじめ)ら十三人が山背忌寸の氏姓を

 賜っている。(続日本紀)

大分県 宇佐神宮