🎐🎐 転んだ日記 (136) 🛴
「 お~~い 花子や 藤波君 勝利したずら~~ 」
「 うんだ~~ 良かったとしか言い様がない 」
「 注目を浴びるだけでも幸せな男だ 」
「 名前も知られず 試合にも出ず 去って行く選手がいかに多いか」
「 その幸せが 理解できているのなら 本格的復活は 約束されている。」
※西(かわち)漢氏の実態
西漢氏の枝氏は
(A) 互いに同祖同族関係に有り
(B) 河内(和泉)に拠点を有する
(C) 旧姓(カバネ)が直で「紀」に忌寸賜姓を記さず
忌寸賜姓が行われた天武十四年(685年)とそれほど隔たらない時期に
忌寸のカバネを帯することになる。
以上の三条件を満たす氏族が西漢氏の枝氏と推測される。
これらの条件を具備する氏族に河内忌寸・山代忌寸・台(うてな)忌寸の三氏がある。
三氏の旧姓は直で持統・文武朝頃にはカバネが忌寸に代わっている。
☆「台」とは土壇や高殿を意味する。「台忌寸」は台の建造を職掌とした伴造氏族
とみられる。そして居住地であった岡本の地にちなんで、岡本に改めたいと
請うている。〈現枚方市岡本(おかほん)町〉
☆天平勝宝八年(756年)七月
河内国石川郡の漢人広橋・同刀自売(とじめ)ら十三人が山背忌寸の氏姓を
賜っている。(続日本紀)
大分県 宇佐神宮