こんばんは。
昨年書いた2014年の北新疆の旅シリーズ、外国人旅行証の話で終えたはずですが、まだ幾つか書いていなかった写真を発見。ということで、ここでブッコミます。
コルゴス国境見学を終えて向かったのは、イーニン(伊宁)郊外の旧市街。
市内中心から約30㎞、清代には乾隆帝が精鋭部隊を配置したイリ地区の中心だったと言われる場所です。
現代の街並み。とても長閑な場所です。
ロータリーには清代に建設された恵遠城鐘鼓楼があります。こういう鐘鼓楼がある場所は、明朝・清朝の支配下にあった街を示すもののように思う。
近くには清代の官僚、林則徐紀念館があるので行ってみることにしました。
紀念館の入り口でこの辺一帯の観光地の入場券がまとめて買えます。新疆ではこういう制度が取られているようで、トルファンやクチャでも複数の見学場所の入場券をまとめて購入することができるようです(割引になると言うわけではない模様)。
最初は歴史館から見学。終始誰もおらず貸切状態でした。
歴史館は、ロシアとの攻防上、重要な位置づけであったイリ地区の歴史を紹介。
展示品は少し色あせていて・・・一部説明文が消えかかっているものも。
ここに行くなら事前学習してから行った方が良いかもです。
ちなみに林則徐のことを簡単に。清朝末期、中国で問題になっていた阿片を取り締まる大臣に任命され、広東に赴任。その際、イギリスやアメリカの商人から阿片を没収し、これがきっかけでイギリスとの間に阿片戦争が勃発。清朝は結果イギリスに敗れ、林則徐は1842年、敗戦の責任を取って伊寧に左遷させられることとなりました。
伊寧では水利事業を中心に農地改革を実施し、未墾の地であった新疆の農業発展に多くの業績を残したことを称えてこの紀念館が建てられたのだそう。
左遷された原因の一つに、広東の商人から賄賂を受け取っていた清朝官僚が、林則徐によってその収入が断たれ、恨みを買ったことが原因とも言われています。あぁ、いつの世も、どの国も、政治と金は付きものですね。
清廉潔白、新疆に多くの知恵をもたらした林則徐を紹介する場所なのに、扱いがぞんざい
辺り一帯、草ボウボウでありました。
質素な暮らしぶりを再現した展示などがありましたが、他に何があったか覚えておらず・・・。
林則徐の紀念館は、ここ伊寧だけでなく、出身地の福建省福州や、マカオにもあるようです。
こういう政治家をうまく配置できる有能な指導者がいれば、中国の今も違ったものになったかもしれないですね。
トイレは入口脇にあり。水洗のはずがトイレも手洗い場も水出ない・・・。
水が出ないと分かったのは用を足し終えた時でしたガーン