ネットで男性差別を検索しているとこんな記事を見つけた。


http://www.mypress.jp/v2_writers/lyuko_jinna/story/?story_id=1755862



上の記事であるがはっきり言ってお話にもなりはしない。


女性専用車両は、男性への人権侵害だといわれますが、その理由以外に女性専用車両が不必要であることが証明できないですし、実際の痴漢被害から女性を守るには女性専用車両は合理的であります。



正直言って女性専用車両を一両導入したからといって痴漢がなくなるわけではない。逆に男性の割合が他の車両に多く振り分けられるためである。さらに女性専用車両にだけ女が乗るのならいいが、他の車両に女が乗っているのは日常茶飯事だという抗議乗車している方達からの指摘も挙がっている。これでは痴漢対策どころか、痴漢冤罪も助長してしまう。



>それから、男性専用車両について「男女の違いをかんがえますと、現実的ではない」と考えます。なぜかというと、男性の乗車数が多いので、これを一両や二両設けても、ほとんどの男性は女性と一緒に乗り合わせることになってしまうからです。


それからこの部分。


>ほとんどの男性は女性と一緒に乗り合わせることになってしまうからです。


この部分だが、これは女性専用車両に女性が乗っていない(普通車両に女性が乗っている)こともきちんと想定していることがうかがえる。つまりこれは女性専用車両の導入があまり意味のないものだと自分から言っているようなものなんだが、それにも気付かず、冤罪防止の男性専用車両については

>冤罪事件そのものは車両編成の他の部分で起こり続けるだろうと思います。


と言うのである。男性と女性が一緒に乗り合わせることを想定していながら、女性専用車両導入の検討の場合は「痴漢は車両編成の他の部分で起こり続ける」ことをスルーして、男性専用車両導入の場合は「痴漢冤罪は車両編成の他の部分で起こり続ける」と難色を示すのである。


しかし、普通車両で冤罪が起こり続けるのはわかるんだが、男性専用車両では痴漢冤罪が起こらないという考えはないの?不思議でしょうがない。女性専用車両の場合は痴漢防止に効果があると断言するくせに。




痴漢被害から女性を救うことには一生懸命だが、痴漢冤罪に合う男性はどうでもいいらしい。


いや、ただ女が優遇されればいいのか・・・もはや女性を救うことにもなってないよこれは・・・





 男性差別問題を取り上げた場合、女から差別を助長してきたのは男にも責任があるという反論がある。さらにブログなんかで差別問題を扱ってないでリアルで活動しろという声もある。


 確かにリアルで男性差別撤廃運動することは有効であると言える。直接的に社会に訴えることができるからだが、問題もある。


例えば、女性専用車両撤廃を目指して女性専用車両に抗議乗車したとしよう。確かに女性やその他に向けて大きなアピールになることは間違いないが、もしかすると女の声によって痴漢冤罪で社会から抹殺されてしまう危険も含んでいるのだ。


これは普通車両の例だが、女の携帯電話を注意したところ「この人痴漢です」と訴えられて駅員に連れて行かれた男性が存在する。普通車両ですらこのありさまなのに女性専用車両で抗議とか・・・大変に勇気のいることである。


冤罪にあった場合社会から抹殺されるので、そもそも仕事をしていくという選択肢しかない男性は自然に消極的になる。それは当たり前のことだ。


男性差別の最初の記事で女性の社会進出をトイレの個室に例えた。


あの例え話の場合、差別を助長してきたのは男にも責任があるという愚論は


「女にトイレを使わせた男が悪い」


と言っているようなものである。


女からの反論は所詮どっちもどっちにしたいだけに過ぎない。


それにより自分への批判をそらすことができるからだ。



女の社会進出の際に男に抑圧されてきたと自らの責任は全く問題にすることもせず、男だけの責任にしたくせに


女が失態を犯せば、責任は男性にも及ぶとほざくのである。



どうしようもないダブルスタンダードだな。



そもそも男性差別撤廃運動は女が自ら行動を起こさないので仕方なく行動を起こしているにすぎない。


例え話で言うと「女が撒き散らした糞尿を男性が嫌々掃除している」という具合である。


あの例えの場合掃除するべきなのは女なのであって男性がわざわざ掃除してやる必要はないのである。


なぜ掃除していない男性(男性差別撤廃運動をしていない男性)が叩かれなきゃいけないの?


それにブログも立派な運動である。


リアルでの活動が厳しい現実ではブログで地道にやっていくしかないのである。



 社会というものをトイレの個室に例えてみよう。







トイレの個室では男が用を足し、便器が汚れるとその度に男が便器を掃除していた。


ある日その個室を女が使いたいと言ってきた。


男はしぶしぶ了解した。


女が個室から出てきたので男が入ろうとするとそこは地獄絵図。


糞尿は便器におさまりきらず、個室全体に撒き散らされている。


男は女に問いただした。


あれはおまえがやったのか?


女はそうよ、と悪びれることもなく答えた。


そして、こう付け加えた。


あなたもすればいいじゃない。


男は愕然とした。














 さて、これは一体何を表しているかというと女性の社会進出である。フェミニズム政策も当てはまるだろう。


例えば、女性専用車両導入で考えてみるとする。女性専用車両はよく痴漢防止のために設置したとされるが、実際は設置されても1つの電車の中に一両でラッシュ緩和もできず、痴漢の数も減らすことにはなっていない。まあ、男性を痴漢予備軍と見ること自体差別なのだがそれがわかっていない。


このような事例を挙げ、女性専用車両が男性差別であることを主張すると、女性は男性差別の正当性を認識しないばかりか、「あなたたちも政府に働きかけて女性専用車両を無くすなり男性専用車両なりつくってもらえばいいじゃない、わたしたち女性がそうしたように。」と言ってくることがほとんどで自分で動こうとはしない。


上の例え話でなぜ男性が愕然とし、失望しているのか考えてほしい。女は「あなたもすればいいじゃない」と涼しげに言っているが、男がその個室で用を足すのにはまず糞尿まみれの個室を掃除しなければならない。それが女にはわかっていないのである。


女が用を足すという権利だけを行使し、個室を汚した責任を放棄していることは明白である。


それに対し、男から不満の声が挙がるのは当然であるのに、女は平気で「あなたもすればいいじゃない(男が男性差別撤廃に向けて働きかければいいじゃない)」と責任を放棄し、押し付けるのみである。


なんで自分が汚したわけでもないそんな糞尿まみれのトイレの個室を掃除(自分たち男性が起こした問題ではない女性専用車両による男性差別の撤廃運動を)せにゃならんのか。


実際は男性が仕方なく掃除(男性差別撤廃運動を)しているが・・・・。


つまり、女がすべきことは当たり前のことだが自分で糞尿まみれの個室を掃除し(女性が自分たちで女性専用車両を廃止するよう訴えかけ)、キレイにしたうえで男に譲る(女性専用車両をなくす)ことである。




そんなことがこれから起こり得るとは思わないが・・・一応。