男性差別問題を取り上げた場合、女から差別を助長してきたのは男にも責任があるという反論がある。さらにブログなんかで差別問題を扱ってないでリアルで活動しろという声もある。


 確かにリアルで男性差別撤廃運動することは有効であると言える。直接的に社会に訴えることができるからだが、問題もある。


例えば、女性専用車両撤廃を目指して女性専用車両に抗議乗車したとしよう。確かに女性やその他に向けて大きなアピールになることは間違いないが、もしかすると女の声によって痴漢冤罪で社会から抹殺されてしまう危険も含んでいるのだ。


これは普通車両の例だが、女の携帯電話を注意したところ「この人痴漢です」と訴えられて駅員に連れて行かれた男性が存在する。普通車両ですらこのありさまなのに女性専用車両で抗議とか・・・大変に勇気のいることである。


冤罪にあった場合社会から抹殺されるので、そもそも仕事をしていくという選択肢しかない男性は自然に消極的になる。それは当たり前のことだ。


男性差別の最初の記事で女性の社会進出をトイレの個室に例えた。


あの例え話の場合、差別を助長してきたのは男にも責任があるという愚論は


「女にトイレを使わせた男が悪い」


と言っているようなものである。


女からの反論は所詮どっちもどっちにしたいだけに過ぎない。


それにより自分への批判をそらすことができるからだ。



女の社会進出の際に男に抑圧されてきたと自らの責任は全く問題にすることもせず、男だけの責任にしたくせに


女が失態を犯せば、責任は男性にも及ぶとほざくのである。



どうしようもないダブルスタンダードだな。



そもそも男性差別撤廃運動は女が自ら行動を起こさないので仕方なく行動を起こしているにすぎない。


例え話で言うと「女が撒き散らした糞尿を男性が嫌々掃除している」という具合である。


あの例えの場合掃除するべきなのは女なのであって男性がわざわざ掃除してやる必要はないのである。


なぜ掃除していない男性(男性差別撤廃運動をしていない男性)が叩かれなきゃいけないの?


それにブログも立派な運動である。


リアルでの活動が厳しい現実ではブログで地道にやっていくしかないのである。