娘の必ずいう「それなー」の返しに気がついたことがあります。
解離性障害とうつ病と共に生きるへなちょこです。
マグネシウム不足に
母親は学生時代、家にテレビがなく皆の会話に入れなかった。寂しかったと言います。確かにそれも1つの原因でしょう。
でも、その理由だけじゃないだろーと思っています。母親はアスパーガール。ガールズトーク能力が低く、思春期の不安定な女子の関係性に混じれなかったのではないかと。
例えば、一緒にトイレにつるむような何気ない雰囲気とか読みきれなくて一人ぼっちになるとか。
私が育ったのはそんな母親の作った家庭でした。私は育ちの中で「共感」される経験がなく孤独でした。「そうだよね」の返事の安心感を得たのは高校に入ってできた友人たちによって初めてもたらされました。
9/4の副食物費です。
牛乳1㍑2本 450円
豆腐3P 118円
納豆3P 118円
ポテチ 172円
カニカマ 107円
合計965円で差引き▲80円でした。1日分割当額2033円との差額1953円が9/5の当日割当額となります。
父親も母親も私を否定したつもりは全くなかったのだろうなと考えています。
でも肯定されないということは、たとえ否定されなくてもとてもキツいことでした。
会話が情報のやり取りに過ぎないASDの世界観では、違うときに違うと伝えることは必要でも、そうだよねの一言は不要なのかなと考えています。そして、違うときには違うという情報を出す。
私にとって両親との会話は、肯定がなく、たまに返事があるときには否定される、それが通常運転でした。
たぶん、私は随時、傷ついていたのだと思います。