親子間カサンドラ、なんて言葉あるのでしょうか?


解離性障害とうつ病と共に生きるへなちょこあせるです。



人と何かが違う、普通になりたい❗️という思いが私の人生の通奏低音として流れていました。それはそれは幼い頃。園児の時には感じていました。


それが自分の中で限界を迎えたのが16の時。どうにかしたいと手探りを始めました。学校には通っていたものの学業は二の次。ひたすら人生の模索をしていました。


担任からいただいた「あなたは価値観の作り直しをしているんだと思う」は金言でした。


現実的に限界を迎えたのが18の秋。私が人生を一から立て直している間に、青春を謳歌しながら未来へ向けて受験に挑むクラスメイトに足がすくみ学校へ行かれなくなりました。


私の人生、側から見たら受験に疲れて転落したように見えると感じます。またASDの社会性を叩き込まれていた頃の私を見ていた人には、私も特性を持っていると思われているんだろうなとも思っています。


でも、そうじゃなくて。


ASDが作り出した世界の中で息苦しく育てられたカサンドラとしての自分を大人の私自身が受け止めること。一旦、言語化していく事が今の自分に必要なことだと感じています。


8/26副食物費です。月曜日は宅配が届きます。

ささみフライ 473円

カルビクッパ 1318円

フォー 1771円

牛乳1L3本 706円

合計4268円となり差引▲2292円です。1日分割当額1967円を足した▲325円が8/27の当日割当額となります。


私自身も特性があるのかもしれないとは思います。でも、10代の入院時に沢山の検査を受けたことの内容を母親に尋ねても覚えてないそうです。どうなのよ、この母親。最近は母親は限界知能かなと思うことにしています。