誰かにアドバイスされたとき


アイディアに聞こえる?


指摘に聞こえる?



私はアイディアやアドバイスが
指摘に聞こえていて


その度に

ヒーーッガーン絶望ゲロー滝汗ゲッソリとなる


そのとき

指摘された
注意されたと感じて
あなた間違ってるよと聞こえている



自分の感じているランクによっては
あなたに言われたくないとイライラしたり
自分はダメだと落ち込んだりする。


どうしてヒーーッとなるのか?と
自分に問うと

相手と同じじゃなきゃいけない
って言葉が出てくる
相手と同じじゃないと
自分でいられない
自分らしく(自然体)いられないのは
相手と違うと自分が不正解だから
だって相手はいつも正しいから
だって自分は嘘つき(間違えている、不正解の人間なのに、正解みたいな顔して生きてる、ウソを隠して上っ面で生きてる)だから
嘘つきな自分は嫌われる、相手にされない
はじかれる
そうしたら生きていけない(分かち合うことが自分にとって何よりの悦びで愛情表現だから)
だから間違ってるけど
嘘をついて
正解のみんなのところに入れてもらっている
どこへ行っても、そもそも不正解だから
自分のランクはいつも1番下だ
そうすると
全てが保身のための
行動になっていく
そんな自分にまた残念さを感じる
劣等感




お前は嘘つきだ
お前は1番最低ランクの人間だ


そんな風に

自分がこれでもかってほど
自分に指摘して
常に指差して監視してるから


人から何か違う意見を聞くだけで
それをアイディアじゃなく
"指摘"と受け取るんだろうな。


そこから派生して
自分のハッシン、変わらないなって嘆きがある。

なんで変われないんだと思ってたけど

こんなに自分を責めていたら
自分を見て!わたしをわかって!
正解だと言って!って

承認欲求からのハッシンになるよね。

中でも、自分と関わりが大きい人の声に
非常に強く同じでなきゃいけないが現れる


だから夫がNVC嫌って言うと
プレゼンしてわかってもらわないといけなくなってた。同じじゃないと私の好きなもの、信じるものが間違ってることになるから、証明したかったのかも。





この、相手が正しくて
自分が間違ってるは根深くて

思い起こすエピソードは

太っている自分。
それは今もずっと変わらずセルフイメージとしてある。


小学生時代

身体測定すると、肥満児の紙をもらうかもらわないかの軽肥満児で

それは大人になってからもそうだし、今もそう。

自分が周りの子と違うのは、わかっていたし
自分が太ってることも自覚して、気にはしていたけど、勉強や運動は周囲と比べるとできてたから

そういうところで自己価値の承認をしてたと思う。

ある日、隣の家の女子が
わたしのズボン👖を履いて
ブカブカ〜 と言った

そのとき、恥ずかしくて
悔しくて、相手をビンタして
泣かした記憶があるキョロキョロ

私は悪くない
屈辱感
太ってる自分が嫌い

欲しかったのは
自己価値の承認
多様性
祝福

どっちもいいね
どっちも面白いね
そんなあなたが、自分が愛しいね

そんな風に悦び合えてたら…

でもさ、、心の中でバカにしてたのは
自分だった

私より
勉強できないくせに
運動できないくせに

私の価値を守るために
相手を下に見るクセが付いてた


自分が太っている自分を
いつも見下してるから


他人から見下されてると感じるんだ




で!

前置き長すぎるけど

ここから

情報書き換えていくよウインク


まず"太ってる"とは?
どんな基準?

バランスが悪いこと
美しくないこと
ぶよぶよ
凸凹
ぱんぱん
血流悪そう
滞ってる
不健康


痩せてるとは?

美しいライン
でも、艶がなく、シワシワでは
美しいとは違う


美しいとは?

なめらか、艶々
艶(なま)めかしい
内側からきれい


正解のカラダとは?

例えば渡辺直美ちゃんは?

太いけれど、彼女にとって正解のカラダだと思う

彼女が彼女であるために
あのボディが必要スター


マツコデラックスは?

あのボディである意味がある

ボディを最大限活用してる気がする


じゃあ、わたしは?

今のカラダである
"意味"は見出せてるだろうか?

ー否。


今のこのカラダを最大限活かして
できることはあるだろうか?


ー変化を魅せていくことはできるかもしれない


世のバツグンなスタイルを正解に置いてない?

ー置いてる。
正解に置いてる人の共通点は…

・そのカラダである必要がある
つまり
・そのカラダである意味がある
・そこに太った、痩せたは重要ではない

・美醜じゃない内側から醸し出される
隠せない美しさがある
・カラダに素直である

・太ってるどうこうじゃなく健康的に見える


自分に合うのは本当に世の中の正解だろうか?

ー否。
誰もわたしにバツグンなプロポーション求めてないあんぐり

何かハッシンする者として

わたしのハッシンしたことを

実践してもらった先に

心身共に健康的で

豊かさ、幸せが伝わる見た目だったら

いいじゃないか!


それってつまり、どんな見た目のこと?

・肌に艶とハリがあって潤っている
・内側からの健康美からなる透明感
・美醜ではなく、その人本来の美しさ
・カラダのカタチは
バツグンなプロポーションでなくていい

ただし

運動や農作業をして
ブヨブヨしたり
タプタプしてる分はない方が説得力がある


・膣トレや膣ケアで"美"を伝えていくなら
それをすることで目指したいと思ってもらえるような

体質やカタチが必要だと思う


要するに

なんか一言では言えないけど幸せそう

って感じてもらえる情報が乗った
見た目を目指せばよい



それは、バツグンなプロポーションではない



ところで、健康とは?

ー痛みがない。なめらか。スムーズ。


なんとなくの不調がないこと。

慢性的な痛みがないこと。


何かあったときに、セルフケアできること。

むしろ何か起こる前に予防していること。


感情のケアがセルフでできること。


それってつまり

自己管理できること!


それがわたしにとって、健康的であるということ。



こんな風に
自分の常識を疑ってみる

自分の定義を言語化する


そうすると


これっている?とか

これってズレてない?って


意識に上げることで


バカバカしくなったり

必要ないものだと選び直せる。



そして、わたしは
新しい価値観を選びます飛び出すハート



一、自分にとって正解のカラダになる乙女のトキメキ


二、そのカラダである意味や意図を持って使う


三、ゴールに合うカラダづくりをする



このカラダである"意味"

そう言えば…
産後LLサイズだったところから
Lになり、Mも選べるようになった

心の不調はなくなった
肌ツヤも良くなったし
今も変化を続けている

そんな"あるもの"を認めて
楽しそうに変化していく姿を見せることが

今のカラダである"意味"かもしれない。



自分にとっての正解は
肌艶の潤い
心身の健やかさ
なんか幸せそうっていう情報から漏れ出る美しさがあること

そういう人は

当たり前に
運動しているし
食事に気をつけていて

何よりも健康を大切にしている

貢献するためにー。



わたし達は


遺伝子として


貢献したがっている



長くなったので



続き次のブログで