拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere -2ページ目

LED電源

 ようやくLED電源が完成した。手書きの回路図をつけます。
 電話機のアダプター12V 300mA を流用した、パワーアンプ史上希にも見られない超非力電源である。
 ステレオ誌付録のアンプが通常使うのがせいぜい100mAだというので、これでもデスクトップで聴くには充分だろう。出力トランジスタも熱くはなっていないようだ。
 そんぴさんにならって整流器の後ろに小さなコイルが入っている。これで 0.2V電圧が低下した。
 LED には設計値の8mAを超える電流が流れているらしく、白色LED は明るく輝き、 順方向電圧は一個あたり 3.12V程度になり、出力電圧が予定より1V近く上昇した。これは一個を緑に替えればいいだろう。
 定電圧電源のはずだが、電圧はかなり変化する。
 無負荷のときには15.4Vなのだが、使用時には13.5Vくらいになってしまうのだ。何かを間違えているのだと思う。入力と出力の電圧差が小さすぎるのか。コンデンサの容量が小さすぎるのか。

 肝心の音質だが、期待していたほど良くはない。ただ、Luxman の電源と比べるとわずかに音の透明感が増しているように思う。ヴェールが薄くはがれて、アタック感がでて、音が少し野性的になった。出力のコンデンサーが新品のOSコンなので、例によって200時間のエージングが必要だろう。判定はその後に。

$拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere

「服部伸六詩集」

服部伸六 大島博光 末永胤生編
 大島博光さんゆかりのブログに「服部伸六詩集」の解説が採録されていた。
 末永胤生画伯のデッサンもついている。
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-997.html

国境なき時代のナショナリズム   服部伸六

国境なき時代のナショナリズム

服部伸六

テロの黄昏
 衛星放送で《フランス2》を見ていますと、このところ国際テロリストとして名高いカルロスの名が出っぱなしです。
 カルロスのことを、私は南米生まれの軽薄なヤクザ暴力団の親分だぐらいにと思い込んでいたのですが、こんどその履歴を知るに及んで、共産主義の息のかかった組織の首魁であることを知り驚いています。彼が筋金いりの共産主義者であるとは、とうてい思えませんが、活動の根拠がつねに共産圏にあったことは事実のようです。
 逮捕されてフランス当局に引き渡されたのはアフリカのスーダンでした。スーダンはイスラム原理主義者の祖国を任じている砂漠の国です。東西冷戦がなくなってからは、もめごと発生の本場の観があります。アルジェリアの過激派や、エジプトの国際犯罪人が逃げこむのもここであり、ここには閣の武器が公然と取引される闇市が栄えているということです。また、北アフリカの暴れん坊、リビアのカダフィとも組んで西欧キリスト教諸国から嫌われものになっています。
 そのスーダンは札付きのカルロスを保護しなければならないのに、なぜカルロスをフランスに引き渡したのか。フランスのパクスクワ内相が「裏取引はなかった」と公言しているにもかかわらず、私が得ている情報によると、相当の込み入った国際問題が浮かびあがってきます。
 スーダンは以前から武器売買に励んでいますが、その代金の支払いに困りフランス大銀行「クレヂ・リオネ」に融資を求めました。ところが銀行はその融資にOKを出したのです。これが裏取引の噂の出所なのです。現在、国営に近いクレヂ・リオネはカルロスの引き渡しを条件に融資を承知したのだとの噂が出たという訳ですが、十分ありうることだと思えます。というのは、フランス政府は従来から政府がらみの商取引など、こっそり行いながら、いっさい外部には秘密にして来ているからです。モロッコのベン・バルカ事件として有名な行方不明の左翼指導者のその後は迷宮入りのままです。
 それに加えて、現在の世界では、麻薬やエイズ、それに武器、それも小型軽量兵器にとってはとっくの昔から、国境はなきに均しいのです。世界中に出回っている軽量兵器のおびただしい数を調べたら、世界の裸の本当の姿が浮かび上がるに違いないと思います。世界の裏の、夜の姿ではないでしょうか。
 いま毎日のマスコミを賑ぎあわせているアフリカの中部の国ルワンダの内戦の真の原因は、スーダンからの武器輸入にあるといえます。スーダンの武器を買ったのは、ルワンダの北にあるウガンダなのですが、ウガンダ国軍の手に渡りはしたものの、その一部は、いま問題の「ルワンダ愛国戦線」(FPR)のゲリラ兵士たちへと流れていきました。それもその筈です。このゲリラは現ウガンダ政権のクーデターを助けて勝利に導いた功績があったからです。その恩を売りつけた、という訳です。
 ルワンダの首都キガリには今、勝利したこの愛国戦線が中央政権を作っていますが、その実力者ポール・カガメはウガンダで軍を指揮した軍人なのです。ウガンダは彼に借りがあるわけです。そのお返しに武器を渡したということでしょう。ルワンダ愛国戦線は六年前から組織を強化して、南への進出を策していましたが、今年の四月六日、ルワンダの大統領を乗せた飛行機が何者かが放ったロケット砲により砲撃され、大統領が殺されるという事件の発生を機に南方制圧に決起しました。それもこれも、スーダンから売りこまれた武器があったからのことです。カガメが語ったと伝えられる話によれば、「向こう一年間は戦闘を続けられるだけの兵器は持っている」ということですからルワンダでの勝利は確保されていると言っても間違いありません。
 というのは、これら武器に対して敵対するルワンダ国軍には、フランスが援助した兵器、南アフリカ(この四月に全人種投票で多人種国家を成立させたマンデラの国)が売りこんでいた武器をもって対抗はしたものの、愛国戦線の武器や士気には及びませんでした。
 現在ザイール領に難民となって国連事務総長を悩ませているのは、負けたフツ族の人たちです。勝った方のツチ族を主体とした愛国戦線の政府が今ルワンダの主人となっています。内戦の原因は、部族対立という古い社会問題を抱えるアフリカ人にあると考えられ勝ちですが、従来から武器をもって国際紛争の解決の手段と考えてきた西欧の戦争好きな国民国家にこそ責任があると私は考えてきましたが、ここへきてその正しさを噛みしめています。
 山刀やコン棒しか、武器らしいものをもたぬ農民に自動小銃や手投げ弾を売りつけた先進諸国といわれる国の軍事協力がなければ、二〇〇万ともいわれる大量殺人は起こりえなかったはずだからです。
 とはいえ、部族抗争を含めて、国際テロは黄昏に面していると、私は考えています。なぜなら、これは大変むずかしいことではありますが、人々は武器マフィアの取り締りの重大さに気づき始めているからです。
 このことは凄く困難な事です。というのは兵器産業は西欧先進国の重要な産業としての地位を失っておらず、政府の幹部としっかり結ぼれているからです。例を上げればフランスのダッソウという戦闘機をはじめ武器製造に企業の運命をかけている会社は国の政府の首根っ子を握っていると思われるからです。

工業革命と国民国家
 工業革命と国民国家日本の維新革命は欧米の文明社会ヘ追いつくために近代工業への参入を急いだのですが、そのとき多くの翻訳語を準備しなければなりませんでした。工業革命を産業革命と訳してしまいました。目くじらを立てるほどの誤訳ではありませんが、やはり正しく「工業革命」とすべしと、私は考えます。農業はたしかに産業ではありますが、工業ではありません。国民意識をひとつに纏めたのは工業であって農業ではありません。
 もし日本が農業国家の域にとどまっていたとしたら、日清戦争も日露戦争もなかっただろうし、台湾や朝鮮を植民地とすることもなかったでしょう。
 「国民国家日本」というものが誕生するには工業が欠かせませんでした。国民国家と戦争は切り離すことができません。
 というのは、ナポレオンの超国家主義戦争をはじめとして戦争に明け暮れた国はだいたい似た国柄を備えていたからです。同一人種、同一言語という点で、そんなに違いはなかったからです。その際、生まれた国家はよく戦争をしました。領土の取り入れをめぐって、または植民地の領有をめぐっての争いでした。工業革命によって大量生産が可能になったので、製品の売り先をめぐって絶えず争いごとが絶えなかったからです。イギリスの例を見れば明らかです。アメリカ黒人の安い労働力で作りあげられた綿布を世界中に売りこむため、世界中に基地を広げたこの国は各地で戦争を余儀なくされましたが、その結果大英帝国を築き上げ、国民国家の模範となりました。
 しかし、それも今世紀になってから衰退に向かいました。その後はご存じのとおりです。それぞれの国は国家意識の強化を必要としましたが、しかし、それには落とし穴がありました。戦争という悪です。もっとも典型的なのは仏独聞のそれで三回も大きな戦争がありました。
 こんなことでは困るというので地域統合への試みがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。この反省からようやくのことで、一九九九年ごろにはヨーロッパ同盟が完成することになりそうです。ヨーロッパに限って国境が撤廃されることになるという明るい見通しが生まれたのです。進歩と言えるでしょう。国境がなくなれば、すべては話し合いで解決されることになるはずです。こまごました争いは絶えることになり、素晴らしい世の中になったのですが、しかしこれは、地域の聞に限られていますから全世界という訳には参りません。世界にはまだ沢山の人間の住む地域が広がっています。第三世界と呼ばれていた地域、そこではまだ殺し合いは絶えません。ひょっとすると、これは代理戦争と呼べるものかも知れません。先進工業国では武力による問題の解決はなくなったとしても、長い間に育ててきた軍事産業から生じた廃棄物はまだ大量に残っています。ロシアの核兵器やその付属物の処分をめぐって、さまざまな不安の種が残っています。プルトニウムがロシアからお隣のドイツに闇で売られていたというニュースには開いた口が塞がりません。製造にかかわった職員がその取引にかかわっていたというのですから。通常兵器、それも軽量の殺人兵器に至っては、どこでどうなっているのか誰にも分からないでしょう。長びくボスニアの殺し合い、旧ソ連の植民地にほかならなかった僻地の新興独立国間のもめごと、それにアフリカの内戦を加えれば、二十一世紀が抱える不安定な未来図は見えてきます。
 ついでに、地球上の人間の営みも想像がついてきます。進んだ地域と遅れた地域との差異色、やがては縮小されるものと考えられますが、そのときの大問題は、おそらく人口問題でしょう。一方で自由貿易のブロックがあるのに、他方では戦いに明け暮れる地域があるという構図は、いますぐ解消とは行かないでしょうが、そのうち解消に向かうことは歴史の教えるところです。
 私は先日、来日したウガンダ大統領ムセベニさんの準備した宴会に呼ばれたとき、大統領の演説を聞いて、わが意を得たりと感じました。彼が言うには、ウガンダを含む、あの地域は言語が共通なので、やがては国境はなくなるだろうとの楽観的な見通しを述べましたが、旧植民地宗主国の余計な介入がなければうまく行くのだということです。余計な介入とは武器の売りこみもその一つです。国境廃止の決め手になるのは。
 国家の介入を廃する地域ごとの協力ができれば平和は可能となります。たとえば今、新潟とロシア東岸を結ぶ経済協力です。新しい展望ですが、国境の撤廃は中央政府でなく民間のイニシアティブで実現するものと私は信じています。それに日本でも始まっている地方分権也、その促進に貢献するでしょう。

国連と世界政府
 ボスニアのような国を低開発国と呼んでは気の毒ですけれども、地域住民の安住の地を求める願いを、いまのようにがりがりの敵意だけでしか受け止められないというのは、情けないと言うよりほかありません。
 その原因は殺し合いで利益を得ている人たちがいると言う事です。武器の闇商人マフィアたちです。カネ儲けにつながるからです。
 ところが、その他にもいそうです。地球上に黒人などのような蛮人がふえることを困ると考える人たちの存在です。それは、いったい誰でしょう。ローマクラブのおじちゃんたちかもしれません。上等なアルコールで上機嫌になったあまり、台所の片隅に陣取った気心の知れた仲間うちで、一日に何万という人命が失われるのを子をたたいて喜んでいるとしたら、どうでしょう。
 もちろん公式の場で口外できる話題ではありませんが、私には聞こえてくるんです。彼らのホンネが。《遅れた人種には死んでもらった方が助かる》のだというホンネが。私もあちこちの外交団のレセプションでそんな囁きを耳にした経験があります。無責任な放言といえば、それまでですが、アフリカ人が聞いたらどう反応するでしょうか。殺し合いを自粛する気になるものでしょうか。だがしかし、本当のところ、それを聞いても怒らずに、自制の上で産児制限に努力してもらいたいものです。このほどカイロで開かれている人口会議では、ほとんど問題にもなっていませんが、中国シナのように一人っ子政策を広めてもらわねばなりません。それと同時に、宗主国から押しつけられた国境が生んだ部族間の争いも止めてもらわねばなりません。人口抑制問題は別の方法で解決すべきなのです。教育の普及もそのひとつの選択でしょう。宗教問題も科学と理性の力で人口抑制に力を貸してもらいたいものです。
 いったい、どれほどの人口が、この地球上で受容可能か決めるのは難しいでしょうが、紀元二〇五〇年ごろには一〇〇億を超える見通しにはどう応えたらいいのでしょうか。多いのでしょうか、まだ余裕があるというのでしょうか。分かりません。

国連の役割の重大さ
 東西冷戦の終結は国連に大きな荷物を預けることになりました。世界新秩序の策定という任務です。ソ連なきあとの世界で、たった一つの大国となったアメリカは、その役割を引き受けるのをためらっているように見えます。世界中に軍隊を派遣することは大変な負担でしょう。代わりに誰かにやってもらうとしても、誰もやろうというドン・キホーテのような馬鹿げた国はなさそうです。ドイツと日本が狙われていますが、そんな役割はまっぴらで、引き受けぬほうが賢いのです。ここは国連を大きく改組して、国連中心主義を達成すべきでしょう。そんな国連の改組役になるのであれば。それこそ、戦争をあくまでなくしたいという日本の役割のはずです。その意味でなら国連安保常任理事国への日本の昇格は大賛成です。
(詩人・評論家)
           (注)この所論は94年秋に書かれたもの——編集部

 文明論講座〈第五号〉  平成7年10月1日発行
 発行者         社会人大学文明論講座

1968年7月5日、バラード・インタビュー

 バラードの伝記 Inner Man の冒頭に、オランダの翻訳家として紹介されているジャニク・シュトルムによるバラード・インタビュー。
 1968年7月5日、バラードの自宅において収録された。オランダ放送のために企画されたものであったが、沙汰やみになったので、スウェーデンのSF誌に掲載され、さらに米国のファンジン「スペキュレーション」に転載された。本訳はこの「スペキュレーション」誌に拠っているのだが、原テクストを喪失したため、細部に不明の点があることを了承されたい。

シュトルム まず初めに知りたいのは、どのような次第で書き始めたのですか?

バラード  書き始めたのは学生の頃だ——私はケンブリッジ大学で薬学を学んでいた。薬学に非常に興味があり、そこで学んだことは全て非常に役立っている。解剖や生理学やそのほか全て。膨大なフィクションのように思える。大学では毎年、短篇小説のコンテストがあって、私も1篇書いたのだが、それがその年の第1位になったのだ。私はそれを青信号だと考え、薬学をやめて、数年後には処女作を発表できた。もともとは英国の文芸誌「ホライズン」とかそうしたたぐいのものに書こうとしていた。実験的な性格をもった全くの普通小説として。その後で、サイエンス・フィクションのことを考えた。当時はどこを見てもアシモフ、ハインライン、クラークで——50年代中頃のことだ——私はこれらの作家たちはサイエンス・フィクションに作りだすことができる多くのものを作っていないように思えた。新しい種類のサイエンス・フィクションが書かれなくてはならないと感じたのだ。

シュトルム あなたのサイエンス・フィクションは、言われるように古いサイエンス・フィクションとは違っています。どういうふうにでしょう?

バラード  1940年代50年代の現代アメリカ・サイエンス・フィクションはテクノロジーの大衆文芸だ。そのもととなったのは「ポピュラー・メカニクス」のような、30年代に出版されていたアメリカの大衆雑誌で、科学とテクノロジーの楽観主義の全てはその時代の中に見いだせる。30年代の雑誌を見ていて、30年代に出版された本を読んだことを思い出せる者なら誰でも、私の言う意味がわかるだろう……驚異が満ちあふれていた。世界最大の橋、最も早いこれ、最も長いあれ……科学とテクノロジーの驚異が満ちていたのだ。この時代に書かれたサイエンス・フィクションは科学が世界を再創造するのだという全くの楽観主義から生まれていた。その後、ヒロシマやアウシュヴィッツがあり、科学のイメージは全面的に変貌した。人々は科学に対して非常に懐疑的になったのだが、SFは変わらなかった。いまでもそんな楽観的文学が見うけられるが、科学の可能性に対するハインライン、クラーク、アシモフ型の態度、これは完全な過ちだった。50年代の水爆実験の最中には科学がより魔術に近いものとなりつつあるのが見てとれたことだろう。それでもサイエンス・フィクションは当時、外宇宙の観念と同一視されていた。おおむねそれが多くの人がサイエンス・フィクションに対して抱くイメージだった。宇宙船とか、異なる惑星だ。そしてそれは私にとって何の意味もないものだった。私にはそれらが私が最も重要と思う領域、私の言う「内宇宙」——この言葉を初めて使ったのは7年前のことだ——心の内部世界と現実の外部世界が出会う場所を無視しているように思えた。内宇宙はマックス・エルンスト、ダリ、タンギー、キリコなどシュルレアリストの絵画に見られる。彼らは内宇宙の画家であり、私はサイエンス・フィクションもこの領域を、心が外側の世界とぶつかりあう領域を探求すべきだと感じた。単に幻想小説の中で扱うのではなく。これこそ50年代初期のSFのまずいところだ。幻想小説になってしまうのだ。それはもう真剣で現実的な小説ではない。そこで私は書き始めた……私は3冊の長篇と70篇近い短篇を過去10年の間に書いた——おそらくその中で宇宙船の登場するのは1篇しかないだろう。それも単に通り過ぎるものとして触れているにすぎない。私の小説は全て現在、あるいは現在に近い時に背景をおいている。

シュトルム なるほど、それがあなたの風景がリアルでない理由のようです。一種、象徴的なものなのですか?

バラード  そう、風景は私が現代を自然主義的に描かないという意味で、リアルではない。だが、最近書き始めた1群の小説、それは項目形式で書かれていて、私は濃縮小説と呼んでいるが、その中で私は現在の風景を取りいれている。明らかなことだが、もし小説の舞台の多くを数年先に置こうとすれば、ある程度は風景を創りだして用いなければならない。なぜなら20年後のロンドンやニューヨークを自然主義的に描くことなどできないからだ。かなりの程度に風景を創りださねばならない。

シュトルム あなたは科学に対して、たとえばレイ・ブラッドベリのように、非常な敵意を持っていると思われています。しかし同じというわけではないと思いますが?

バラード  私の敵意は科学それ自体に対するものではない。科学的志向性は存在するほとんど唯一の成熟した志向性だと思う。私が敵意を持つのは、人々が抱く科学のイメージなのだ。人々の心の中でそれは驚異を呼び起こす魔法の杖となっている。アラジンのランプのようなものだ。物事を単純化しすぎる、あまりにも便宜的に。科学は現在、実をいうと、フィクションの最大の創造源だ。100年前、あるいは50年前ですら、科学は自然界から素材を得ていた。科学者はガソリンの沸点や星の地球からの距離を解き明かしていたのだが、今日、特に社会学や心理学において、科学の素材は科学者たちによって創り出されたフィクションだ。つまり彼らはなぜ人々がガムを噛むのかとか、その類のことを解き明かそうとしている……そうして心理学や社会学は膨大な量のフィクションをまき散らしている。彼らこそ主要なフィクションの創造者だ。もはや作家ではない。

シュトルム いわゆるニュー・ウエーヴ、たとえば「ニュー・ワールズ」で自己主張している人たちについて、どう思いますか?

バラード  ニュー・ウエーヴは私だ!! そう、ニュー・ウエーヴ……私は端緒についたばかりだと思っている。煉瓦の壁に10年の間、頭をぶち当てつづけてきて……今ようやく人々は私が考えすぎの間抜けではないということを認め始めている。私が最初に書き始めた時には、多くの人にそう思われていたのだが。あまりに長くかかったので、宵越しの奇蹟が起ころうとは期待もしていなかったが、もう承知のように、若い作家の一群が登場している。トム・ディッシュ、ジョン・スラデック、マイケル・バターワース。その他にも、こちらにやってきたアメリカの若い画家、パム・ゾリーンのような者たち。彼らは異質のサイエンス・フィクションを書きはじめているが、いわゆるニュー・ウエーヴを固めるに充分なほど長くサイエンス・フィクションの内部にとどまるのか、それとも——こうなるのではないかと考えているが——全員が直ちにサイエンス・フィクションの外に出て、サイエンス・フィクションに負うところの全くないスペキュラティヴ・フィクションを書きはじめるのか、私にはわからない。

シュトルム すると同じことがあなたについても言えますね。あなたは自分自身をサイエンス・フィクション作家とは考えていないのではないですか?

バラード  アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークがサイエンス・フィクション作家であるという意味では、私はサイエンス・フィクションの作家ではないと考えている。率直に言えば、シュルレアリスムもまた科学的な芸術だというような言い方をすれば、私もまたSF作家であると思う。ある意味でアシモフやハインラインやアメリカSFの巨匠たちは実際には科学について何一つ書いていない。彼らが書いているのは便宜的に『科学』とラベルを貼られた空想上のアイディアの組み合わせについてなのだ。彼らは未来についての一種の幻想小説、西部小説やスリラーに近いものを書いている、だが科学に関わるものは全く皆無だ。私は薬学、化学、生理学、物理学などを学んでいるし、5年間は科学雑誌の仕事をしてきた。「アスタウンディング」つまり現在の「アナログ」のような雑誌がいくらかでも科学に関わりがあるという観念はばかげている。科学とは何の関わりもない。「ネイチュア」のような雑誌や、あるいはどんな科学雑誌でもよいが、それを手にするだけで、科学が全く異なった世界に属していることがわかるだろう。フロイトは分析的志向性(おおむね科学のもの)と総合的志向性(これは芸術のもの)とを弁別すべきだと指摘している。ハインライン=アシモフ型のサイエンス・フィクションのまずいところは、完璧に総合的である点だ。フロイトはまた、総合的志向性は未熟さの表象であるとも言っており、古典SFはそこにおちつくのだと私は思う。

シュトルム あなたは「ニュー・ワールズ」にいくつか広告をのせていますね。どういう考えなのですか、その意味するところは?

バラード  あれは1年ほど前のことだったが、広告というのは作家が関心をもつものとしてみる限り、未知の大陸、イメージとアイディアの一種の処女地、アメリカではないのか、とすれば作家たるもの活き活きした潜勢力旺盛などの領域にも分け入っていくべきではないかという考えが浮かんだのだ。そして、私の短篇、私のフィクション全般のうちに組み込める多くのアイディアを私はもっているが、それは直接的に表現する方がいいのではないかという考えが浮かんだ。製品の広告の代わりに、アイディアを広告するわけだ。これまで3つの広告を出してきたし、これからも続けたいと思う。この広告の中で、私は極度に抽象化されたアイディアを宣伝しているのだが、これはアイディアを押し出すよい方法だ。もしもこうしたアイディアが短篇小説の中にあるとすると、読者はそれを無視するだろう。彼らはこう言うだけだ。「またバラードか、さっさとストーリーを読もう」 しかしもしそれが広告の形で「ヴォーグ」誌や「ライフ」誌に載っているもののように差しだされていれば、読者はそれに目を留めざるを得ないし、それについて考えざるを得なくなるだろう。私はこれを続けたいと思うが、唯一の障碍は出費がかさむことだ。究極的には雑誌が掲載する広告に金を払ってくれることを望んでいる。

シュトルム あなたが散文エディターをしている「アムビット」ではドラッグの影響下で書かれたもののコンテストを催しましたが、あなた自身「アムビット」で認めたように、普段あなたが「アムビット」で産み出しているものと非常に接近していましたね。そのことについてコメントを。

バラード  文学コンテストは決して何も、傑出したものは一つも産み出さない。新聞や雑誌では何年も最優秀短篇とか最優秀紀行文とかのコンテストをつづけているが、送られてくるのはどれもこれも独創性がなく、興奮もさせない。我々が受けとる候補作は興味深くはあるのだが、その理由はおそらく文学的なものではなく、むしろ履歴的なもの、人々が小説を書く、詩を書く状況にあるのだと思う。これは興味深いことで、私は興味を持つにふさわしいと思う。その上、同じ時にサイケデリア、ある種のサイケデリック革命について多くが語られ、全くたくさんの新しい芸術が、ドラッグにもとづいて、あるいは触発されて産み出されようとしているのだからね。そしてコンテストの結果をみれば、実際にはドラッグはそれほどの影響を与えておらず、彼らが近道したり短絡したりしていることが分かるのは面白いよ。

シュトルム ところであなたはウィリアム・バローズの讃美者として有名ですが、彼のスタイルに影響を受けたかどうか話してください。

バラード  ないな。あってくれたらと思うのだが。バローズと私は完全に異質の作家なのだ。私が作家としてのバローズを讃美するのは、彼の方法によって20世紀の風景が全く新たなものとして創造されたからだ。彼は一種の黙示的風景を作り出し、ヒエロニムス・ボッスやブリューゲルに近づいている。どのような意味においても彼は田園の作家ではない。彼は悪夢の作家なのだ。私がバローズを読みはじめたのは約4年前で、影響を受けることになるのかもしれないが、私には分からない。だが今のところは確実に影響は受けていない。ただ受けているという人もいるだろう。その人たちは全く誤っている。

シュトルム 実際にはあなたの創作スタイルには著しい展開がありますね。全く普通の小説から書きはじめて、今ではあなたが「濃縮小説」と呼ぶような作品に達している。

バラード  その過程は革命ではなく進化だろう。私は『燃える世界』という長篇、『沈んだ世界』につづく二冊目の長篇を書いた。これは荒廃した地域についての長篇。それを書いているうちに非常に抽象化された種類の風景の幾何学を、非常に抽象的な登場人物間の関係を探求しはじめている自分に気づいた……そこから進んで、私は「終着の浜辺」という短篇を書いた。これは水爆実験が行われた太平洋上の島、エニウェトクを舞台にしている。この中で私は再び登場人物を、小説内の出来事を、非常に抽象的な、ほとんどキュビスト的な方法で眺めはじめた。登場人物のさまざまの側面を分離させ、叙述のさまざまの面を分離させた。どちらかといえば科学調査員が奇妙な機械の動く仕組みを知るために分解するように。私の新しい小説、私が「濃縮小説」と呼ぶものは「終着の浜辺」から茎を伸ばした。ただし「浜辺」の発展ではあるが、私のしてきたことが革命であったとは思わない。長年にわたる着実な変化にすぎない。

シュトルム 新しい小説の中であなたはジョン・F・ケネディやエリザベス・テーラーその他の実在の人物を登場させていますね。なぜでしょう?

バラード  1960年代が重大な転回点を示していると感じるからだ。初めて、冷戦の終結によってだと思うが、初めて外部の世界、いわゆる現実界が今やほぼ完璧なフィクションになってしまった。メディア風景と言い換えてもいい。ほとんど完璧に、広告やTVや大量販売や、宣伝として遂行される政治などによって支配されている。人々の生活は、個人のプライベートの生活でさえ、私がフィクションと呼ぶものによって次第に管理されつつある。フィクションとは想像的な趣旨で創りだされたあらゆるものという意味だ。例をあげれば、人々は飛行機の切符を買うのではなく、またたとえば単に南フランスやスペインに行く交通手段を買うのでもない。人々が買うのは、特定の航空会社のイメージ、その航空会社のホステスが着ているミニスカートなどなのだ。実際にアメリカの航空会社が売りこんでいるのはそうしたものだ……また家の中のものでも、人々は家のために、家をどう飾るかによって買うのであって、話しかたにしても、選ぶ友人にしても、全てがフィクション化されつつある。だから……現実とは今や1個のフィクションであると思い定めれば、作家はフィクションを創出する必要がなくなる。作家と現実との関わりは完全に別種のものとなる。作家の仕事はフィクションを作りだすことではなく、現実を発見すること、現実を作りだすことにある。フィクションはすでにここにあるのだから。20世紀の最もフィクション的人物は、ケネディ家のような人々だ。あれは20世紀のエイトリウス家だよ。私が取りいれるそうした人物像、あれは個性ある人物として取りいれているわけではない。ある短篇の中で述べたように、エリザベス・テーラーのような映画俳優の肉体はみなが無数の映画看板で、無数の広告で毎日、そして映画の画面の中で見ているものであって、彼女の肉体はリアルな風景そのものなのだ。それは我々の生活においては、体系をなす山脈や湖沼や丘陵のどれにも勝るとも劣らないリアルな風景だ。だからこそ私はこの素材を探求し、取り込もうとしているのだし、これこそ1960年代のフィクションの素材だ。

シュトルム 「SFホライズン」でブライアン・オールディスは「バラードがファンジンで論じられることは希だ」と書いています。時はあきらかに彼が誤っていたことを証明し、今ではあなたはファンダムで最も論じられる人になっています。ファンダムそのものについてどう考えますか?

バラード  そんな事情とは知らなかった。ファンジンなど見たこともないから。私はファンとどんな接触ももってはいない。私のただ一度のファンダムとの接触は、ちょうど私が書きはじめた頃、12年も昔、1957年に世界SF大会がロンドンで開かれていた時のことで、私は若い新人作家としてサイエンス・フィクションのまじめな目的とあらゆる可能性に関心をもつ人々と会うために出かけていった。ところが実際には全く知性のない烏合の衆にすぎず、ほとんど無教養で、サイエンス・フィクションの真面目で興味深い可能性のどの一つにも関心をもたない連中だった。実際、この大会には本当に驚いてしまい、2年の間ほとんど書くことを止めてしまったほどだ。それ以来、私は全く完全にファンとの関係をもっていない。あの連中がサイエンス・フィクションの大きなハンディキャップだし、これまでもそうだったのだと思う。

大昔の放射能調査

 小学生の頃の話であるから、なんと半世紀前のことである。九州電力の根中治さんのチームに加えてもらって,宮崎県清武町の自然放射能の調査に同行したことがある。
 宮崎市から出発し、峠を超える。ここで大型のガイガーカウンター(だと思う)を三脚に載せ、地面に向けて、計測する。アナログ・メーターの数値を読み取るのが、わが任務である。近くにフズリナの化石を含む柔らかい石があり、採取する。
 坂を下って清武町に入り、何カ所か計測する。自然放射能がどの程度であったのか、記憶は無い。一面田んぼの中、農家の台所を視察。井戸があり、その上に蓋がかぶっていて、そこからパイプが伸びてガスコンロにつながっている。コンロは一日中、中火の状態で火が点けられたまま。
 他にも井戸からふつふつとガスが上がっているところもあった。
 九電では発電に使えないかと、ガスの多く出るところを探査したのだろうが、商業レベルにはならなかったのだろう。

 根中さんは手の指がたぶん6本くらいしかなかった。事故で失ったというので、その手をしげしげと眺めさせてもらった。しかしなめらかに皮膚はつながっていて不思議に思った。
 フズリナの化石を学校に持って行って見せびらかしていたら、先生に持って行かれた。その後、何の話も無いのでどうなったのかと思ったら、理科の標本棚に鎮座ましましていた。
 根中さんは北九州の地名がアイヌ語であることを明かす論文を発表している。奥さんがフランス人だったので、親父と話があったのだろう。息子さんたちは銀座でレストランを経営されていたが、今どうしておられるか。

SC440 に Snow Leopard

 我が家のパソコン、デルの最後の低価格サーバー SC440 に、ようやくSnow Leopard を導入できた。
 一昨年のことになるか、Snow Leopard が登場したとき、どうやってもSC440 に導入できなかったのである。ところが、昨年暮れ、あるブログでiAtkos S3 を使えばすらすらできるよと教えられた。年明けて、ようやく準備ととのい、実行に移した。
 ほんとにあっけなく導入できた。一昨年にもこれを試したはずだが、設定を間違えていたのだろう。
 プレビュウで jpeg を表示できない、音が出ないなどの症状があったが、なんとか退治した。システムアップデートが苦手な他は、ほぼ完璧といってよいだろう。
 

半村良論覚書 SF論叢3(1979)


〈半過去時〉から来たUFO
        半村良論覚書


★半村良の厖大な作品群において、非人間的で規則正しい連続としての時間が専制することはない。彼の作品にあって重要なのは絶対的な時間ではなく、人間の意識における時間である。更に正確にいえば、人間の意識における時間の堆積ともいうべきものである。
★ヒトの胎児は生命の歴史を再演する。見方を変えれば、生命の発生以来の〈時間〉が一個体の中に蓄積されているともいえるだろう。半村良の場合にも、日本の歴史がいつでも噴出するものとして一個人の中に、さらには社会の中に蓄積されている。
★種族の記憶をたどって、エフレーモフほどではないが、半村良も相当に過去にさかのぼり、神話時代にまで達している。ただしそれは意識における歴史の遡行であって、現実の歴史の遡行ではないから、たとえば豊田有恒のごとく「古事記」批判に至ることはない。記紀が当時の支配階級による "宗教改革" の書であったということは半村良にとって重要ではなく、当時の日本人の意識のうちにあって、存在の証でさえあったであろうことが重大であり、当然の結果として、神話を受けいれるという態度を示す。
★半村良は現代はもとより、古代や中世をも作品の舞台として選んでいるが、彼の作品の真の舞台は彼が思春期をすごしたと思われる東京の下町、江戸明治大正昭和とつづいた歴史の煮こごりとしての〈時間相〉である。〈原風景〉と呼んでもよいようなものだが、あえて時間相と呼ぶのは、原風景という言葉のもつ無時間的な響きを嫌ったからだ。作家のペンの先に常に去来するという意味では〈時間相〉は原風景と同じ機能を果たす。しかしSF作家として半村の意識の時空は制約から解きはなたれており、原風景はそうした中で対象化されざるをえない。かくて〈時間相〉というわけである。
★この下町〈時間相〉はその名もズバリ『下町探偵局』に描かれており、『雨やどり』等の新宿水商売シリーズもその存在を示唆しているが、驚くべきことに、というか当然にもというべきか、『妖星伝』や『石の血脈』などの作品にも浸透しているのである。この時間相、フランス語の文法用語を借用して〈半過去時〉と呼ぶことにしよう。過去の事象ではあるが、その結果ないしは影響が現在にまで及んでいるからである。文学賞を半分こでしかもらえなかった彼は、こごでも過去を半分しかもらえないのだ!
★「わがふるさとは黄泉の国」という象徴的な題をもつ作品の主人公、室谷啓一は現代に生きている。いや、生きているといえるのかどうか。「英雄伝説』の広告マンに比較すれば、現代に敗北しているとさえいえるだろう。会社がひけて、彼は家に帰る。そこに待っているのは下町の〈半過去時〉の時間である。そして啓一はそこに流れる時間からも取りのこされようとしている。そうした時、平坂久子という女性の異常な死が彼の意識に深くつきささる。それは彼の中の内的な自己と社会化された自己との間の癒しがたい断絶を極めて純粋なかたちで表現しているように思えるのだ。彼女の死に寄りそいながら、彼は神話時代へと意識の時間を遡行し、その底に〈自己死〉を見出す。そして彼は真の〈半過去時〉を獲得し、偽りの半過去時を構成していた母親と伯父は彼の前から消え去らねばならないのだ。
★意識内の時間、内的自然における時間相は、もちろん、外なる現実と無関係に存立しているわけではない。室屋啓一は社会との関わりの中で、自分が捕われている時間相が崩壊していくのを感じており、補償作用として父親の死の謎を探るようになっていくのだ。
★確かに〈半過去時〉として相対化されているとはいえ、原風景と同じように、ゆるやかながらも歴史の中に錨をおろしているため、人は時の経過とともにそこから離れていくという感覚を持たざるをえない。こうして半村作品に現われる熱情の多くは、いわば〈半過去時〉回帰欲ともいうべきものを現実に移そうとするところから発生することになる。
★豊田有恒の〈卑弥呼〉シリーズや星新一の〈殿さま〉シリーズなどは、日本人とアラブ人とエスキモー人とは異質な存在であるというような "水平思考" を民族の歴史という垂直軸に応用し、歴史上の各時点を現代とは断絶したものとして捉えたものといえるだろう。逆に意識のタイムマシン性を謳歌する半村良にはこのような断絶はなく、歴史は個人の意識の中で澱み、たゆたい、重なりあうものとして捉えられている。
★「箪笥」は半村良の最高作とも目される作品だが、ここには時間と呼びうるようなものは存在していないように思える。あえていえば〈凍りついた時間〉。時間が変化をその第一与件とするならば、この用語は不正確である。時間相とか半過去時という造語も同じく不正確であろう。しかしそこには物理的なという形容詞を冠さなければならない。精神的にはこれでいいのだ。
★ "人間は箪笥に乗るものだ" というこの作品のドグマは、その目的もその理由も詳らかにはされない。それが最高作たりえている理由の一つであろう。意味を求めようとするあらゆる探索は斥けられ、人間という存在、はたまた生命や宇宙の存在の不可思議へと直行させられる。〈凍りついた時間〉は不可逆直線時間たる歴史のどこにも位置づけられず、意識の源郷としてただただ停滞しつづけるのだ。
★『英雄伝説』の佐伯惇一は現代における虚業の最高峰たる広告代理店の有能な広告マンである。彼は会社から派遣される戦士として活躍する。ところで、戦士には後方の支援部隊が必要である。当初その役割は専務の島村がつとめていたが、彼が会社をかわった時、彼は友人のフィアンセである榊原紹子に決定的にのめりこんでいかざるをえない。自らがこもるべき巣として彼が求めるのは、過去の女、決して自ら動くことのない女、主体性のない女、自らの世界がこわれていく不安におののく女である。〈伝説〉シリーズが過去への遡行という共通テーマをもつのに対応して、彼もまた自らの意識の過去〈半過去時〉を求めるのである。
★ところがこの作品も「わがふるさとは黄泉の国」と似た構造をもっていて、女の中に仮想した彼自身の〈半過去時〉は幻想でしかなかったことが明らかにされる。それは彼の闘っていた戦場がむなしくも眼前から消え去っていくのに照応している。しかも彼は幻想をもたらした女に再び三たび会わなければならない。その時、彼が女の中に読みとるのは自らの信じていた世界の崩壊である。彼の前に世界はみにくい相貌を現わすのだ。
★『英雄伝説』は出雲神話におけるコトシロヌシの挿話の現代版として構成されている。そしてコトシロヌシは冬眠して現代に生き残っているのである。こうした永遠に生きる人物は『石の血脈』にも登場しているし『黄金伝説』の〈監視者〉も長命の人物である。長命と黄金とを挙げれば、半村作品の登場人物たちの現世的な欲望はすべてだといえる。永遠に生きるとは、歴史上の出来事を知識としてではなく体験として持っていることである。すなわち彼は歴史そのものであり、彼には歴史という概念は(少くとも一般人が考えるような概念は)存在しない。時の流れは一個の人物の中に集約されているのである。こうした歴史の対象化の欠如は『妖星伝』において、遺伝子操作(?)をほどこされ何十代かののちに誕生した子供が鬼道皇帝になるというような考え方にも反映されているといえるだろう。
★「戦国自衛隊」の主役たちは胎児のかたちをとって歴史の一時点に産みおとされる。戦国の世にあらためて生をうけた彼らは、現代における人生を取りかえすことのできない羊水内の時間と思い定めて、その時間から切り離されて生きていかざるをえない。彼らのいちずな生の速度が歴史の速度を上廻ってしまうのは、そしてまた彼らの生が平板なものとならざるをえないのは、それとは明示されていないが、〈半過去時〉を失っているための過激性のゆえである。
★マドレーヌの菓子に触発されて意識は過去の一瞬へとたちかえり、その時に実現されるはずであったことを実現する。そして完璧な時が形成される。小説という虚体のうちにではあれ、色彩、光、香り、空気の肌ざわり、路、草花、建物などが復活し、〈場〉が再現される。というより、その時はじめて意識の中に〈場〉として構成され、実在として認識されるのだ。もはや亡びることのない時間。歴史に閉され、何度も意識からの訪問をうけることになる円環的な時間。
★〈半過去時〉もそのような〈場〉であり、聖別されており、人間存在のあり方を規定するものでもある。現代において人は時の旅人として多かれ少なかれ〈半過去時〉から切り離されていくという感覚を味わっており、〈半過去時〉を実現するために戦士たらざるをえない。彼は戦いつつ社会の階層をよじ登っていく。しかし悲しいかな、その戦いの方向はおそらく誤まっているのだ。戦士たらざるをえないのはどうやら下層階級の宿命であって、上層階級の宿命ではないらしい。よってたつべき祖国が異なるのだ。半村作品で描かれる首相など権力者の相貌のみにくさは、彼らの基盤のみにくさを象徴している。突撃兵士は将校の存在をみにくいものと思いなすのである。それは生活者と寄生者の思考のちがいなのだろう。生のあり方に対する観念の差なのだろう。しかし戦士はおのれの運命からのがれることはできない。彼は故国へ敗残兵となって帰郷する。そしてその時、同時に、幻想的には戦士は〈半過去時〉をしっかと携えたまま、上部構造をさえ越える立場へと超出する。
★これこそ半村作品に頻出するUFO・異星人などに負荷されている意味である。彼らがあたかも倫理の化物ででもあるかのように振舞うのは、一度は敗北した者がその敗北を認めまいとして発する怨嵯だからなのである。
★岸田秀のいうように時間が "悔恨" に発するものならば、この時、半村良の中に時間という概念が生まれたといえるだろう。ここで発生した原初的〈過去〉が時計の時間の中に解消されず、意識の中にとどこおった時――それは〈半過去時〉となるのだ。悔恨が社会的なひろがりをもつものであれば、〈半過去時〉の中には正邪善悪の個人的な価値観が反映されるだろう。そしそれは容易に "よりよき明日" を象徴するおしらさまや異星人などの "エコー存在" を生みだすことになるだろう。とすれば、そのエコー存在が審判者という役割を演ずるのは当然といえるだろう。
★『妖星伝』ではポータラカ星人によって〈汎宇宙稀薄生命論〉ともいうべき説がとなえられ、地球における生命の混沌が批判される。この地球の生命の豊穣は、全宇宙的な観点から見た場合、異常であるというわけだ。この説はいまのところ科学的には裏づけられていない。しかしたとえ裏づけられたとしても、特殊地球の生命のあり方を批判する基準とはなりえないはずだ。
★論理的には結びつかないものを結びつけるのは情念の力であろう。この地球の生命の現況を断罪したいという執念であろう。しかしそれは本来、無理な相談なのである。だからこそ、半村の最長長篇『妖星伝』では、ポータラカ星人の中にも抗争があるとされる。個人のささやかな願望の挫折は "宇宙戦争" へと拡大されてしまうのだ。
★半村良の作品史における超越的存在のあり方の変遷については別に論じなければならないが、その意味は次第に変質してドグマ性を強めてきているように思われる。しかし必ずやこの怨嵯に発するドグマも対象化される時が来ることだろう。
★見ぬ世まで思ひ残さぬ詠より昔に霞む春のあけばの  藤原良経



フランスSFの現況  一九七七

●出版状況。SF295点。そのうち仏語SF134点(再刊36点、アンソロジイ6点)
●かつてのエース・ブックス的な存在で、主にスベースオペラを刊行しているフルーヴ・ノワール社の「アンティシバション」叢書は800点を突破し、1977年度は再刊本を含めると80点余になり、圧倒的な威容を誇っている。
●残りは50点余だが、フィリッブ・キュルヴァルの「この優しき人間性」はアボロ賞を獲得。他の作家も力作を発表し、全休の質は悪くないようだ。
●現代フランスSFを領導する感のあるラフォン社の「アイユール・エ・ドマン」(他所と明日)叢書に叛旗をひるがえすかのように、スイスのケッセリング社から「イシ・エ・マノントナン」(此所と今日)叢書が発行された。ベルナール・ブランとミシェル・ジュリのアンソロジイ、イヴ・フレミオンの短篇集『十月、十月』
●同社は季刊誌「アレルト!」、不定期刊誌「ムヴァンス」の発行も開始し、革命の中の革命を遂行中である。
●ル・デルニエ・テラン・ヴァーグ社(最後の未知の大陸の意)は「シャンジェ・ド・フィクション」(小説変革)叢書を発足させた。クリス・ヴィラの『未来の血』はフランス最初の "バンク" 小説の由。
●短篇集『革命にむけて』を発表したフィリッブ・ゴワが注目される。J・P・アンドルヴォン編集のアンソロジイ『大地への帰還』に寄せた「確固たる大地への帰還」は77年度最優秀短篇賞を受けた。
●詩人のシャルル・ドブジンスキーは『宇宙のオペラ』から14年をへて再びSF小説を発表。『タロマンス物語』がそれである。
●長らく再刊されていなかった(と思われる)ジュール・ヴェルヌの長篇が2本。『上を下ヘの大騒動』には、イヴ・フレミオンの評によれば「ルーセル的言語遊びもあり、かつてなく陰鬱でもあって、まさに驚異の旅の自己パロディだ」とのこと。
●第二回メッツ国際SF祭にはディックが招待され、「この世界がひどいものだと思うなら、もっと別の世界を見るべきだ」と題する講演をおこなった。第三回(昨年)にはレムが招待される予定だったが、どうなっただろうか。
●以上すべて『1977-1978年SF怪奇小説年鑑』に拠った。
昭和54(1979)年4月15日 発行

編集後記

★論叢の最終校正を終えてすぐ、宮崎へ、ぼくの〈半過去時〉へと帰った。そして天草外島、外海村など九州の西海岸をめぐり静かな漁村のたたずまいに魅せられていった。ぼくが小説を書こうとする時に頭にうかぶのは、常にこうした風景なのだ。おそらく半村良かとらわれている以上にぼく自身が半過去時にとらわれているのだろう。
★ついこの間、大島弓子のマンガ『綿の国星』を読んでビックリした。半過去時という言葉は大島弓子に捧げたほうがよかったとさえ思った。半村良に関して半過去時という用語が不適当ではないかと思われる方は、ぜひ大島弓子の近作を御一読ください。
★最近、論叢の編集のこともあって囲碁の師匠格(反面教師?)でもある志賀隆夫によく会う。すると単一視点と複数視点の話になる。なんのことはない。ぶっちゃけていえば『ガキデカ』と『マカロニほうれん荘』の評価をめぐる抗争なのだが、その源をたどればアインシュタインと量子力学の反目がある! 宇宙の諸現象を統一的な視点で一望のもとにみわたせうるものかどうかという問題である! 小生はいわばアインシュタイン的立場をとっており、半村良覚書は一つの "特殊相対性理論" のわけだが、志賀のSF論は逆に "不確定性関係論" であるわけだ。しかし不思議なのは "批評の量子力学" の教祖ともいうべき柄谷行人に対する両人の態度である。小生絶讃、彼排斥。言考不一致、いかにせむ。
★昨年はほとんど映画を見なかった。新作で題名を憶えているのは『サード』『桃尻娘』『オレンジロード急行』くらいのものだ。後の二作はともかく、『サード』は色彩が素晴しいだけでなく、少年院に国家の "母性" を幻視して、黙々と反抗しつづける主人公をとらえているのは見事だった。声高に叫ぶのでもなく、妙にてらうのでもなく、もちろん素朴なのでもないのだ。
★ダルコ・スヴィンのレム論は別冊・奇想天外『SFの評論大全集』に訳載されたレム・インタビューの中でレム自身が半ばてれながら、半ばからかいながら言及しているものです。        (大和田)



★SF論叢ベスト5
マンガ家ベスト5
 大和田  志賀隆夫 新戸雅章
水木しげる 4 4
つげ義春 5 2
手塚治虫 5
鴨川つばめ 5
赤瀬川原平 4
石井隆 3
大島弓子 3
倉田江実 1 2
山上たつひこ 3
岡田史子 2
つげ忠男 1
秋竜山 1

SF論叢 第三号
昭和54年4月15日 印刷・発行

家族が大事

阪神大震災で判ったことは、政府は何もしてくれないこと。大事なのは家族、近所の擬似家族。朝ドラ「てっぱん」は今も、世の中で最も大切なことを訴え続けている! 口蹄疫では牛一匹にへたすると数百万円が補償されるのだ!

希望の未来

9.11.は誰でもどこでも戦争を起こせると夢と希望を与えてくれた。WikiLeaks は誰でも闇を暴けると未来への希望をつないでくれた。僕たちはまだ生きていて良いのだ!

コールマン・バークス

 何年か前アマゾンでルーミーの選集が大安売りだったので入手したが、出版社がバークスというところだった。
 ルーミーというタイトルの癒し系酩酊系のCDがあって、おそらくはルーミーの詩を朗読しているのが、コールマン・バークス。
 テレビ番組でトルコのコンヤを訪れているのも、コールマン・バークス。マハリシのような白髪の髭面男だ。