翼の嵐 M・ジョン・ハリスン | 拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere

翼の嵐 M・ジョン・ハリスン

翼の嵐


第一章  見下ろす月


 クラディックの後背地の山脈に端を発する名もなき川の一つが海にそそぐあたり、暗い潮が打ち寄せる岸辺、浅瀬の小さな半球状の島の上、おぞけのはしるような月の眼の下で、無窮の年月をへた崩れた石造物がかすかに輝く。かつて、入り江の崖が影をおとすあたりに、誰の記憶にも残っていないほど遠い昔、長さ七十メートルはたっぷりある黒曜石の一枚岩から、後を継いだ者たちの誰一人として理解できないような方法で造られた塔が立っていた。一万年にもわたり風と水は塔の南面を磨いてきて、弱みを見出すことはなかった。夜には、最上部の窓に黄色い明かりが識別されて、誰かがそこにいて、炎の前を行き来しているかのように点滅することもあった。冬には強い風が白い水飛沫をミンクにまで運び、レンダルフート出身の漁師たちも海岸近くの土地を避けるというこの雨の国に、誰かがその塔を運んできたのか、その目的は何なのか、詳らかにはしない。今、塔は五つに割れている。岩の縁は尖っておらず、すりへってもおらず、蝋のように溶けている。かつては、砂の上に火山性ガラスの塊が散らばっている西岸の浜辺からこの島に至る取りつき道であった築道も、今は川の中に沈み、水の中から現れているのは異常に繁茂した海藻だけである。延び拡がった巨大な海の芹は、なぜか入江のおだやかで有益な塩水に見切りをつけて、崩れた塔の上に青白くやわらかな茎をひろげ、枯れた白松の根方にからみ、河岸に領土を広げようとしている。
 このような時代、われらの心には他でもなく虚ろさだけしかない“蝗の時代”、待つことの他になにもすることがなく、人間の活動が何一つない“白骨の時代”。この八〇年というもの、人間に関わるものごとは何一つ起こっていない。炎がここに運びこまれてきたとしても、勢いは衰えてかすかになり、燃えあがらせることはむつかしかろう。熱情もここでは冷めて囁きとなるだろう。塔が倒れた際に漏れでた何かが、ここの空気を汚し、一帯の風景から地力を奪い去ったのだ。