なまずとらべる Reported by 鯰 -8ページ目

なまずとらべる Reported by 鯰

鯰blogの旅行記です。

2010年4月23日(金)~宮古島で迎える嬉金~



なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰
 
旅行ってのは早寝早起きに限る。ってことで8時半くらいに起床。ちなみにベッド初体験だった倫太朗君は夜中に2度ほどベッドから落ちました。

なまずとらべる Reported by 鯰  


 
朝食はお馴染みバイキングな感じで、割と普通なメニューの中にちょこちょこ沖縄っぽい食べ物が並んでいる。俺は朝食はあまり食べない人なので、スクランブルエッグとベーコンとコーンを持っていったら、嫁ちゃん&ナミズちゃんからは大バッシング。「まったく栄養を考えていない朝食」とのこと。倫太朗君はおクチに合うものがなかったのかあまり食べず、牛乳をガブ飲みする。
なまずとらべる Reported by 鯰
 
予想はしていたが、この日はあまり天気が良くなかった。雨こそ降ってはいなかったが曇天模様。しかも半袖では少し涼しいくらいの天候に、残念。
 
まぁ折角の旅行なので楽しまなければとこの日の予定を経てる。沖縄といえど、何も海しかないわけでもないのだから。
 
 
本日の予定に入っていた【宮古伝統工芸品研究センター】という場所へ。

 なまずとらべる Reported by 鯰

 

1978年に国の無形重要文化財の指定を受けた宮古上布。イラクサ科の苧麻(ちょま)で織る藍染め絣で、最上品は「蝉の羽」に例えられる美しさ。ここでは宮古上布やその歴史に関する資料を展示し、実際に上布を織る現場も見学できる。住所は沖縄県宮古島市平良字西里3。割と繁華街にあり、駐車場は鬼狭い。服飾関係のスペシャリストのタマゴであるナミズちゃんの意向により向かったこの場所であり、倫太朗君が寝ているので俺は駐車場でお留守番で嫁ちゃんとナミズちゃんが見学に行ってきたのだが…「びみょー」とのことで5分足らずで帰ってきた(笑)

なまずとらべる Reported by 鯰


仕方がないので奥にあった【宮古神社】でお参り。宮古島で数少ない神社のうちの1つであり、島民の初詣の定番地であるらしい。だが、観光客は割とここの存在に気付かないみたい。俺らもたまたま見つけた宮古神社であったので、もし伝統工芸品研究センターに立ち寄らなかったら気付かなかっただろう。

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰

 

ちなみに宮古島は、プロ野球オリックス球団の春のキャンプ地として有名だが、選手たちもキャンプイン前に宮古神社で安全を祈願したこともあるという。沖縄に来て初めて見たシーサーに、「シーサーだ!」とハシャいでたくさん写真を撮ってたら、実はそれはただの「狛犬」であることをナミズちゃんに(冷たく)指摘された。

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰  
 
 
さて、一行は昨日の島北部攻めに続き、今度は西部を攻めようということで、宮古島西に浮かぶ【来間島】(くりまじま)へ。池間島と同様、橋が架かっており、その名も【来間大橋】。なんて安易なネーミングなんだろう…わかりやすくて良いのだが。

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰
 

来間島は、沖縄県宮古島市下地字来間に位置し、宮古島の南西1.5km、太平洋に浮かぶ面積2.84平方キロメートルの小さな島。宮古島下地から全長1,690mにもおよぶ日本最長の農道橋である来間大橋(1995年3月完成。全長1,690m)が架かっており、その橋の景観や橋から見る海の景観は美しさは圧巻。島にはバスなどの公共の交通機関もなく、小さな集落が1つあるだけで他はサトウキビや果実などの畑が広がるのどかな景観が広がる。人口は200人弱しかおらず、過疎化が深刻化している。

なまずとらべる Reported by 鯰
 
しかし…天気も悪ければ来間島自体に特に何があるってわけでもないので、橋を渡って少し島に入って、展望台から海を眺めて、無人野菜売りを見て、写真撮って(シーサー見つけたのでまた悪ふざけして)、宮古島に戻った。ちなみに昨日の池間島の時もそうであるが、俺は海や川に架かる橋の上を運転するのがかなりの恐怖症であるので、嫁ちゃん&ナミズちゃんがほぼ運転。誰だ、俺のことをビビリだなんて言った奴は!

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰
 
ちなみに池間島同様、こちらにも来間中学校・来間小学校が併設されてあったが、ここでは「来間焼酎=来間小中」云々の会話にはならなかった。さすがに嫁ちゃんも勉強したらしい。

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰
 
 

 
というわけで天気があまり良くないので、宮古島へ戻った一行はお昼ごはんを探す。もちろん、1回は食べたい【宮古そば】。出発前より目をつけていた店【大和食堂】(宮古島市平良字西里819-3)で食べる。

なまずとらべる Reported by 鯰  なまずとらべる Reported by 鯰

 
宮古そばってのは沖縄そばの一種であり、沖縄県で有名な麺料理。だが「そば」と呼ぶものの蕎麦粉は使用されず、小麦粉100%の麺。製法的には中華麺の一種であり、正確には「中華めん」に分類されているが、麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろ肉うどんなどに似ている。スープは薄味で、具は三枚肉、沖縄かまぼこ、小ねぎがメイン、薬味として紅しょうがやコーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け)を用いていることが多い。店によってマチマチだが、テーブルにカレー粉が置いてあり、好みで味を足してよい。
なまずとらべる Reported by 鯰

 
豆知識。よく聞く【沖縄そば】と【宮古そば】の違いはというと…具が麺の上にのってるのが沖縄そばで、具が麺に隠れて見えないのが宮古そばらしいよ。その昔、宮古島ではそばの具があると贅沢だと見られていたので、麺の中に具を隠してたんだってさ。他にも八重山そば、久米島そば、名護そば、与那原そば、やんばるそば等、各地で特色を出したものが売られている。

なまずとらべる Reported by 鯰
 
ちなみに俺はこの店で、ワケがわからずイキフンで【ソーキそば】を注文。ソーキ(豚のあばら肉)の軟骨がふんだんに入ったそばが出てくるが、俺はそんなリアルな感じの軟骨とかは食べれないので、少し失敗した気持ちで食べていた。嫁ちゃんも右に同じ・・・。ちゃんとナミズちゃんに聞いてから注文すればよかった。それに、チャレンジなんかしないで焼きそばとカツ丼にすりゃよかったかな。

なまずとらべる Reported by 鯰
 
 
さて、おなかいっぱいになった一行は雨なので遊べないので、お土産やら買い物やらをしようと。途中に寄ったマックスバリューでは、嫁ちゃんがまさかのドレス購入w沖縄に、しかも宮古島に来てまで…と思うが、破格の安さだったことと、かなり気に入ったデザインがあったとのことで購入。1ヶ月後に再び控える沖縄でお披露目される予定だとのこと。
 
 
そんなこんなで夜になり、2日目はせっかくだから地元居酒屋へ行こうという流れに。俺ビール党、嫁ちゃんワイン党、ナミズちゃん泡盛党ともなれば居酒屋に出向きたくなるのは当然の流れですね。一旦ホテルへ帰り、お風呂などを済ませてから宮古島1番の繁華街、【西里通り】に繰り出す。ここまでは遠いので行きは車で、帰りは運転代行に頼もうということになった。
 
 
西里通り近くの駐車場に停める。ここがまた面白いところで…なんと6時間200円、1泊300円という破格駐車場。もはや笑ってしまいます。「繁華街だから駐車料金ヤバイかなぁ~」「路駐でもバレねぇかなぁ」とか言っていた30分前の自分が恥ずかしい!(宮古島の人が東京に来たら、逆に駐車料金の高さにビックリするんだろうな)
 

 
ま、そんな感じで居酒屋界隈へ繰り出すと、あたりは既に嬉金モード。どこの店も現地の人や他の観光客でガン混み。倫太朗君のために座敷宅を希望しているのだが、なかなか見つからず…ようやく見つかったのがこちら、【Katera(カテラ)】というお店。

なまずとらべる Reported by 鯰

 

 

店員がカワイイと嫁ちゃん&ナミズちゃんに評判で(俺は微妙だったが)、後々聞いた話だと雑誌スカウトとかも来るような店員らしい。沖縄料理っぽいもの(チャンプルーとかラフテーとか豆腐料理とか他なんちゃらかんちゃら)を頼み、泡盛もしっかり頼む。ちゃんと抱瓶(ダチビン)で出てきましたよ。イキフンありますね。

なまずとらべる Reported by 鯰

・・・ちなみにこのカテラという店、俺らが訪れた約2週間後に閉店してしまったというウワサ。残念。

 

 

 
そこからはもう酔っ払い大人3人+元気な倫太朗君で居酒屋を楽しみました。帰りに運転代行を呼び、30分かけて帰宅。どのくらいの距離があったのか調べてないけど、とりあえず運転代行の人は「ん~2500円でいっか」って感じで適当でした(笑)現地人らしく、いろんな話をしました。18歳まで島に住み、高校卒業してから東京に出る。現地の人はそういう流れになるそうです…島には高校以上の学校がないから。近くても本島に出向くそうです。んで、この運転代行の人は東京で職を見つけ、少しサラリーマンをやり、23歳で宮古島に帰ってきたそうです。そこからいろんな職を転々とし、今は観光業ということでこの運転代行をしているのだとか。島の人はほとんどが友達で、島内でナンパなんかをしてしまうと、友達の友達だったり、あわよくば友達の親戚だったりとかもあるそうです。やべーね、そりゃ。まぁそんな地元民話を色々しました。人見知りの僕でしたが、代行の車に乗ったのは僕1人だったことと、お酒が入っていたことが功を奏してなんとか喋れました。ちなみに俺、その運転代行の人に20歳って思われていました(「20歳で子どもいるなんてすごいねぇ~」って感じでした)。
 
 
で、ホテルに帰ってからすぐに倫太朗君を寝かせ、再度バルコニーで飲み直し。この日のテーマは【結婚闘魂行進曲】でした。沖縄の暗闇の中で踊りました・・・

結婚闘魂行進曲「マブダチ」/氣志團
¥1,200
Amazon.co.jp

【結婚闘魂行進曲】は、ご存知氣志團の歌。正式には【結婚闘魂行進曲「マブダチ」】であり、2005年10月26日に発売された彼らの4thアルバム【愛羅武勇】に収録されている。PVが結婚披露宴にて友達を祝福する踊りというものであり、若者の結婚式では定番の曲。その定番にノって、嫁ちゃん属するWILLOWSの結婚式での定番ソングとなっている。過去にはまりっぺ・嫁ちゃんの結婚式で踊られている。何故それを沖縄で踊ったかというと…1ヵ月後に控えた嫁ちゃん&ナミズちゃんの兄(つまりは俺の義兄に当たる)の結婚祝いにカラオケでも行こうということになり、その際にこの歌と踊りで祝福しようじゃないかということで練習。ナミズちゃんのiPhoneでYouTubeのPVを見ながら練習していたのだが、なにぶん沖縄宮古島という僻地なため、なかなか電波が届かなかった。嫁ちゃんは1度踊っているのでダンスを覚えてるかと思いきや、大半が思い出せないということで…まぁそんな感じで夜な夜な踊っていましたとさ。

 


 
2日目の夜も、こうして更けていった・・・明日は帰らなければならない。夢のような時間も残り1日。

 


2010年4月22日(木)~出発の朝~
 
  
今日から沖縄にある【宮古島】へ行くことになるのだが…っとその前に、一応この島についてのご紹介。
 
宮古島市は北東から南西へ弓状に連なる琉球弧のほぼ中間にあり、沖縄本島(那覇)の南西方約290km、石垣島の東北東約133kmの距離にある。面積は159.22平方キロメートルで、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島に次いで4番目に広い。宮古島市を構成する島々は、大小6つの島(宮古島、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島)で宮古島が最も大きく地域の総面積の約80%を占め、宮古群島の中心をなしている。
 
直角三角形のような形をした島で、来間島方を下にすると「猛禽類がはばたく姿」に見える。南東端に東平安名岬が、北西端に西平安名岬がある。島の北西には池間島があり、北には大神島がある。また、島の西には伊良部島、下地島が、南西には来間島が浮かんでいる。池間島及び来間島とは、橋で結ばれている(池間大橋1,425m、来間大橋1,690m)。また、沖合5kmにある伊良部島への架橋も着工している(2012年度開通予定、本橋部分3,540m)。
 
「ミヤク」「ミャーク」という沖縄方言が由来である島の名前は、「ミ(自分)」「ヤ(住んでいる)」「ク(場所・村)」の意味に分けられる。2010年4月末現在の総人口54,932人(男27,316人・女27,616人)、世帯数23,878戸。
 
島々は全体が概ね平坦で低い台地状を呈し、山岳部は少なく、大きな河川、湖沼等もなく、生活用水等のほとんどを地下水に頼っているという特徴がある。島の北側の海域には「八重干瀬(ヤビジ、ヤエビシ)」と呼ばれる宮古島の面積の三分の一に及ぶ浅瀬が広がっており、珊瑚が群生する漁場・ダイビングスポットとなっている。また干潮時には海面から露出し広大な島のようになることがある。
 
琉球諸島の面積の大きい島の中では、唯一のハブが生息しない島である。これは、標高が低いため、過去の海進の時に水没し、それ以来は他の島と陸続きになる機会がなかったためとされる。
 
国際的規模のイベントである全日本トライアスロン宮古島大会が有名で、「スポーツアイランド宮古島」としてのイメージが着実に浸透し、観光への波及効果も高くなっている。またプロ野球のキャンプ地としても有名。
 
 
そんな宮古島。まぁ今回のような家族旅行による観光であればそれ以上深い専門知識は必要ないかな。中学生の修学旅行じゃあるまいしね。
 
 
で、出発の日の朝の話に戻る。超細密計画的な俺が行動予定に頭を悩ませる。6時50分のフライト予定の為、遅くとも6時には羽田空港に到着していたい。ということは、ゆっくりドライブで向かうとして余裕を持って4時半の出発予定…という結論に至り、そうなってくると起きるのがツラくなるために、俺は前日から起きていた(実際には、前日の仕事帰宅後、夜ご飯を食べてすぐに就寝し、夜中0時に起きて朝を迎えた)。溜まっていた録画済の映画、読み途中だった本、書こうと思っていたブログなどを夜中にコソコソやり、時間を越す。嫁ちゃん&ナミズちゃんも4時に起床し、出発の準備を整える。といっても準備は既に前日までに完璧に終えていたため、朝の身支度程度だ。倫太朗はもちろん寝ていた。早起きになることは予想していたが、やはり当然ながら朝4時半では就寝していた。仕方なくパジャマのまま抱いて運ぶが、「なんだ?こんな暗い時間にどこ行くんだ?」と言わんばかりに倫太朗は起きる。
 
結局、コンビニ寄ったりなんだりで5時ちょい前くらいに三郷ICより首都高に乗り込む。首都高滑走前にもちろん一服も済ませる。道はもちろん空いている。トラックしか走っていない。つい1ヶ月ほど前に東京タワーの高さを抜いた浅草付近のスカイツリー(このときの高さはまだ半分の350m弱)を横目で眺めながら、一路羽田に向かう。倫太朗は朝早起きなはずなのに元気に起きていた。
 
羽田空港に到着したのは6時前。40~50分のドライブで到着。夜中から起きていたテンション高めの俺とは相反して、早起きに頭がついていっていない嫁ちゃんはローテンション。俺のハイビーム的なトークも「うるさい?」と聞くと否定はしてこなかった嫁ちゃん。せっかくの沖縄旅行ということで着ていた花柄のシャツとこのローテンションが、なんだかギャップを感じさせた。ナミズちゃんは後部座席でおにぎりを食べ、化粧をしていた。準備万端、しっかりした21歳の妹である(たまに抜けてるが)。
 旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰
車お預けサービスにお願いしているので、羽田空港第二駐車場に車を入れ、いざ出発(このとき、念の為に持ってきた車に倫太朗の上着を忘れてしまうという失態をしてしまう)。倫太朗も元気に空港内を走り回る。嫁ちゃんはちっちゃいオジサンの駐車場会社の人に会い、車のキーを渡す。ナミズちゃんは航空券の手配やらトランクケースの積荷と慣れた作業をしてくれる。俺はこれから旅立つ心境を味覚にしながら、空港出入口にて一服と洒落込む(仕事せい!って感じですが)。この日は風が強く、フライトが時間通りに行われるかが心配であったが、まぁ大丈夫であった。
 

旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰

旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰
 
7時フライト。心臓バクバクでビビっているの俺と、「なんだ?」と初めて重力というものに触れた倫太朗。嫁ちゃんとナミズちゃんは微動だにしない。やがて飛行が落ち着き、機内サービスのジュースが回ってくる。2010年1月に会社更生法により倒産したJAL(負債額約2兆3221億円)だったので、まさかの「ジュースが有料か?」と叫ばれていたが、とりあえずリンゴジュースは無料であった。倫太朗に、普段は麦茶や水しか飲ませてあげないのだが、今回は旅行ということで特別にリンゴジュースをあげたら、もちろん美味しかったのだろう、ガブ飲みだった。
 
飛行時間は約2時間半。ナミズちゃんはガン寝。手馴れた感じで、持ってきたタオルを枕代わりに就寝。倫太朗は大ハシャギで汗をかく始末。嫁ちゃんと俺のヒザの上を行ったり来たり。基本的にはママの上がいいんだけど、俺の方に来ると窓の外が見えるので、行ったり来たり。結局宮古島に到着するまでずっと起きていた。まぁ泣いたりグズったりしなかっただけでもお利口です。ちなみにスチュワーデスのおねぇちゃんにはベタ惚れだったらしく、笑顔を振りまいていました。
 
飛行機内余談。シートを倒すときは、後ろの人に一言声をかけるのがマナーってもんです。嫁ちゃんの前に座っていたオッサンは、声もかけずにシートを倒してきました。かなりウザイルですね。そーゆー輩になっちゃいかん。ついでなので、飛行機のマナーをいくつか紹介しましょうか。まずは「電子機器の電源OFF」。これは皆さんもご存知ですよね。マナーというかもはやルールであり、フライト中は携帯電話等の電子機器の電源をOFF、他にもトランシーバー、携帯型テレビ、ラジオ等の電源を切るように指示されています。全ての電子機器ってわけではなく、物によっては離着陸時のみの電源OFFでよいものもあるので、スチュワーデスに聞きましょう。次は「手荷物は2つまで」というもの。まぁ原則であって客の中には2つ以上持ちこんでいる人もいますけどね。けどあんまり多い荷物で搭乗すると周りの人にも迷惑なので、やはり2つくらいにまとめて、あとは預けましょう。あとは通常通りのマナーですね。機内では静かに過ごしたり、いくらサービス満天といえどもジュースをたくさん貰ったり客室乗務員の迷惑になるようなことはやめましょう。また、許可なしに機内設備に触れたり、勿論ですが操縦室に立ち入ることも禁止されています。

 
飛行機の席次は、次のようになっています。「窓側の席」、「進行方向に向いている席」が最上席。また複数の列席に分かれる場合は「後列席」より「前列席」、複数人掛け席の場合は「3人席」より「2人席」(より少ない方)が上席と考えられている。もし上司や上役との出張の際に自分がチケット予約を頼まれたら、参考にしてみましょう(ちなみにこれは電車・新幹線でも同様の考え)。
 
 
さてさて、そんな飛行機マナー講座を開いている間に宮古島到着。俺は飛行機が嫌いだが、着陸よりも離陸の方が怖さが倍増なため、着陸の時は平静を装っていた。まぁ怖いことには変わりないのだがね。トランクケースを受け取る。俺、何故か昔からこの作業がとても好きで、トランクケースが流れてくるのがなんだか宝物探しみたいで楽しい。しかも、何故か俺の荷物はかなり早く出てくるという強運。偶然だとは思いますがね。
 
贅沢にも直行便できてしまった宮古空港。1943(昭和18)年に旧日本軍により海軍飛行場として建設されたことが創設起源で、その13年度の1956(昭和31)年に民間航空の運航が開始されたという歴史を持っている。本土から直行便で行けるのは、過去には大阪や福岡といった地域もあったが、現在は東京の羽田空港のみで、1日数本しかない。現在の瓦屋根の空港建物は1997年に建設されたもの。
 
それにしても飛行機の中から気付いていたが、なんだか暑い。荷物を受け取った後、空港内でレンタカーを借りる手続をしていたのだが、とにかく暑い。駐車場に移動してレンタカー会社の人に案内されてる間、思わず着替える。辺り構わず上半身裸になり、着替える。どうだ、俺の肉体美は?と言わんばかりに着替える(これは嘘)。いや~レンタカー1つ借りるのも一苦労だね。っつっても実際は20分もかからずに終わったんだけどさ。暑いから時間が倍に感じたよ。
 
レンタカーは、【bB(TOYOTA)】にソックリな【COO(ダイハツ)】という5人乗り小型トールワゴン。似ているのはTOYOTAとダイハツの共同開発の車だかららしい。さすがはトヨタグループのダイハツだな。何度見てもbBにしか見えないのは、きっとTOYOTAが国内シェアNo.1ということを物語っているのだろう。ダイハツ側いわく、bBが若い男性向けなのに対して、COOは若い女性で、しかも軽自動車からのステップアップユーザーをターゲットにしているらしい。車名のCOO(クー)は、英語で「かっこいい」という意味のCOOLからと、室内の広さを表現する天空・空間などの「空」の意味を含んでいるらしいよ。また、今回のレンタカーの色は薄い紫。

旅行記  Reported by 鯰
 
レンタカーはフィットかヴィッツクラスを予想していたので、今回のbB…いやCOOの意外に大きな車体というか内装に安心。荷物少なめに持ってきたのが少し後悔してしまうくらいトランクも大きく、レンタカー万歳って感じ。チャイルドシートももちろんレンタルOK。このチャイルドシートがクセモノで、倫太朗君のおしりがすっぽりとハマる感じがまた良かったみたい。普段だったら30分も座ってることがイヤになってしまう倫太朗君だが旅行中はそれでゴネることがなかったのは、このチャイルドシートが高性能なおかげだろう。
 
ちなみに、我らがWISHがちょうど1年前の夏に水没事故に巻き込まれ、内装全外しの修理にまでなってしまったときに、代車でヴィッツを運転していた時期があるが、ありゃ狭い。燃費が良いエコカーなのは利点であったが。その時の色はイエローでした。あ、でも今回はヴィッツじゃないから関係ないか(この1ヶ月後の5月末に沖縄本島に行く時は見事にヴィッツでした)。

旅行記  Reported by 鯰
 
 
さて、沖縄といえばナミズちゃん。倫太朗君大はしゃぎでフライト中の疲れを隠し切れない俺と嫁ちゃんをヨソに、機内でグッスリであったナミズちゃん。脱初心者ドライバーとなったナミズちゃん。そんな彼女に運転を一任し、いざ沖縄旅行のスタート。ブイブイ言わせる運転のナミズちゃん。

旅行記  Reported by 鯰
 
…と言っても、とりあえずはホテルへと直行。荷物を一旦預けてから行動しようと決める。空港周辺の市街地からすぐに農村地帯へと変わり、瞬く間に車が1台も通らない道路へ。ナミズちゃん飛ばし放題で、止まれの標識も見逃す(あぶね~)。サトウキビ畑が見えたりチラリズムで随所に海が顔を出したりと、かなりのOKINAWA MODEに一同『フゥ~♪』って叫ぶ。倫太朗君が飛行機疲れで眠ってるところ、ついつい叫んでしまう。ホテルは(地図を見る限りでは)空港から割と近いイメージがあったのだが、30分くらいかけて到着。おぉ、綺麗なホテルだ、と俺は満足。これなら心配していた虫とかによる弊害は無さそうである。トランクケースから荷物を出し、嫁ちゃんに整理してもらい(このとき、俺は倫太朗君と遊んでいたのだが、ここで「ある失敗」が発生する…のだが、それはまた後の話)、不要な荷物をホテルに預けていざ出発。

旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰
 
ちなみにホテルは【ホテルブリーズベイマリーナ】(沖縄県宮古郡上野村宮国784-1)。宮古島内に3つしかないホテルのうちの1つである。その他は民宿とかになってしまうが、それは前述のように俺が断固拒否。ちなみにこのホテルはプロ野球オリックスのキャンプにも使用されるホテルで、昔イチローも使用していたという。しかもイチローが「ホテル内にコンビニがあったらなぁ」とボヤいたら、すぐにコンビニができてしまったという伝説もあるらしい。
 
途中、【日本最南端のファミリーマート】に立ち寄る。宮古島市平良字下里1582-7にあるこちらのファミリーマートは…別に吉川市のファミリーマートと同じである。アルバイト時給は600円(日中)。
 
さらに道中の街中には小さな診療所とかが割とポツポツあった。Dr.コトーか?コトーがいるのか?(いねぇか)。あとは、【まもるくん】が至るところに立ってたくらいかな。立ってるっつーより立たされてる感が否めないが。【まもるくん】については鯰blogにて既報の通りであるが、再度説明させていただくと…

旅行記  Reported by 鯰
 
宮古島まもる、14歳、男性、宮古島地区安全協会職員兼宮古島警察署交通課職員、警視待遇巡査部長、身長180cm、体重5kg(足は50kgのおもり装着)、人間観察が趣味。宮古島の安全をまもる彼。島内15箇所に立っている。いや、立たされている。夜中にいきなり遭遇したらきっと怖い。東京にあったらきっと落書きとかされてしまいそうだが、沖縄の人は優しいのか、そんなことされているまもるくんは一体も無かった。
 
 
はい、一行の話へ戻ります。まずは…なんと言ってもお昼ゴハンであると判断した一行は、沖縄県にしかないファーストフード店【A&W】へ。A&Wの名前は、創業者のロイ・アレン(Roy Allen)とフランク・ライト(Frank Wright)の2人の頭文字に由来している。アメリカやカナダで展開しており、前述のとおり日本には沖縄にしかないことで有名だが、実はかつては東京都や大阪府、奈良県、兵庫県などにも店舗があった歴史もある(現在はすべて撤退)。しかも近年まで鹿児島にもあったが、やはり撤退した。公式サイトによると、A&Wは「日本初のファーストフードレストラン」とのことである。1号店(屋宜原店)のオープンが1963年であり、その時点ではマクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツはまだ日本上陸を果たしていない。ただし、沖縄県の日本復帰は1972年であることから、1970年に1号店を開設したドムドムハンバーガーが日本初のファーストフードチェーンというのも間違いではない。

旅行記  Reported by 鯰


 
そんなファーストフード店にて具体的には何を頼んだか忘れてしまったが、とにかくハンバーガーとホットドックを1つずつ俺は頼んだ。嫁ちゃんはハンバーガー、ナミズちゃんはタコライスっぽいのを注文していた。ドライブスルーしていざ出発・・・
 
と思いきや、助手席に座る嫁ちゃん「お釣り、もらったっけ?」と言う。注文し支払してから15分くらい待たされたので、お釣りをもらったかどうかも忘れてしまった。とは言っても運転席のナミズちゃんも後部座席の俺も、チャイルドシートの倫太朗君ももちろん覚えているわけがなく、女性店員に確認。店員「…渡してませんでしたっけ?」胸には「研修中」のプレート。焦る店員。とりあえずお釣りはたぶん貰ってなかったので、700円くらい受け取る。その結末は…ナイショです(ご想像にお任せします)。ちなみに、そんな騒動に巻き込まれた店員は「モデル級にカワイかった」とのこと(ナミズ談)。

旅行記  Reported by 鯰
 
 
そんな感じで、「ハラが減っては戦はできぬ!」と豪快に注文した俺と、適度に注文した嫁ちゃんとナミズちゃん。「メシ食いながら運転できぬ!」と豪語したナミズちゃんに代わり、ここからは嫁ちゃんが運転。目指すは宮古島の北端にある【池間島】(いけまじま)。

旅行記  Reported by 鯰
 
池間島は半農半漁の島で、人口1,222人(男621人・女601人)が住んでいる。1992年2月、宮古島北端の世渡崎とを結ぶ池間大橋(全長1,425m)が完成し、宮古島からの新たな観光ルートとなったことによって、近年では観光産業も盛んに行われている。北岸に池間島灯台がある。島全体が沖縄県指定の池間鳥獣保護区に指定されている。島周辺には「ビジ」と呼ばれる干瀬が散在し、特に北東約15kmには、「八重干瀬」と呼ばれる巨大な干瀬がある。ダイビングスポットとしても有名。
 
そんな池間島へ向かう道中で感じることが2つ。①海沿いの道が無いので、オーシャンビューがチラリズム。湘南とかみたいな海沿いを窓全開で…なんて景色は期待してはいけない。②地元の車、遅い。ほとんどが30キロで法定速度遵守。事故るほどの交通量がないくせに、観光客のがよっぽど飛ばす。しかも軽トラ多し。沖縄の島民はゆったり感だな。
 
 
さて、池間大橋という池間に向かう大きな橋(名前の通りだ)を渡り、池間島に到着。
 
この島には宮古島市立池間小学校・宮古島市立池間中学校があり、併設されている(宮古島内にある小学校と中学校は併設されていることが多いみたい)。嫁ちゃん運転で入島し、ナミズちゃんが「あ、イケマショウチュウがあるね」とナビを見て呟いた。すると嫁ちゃん「へぇ~そんな焼酎とかあるんだね。ってか沖縄って泡盛じゃなくて焼酎とかも有名なんだね~」と。ナミズちゃんと俺、思わず目がハテナマーク。「あたしが言ったのは池間小中。池間小学校と中学校ってことなんだけど…」。嫁ちゃん「騙された~!」いやいや、別に騙したわけではありませんよ。
 
はい、そんな談話もありながらも池間島の目的は【グラスボート】です。これは船底がガラスになっていて水中及び海底が観察できるボートであり、ダイビングせずとも珊瑚礁などが見られるもの。座りながらというよりは立って覗き込むってイメージが正しいだろう。

旅行記  Reported by 鯰

 

30歳手前くらいのカップルとおばちゃん2人と俺ら一行を乗せ、肌が黒光りした地元のオジサンの運転によりボートは出発。先ほどの池間大橋をくぐってさらに沖の方へ進み、珊瑚礁スポットへと向かう。途中、オッサンの悪ノリによりボートが波に揺られ、乗客たちは大喜び。俺はゲロゲロ。元々、乗り物には酔いやすいタチなので…子どもがいなかったら大声で怒鳴りつけてやるところだったさ。まぁそれでも絶景スポットに着くと、さすがは商売といったところで、面白い解説、地元の人しか知らなそうな裏話、珊瑚礁にまつわる逸話等々を熱弁。何箇所か珊瑚礁スポットを回って約1時間の遊覧で、島に帰る頃にはナミズちゃんは既にグッタリしていた。海の上から見る海は、とてもキレイだった。海の上から見る珊瑚礁の色も鮮やかだった。だけど、海の中にある珊瑚礁は…ただの海草でした。船内で乗客たちが1番の盛り上がりを見せたのは、ウミガメが海底で眠っていた場面だったね。


旅行記  Reported by 鯰

 
余談だけど、グラスボード遊覧後にこのグラスボート管理事務所のオッサン(さっきの運転したオッサンとは別)から、「写真を撮らないか?1枚300円だから安いよ。それに海の背景を合成してこんなにカッコイイのができるよ」としつこく言われた。見てみると、そこで撮った家族写真をパソコンか何かで背景に海やグラスボートから見た珊瑚礁の景色とかを合成させているもの。●ィズニーランドのジェットコースターで売ってるものよりも質が低いな…と思いやんわりと断るが、それでもオッサンは引かなかったので、ちょいとガンを飛ばし「いらないっすよ」と言ってしまった(笑)いくら向こうは商売と言えど、そんな不必要なモンに金かけるほど財布の紐は緩くないわい。甘い甘い。

旅行記  Reported by 鯰
 
 
さて、グラスボード場を後にし、天気も良くなってきたので海に入ろうと。運転を再度ナミズちゃんに頼み、いざ海を目指して出発…するが、前述したように海岸線に道路が整備されているわけではないので、どこにビーチがあるかわからない。とりあえず海に近い道を走る。

旅行記  Reported by 鯰

 

すると何台か駐車しているレンタカー(「わ」ナンバーなのでわかりやすい)を見つける。「ここらへんに海あるんじゃね?」と思い、我々も駐車。草木を掻き分け20mほど進むと、崖の下に浜辺、そして海が。ロープが括りつけられた絶壁の崖を降りる時、お約束どおり「ファイトー!一発!」な感じで写真を撮られる。

旅行記  Reported by 鯰

 

降りてみるとプライベートビーチ。白い砂浜に水色の海には誰もいない(正確にはダイビングに来ていた男女2人いた。多分地元民。獲った魚とか貝類をあとで浜で食べていた。サバイバルである)。
 
さぁ念願の海だ!と思い嫁ちゃんとナミズちゃん、着替える。俺も着替え・・・あれ?俺の水着だけが無い。あっ!最初にホテルに行った時に水着を置いてきてしまった!(by嫁ちゃん)なんたる失態!まぁ自分で荷造りしないで任せっきりにしてしまったのがいけないのだが…というわけなので、俺は水着が無い。だけど、この暑い太陽の下、綺麗に輝く眼前の海、入らないわけにはいかない!と、トランクス姿でジャンプ&ダイブ!プライベートビーチだからこそできることで、もうトランクスが半脱げだろうがお構いナッシングだった。
 
 
…と俺の話はここらにしといて、倫太朗君も石井家に借りた水着(ありがと~!)を装着していざ沖縄の海へ!と思ったが、なんと大泣き。そうです、倫太朗君は海が怖いみたいです。そういえば2009年LUCKRIVERS夏合宿の本栖湖でも大泣きだったな…あわよくば成本家の子供用プールでも…波にすら近づこうとせず、ひたすら逃げ回ります。嫁ちゃんが手を引っ張るけど、それ以上に倫太朗君は逃げるように嫁ちゃんの手を引っ張ります。

 

その間にもナミズちゃんはシュノーケルグッズを装着し浮き輪を担いで、いつの間にか沖の方へ。ただでさえ小さいのにさらに小さくなってしまったナミズちゃん。30分ほどして帰ってきて今度は嫁ちゃんと交代。嫁ちゃんも同じくただでさえ小さいのにさらに小さくなるくらいの距離まで魚ウォッチングへ。嫁ちゃんのバタ足、マジで速ぇ。で、やっぱり30分くらい海を満喫して、次は俺の番…と思いきや、俺は魚とかには興味がないのでお断り。ただ浮き輪にプカプカ浮かんでいるのが好きなのさ(トランクスだけど)。

旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰



旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰


倫太朗君は浜には慣れたみたいで、砂で遊んでいる。と、悪ママと悪オバがやってきて、倫太朗君を砂に埋めてしまってました。悪いですね。


旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰

旅行記  Reported by 鯰 旅行記  Reported by 鯰
 
 

ナミズちゃんは「バイト先の沖縄料理店では、客用の箸置きが珊瑚礁のカケラを使っているから」とそれを探しに出かける。倫太朗君と嫁ちゃんは、浜辺にいた小さい蟹を見て遊んでいる。俺はビデオを回しながら岩に躓いてコケる…
 
そんな感じで海で遊びました。天気は良かったけど、俺は焼けませんでした(笑)

 

帰りの道中で見つけた、ナミズちゃんにピッタリの石碑。意味はわかりません。

旅行記  Reported by 鯰
 
 
んで、ホテルに帰り、チェックイン。疲れを隠せずにベッドにゴロン…としたいところだけど身体が汚れているので、とりあえずは大浴場へGO。俺は倫太朗君と一緒に入る。大浴場と言えど人は誰もおらず、1人でデカ風呂を満喫。勿論オーシャンビュー。風呂のお湯が少し熱めだったので倫太朗君は行水程度にしといて先にお風呂から上がり、俺はさらに延浴。ん~気持ちいい。けど、沖縄じゃなくて伊豆だな、こりゃ。
 
 
その後、ホテルの夕食をいただくことになるのだが…これがまた質素なもんで、小さいお椀にゴハンがちょこんと乗って、あとは少しずつのおかずがあり、しかも惣菜系が多くてメインおかずがナッシング。あとは沖縄そば?宮古そば?みたいのがあるだけで終了。これでは…俺は餓死してしまいます。なので、ナミズちゃんと近くのスーパー【マックスバリュー】(イオングループ)へ。

 

車で走ること30分で到着し、ゴハン、ビール、少しのおつまみ、アイスを購入。マックスバリューは昼間に行った【日本最南端のファミリーマート】の近くなのだが、なんか夜道を走る方が遠く感じた。ホテルへ帰ってきたら倫太朗君は就寝していました。さすがに疲れたらしく、いつもより早めの就寝。大人3人はそこからオーシャンビューのバルコニーで晩酌。
 
 
明かりが少なく、風の音と、波の行き来する音だけで、しっとりと飲む・・・
 
 
旅行1日目、終了。
 

沖縄・宮古島旅行記。
 
 
鯰のブログ

 
あまり意識したことはないが、我々が住む日本は島国である。もっと突き詰めて言うならば地球上の7割は海であり、残り3割の陸地も海に囲まれている島国だと言えなくもない。そんな島国に生まれ育ちながらもこんな表現は滑稽かもしれないが、「島に行くのには抵抗がある」というのが今回の宮古島旅行記を始めるにあたって冒頭部分に選んだ言葉である。
 
ちなみに、記載に当たっては旅行から約1ヶ月間と幾日かをかけて行われたこともあり、途中の記載においては支離滅裂な表現も含まれてしまっていることをここで付しておく。決して嘘ではないのだが、多少の脚色があったり、フィクションまではいかずとも虚言も交ざり合っている可能性もある。旅行者本人たちからは怒られてしまうかもしれないが、そこはご愛嬌を持って接していただければと思う。
 

 
だが、忘れてはいけない。俺らは確かに、沖縄宮古島へと旅立ったことを。
 

 
そして、このトラベルレポートが完成したのが、旅行から帰宅した日から数えて45日目の2010年6月8日。奇しくも秋葉原通り魔事件から2年、大阪教育大学附属池田小事件から9年が経った日であり、鳩山首相の辞任により菅直人新首相に国民が大きな期待を抱いている最中のことだった。日本は直に始まるサッカーW杯に沸き返り、子ども手当が施行後初めて支給され、宮城県の口蹄疫問題が難色を示し、無煙タバコのゼロスタイルミントが大流行し、iPadの日本発売に続きiPhone4が発表された、そんな時期だ。
 
さて、旅行騒動というか旅行記の始まりだが…我が家庭は2008(平成20)年に結婚し子どもが生まれてからはそんなに裕福な暮らしをしてきたわけではなく、また昨今のような経済不況の最中において贅沢をできる立場ではないのだが、そんな転機が訪れたのは2009年春に支給された【定額給付金】のおかげである。
 
定額給付金とは、ご存知のとおり平成21年春に支給された経済対策の生活支援金である。それによる消費拡大、そしてカネの流通をと目論んだ麻生太郎内閣の(H22政権交代前の)国民にとって非常に良策となった政策。給付対象者1人につき12,000円(ただし、65歳以上の者及び18歳以下の者については20,000円)という大規模なバラマキに賛否両論流れたが、こちらとしてはありがたい。我が家は当給付金で44,000円の受給をすることができた。自民党に愛着があるわけではないが、これに関しては本島に感謝している。
 
そんな定額給付金を、給付前から「沖縄旅行に使う」と決めていた我が家の家計を管理する俺の妻(通称:嫁ちゃん。当時27歳。専業主婦)は元来の沖縄好きであり、過去に1度しか行ったことがないのでこれを機に是非沖縄に行きたいとの希望。そして、折角行くなら海が綺麗で自然豊かな島に行きたいと。倫太朗(我が家の長男。当時1歳4ヶ月)との3人での家族旅行は絶対沖縄が良いと。
 
この話を嫁ちゃんが進めている間に、嫁ちゃんの妹(通称:ナミズちゃん。当時21歳。服飾系専門の大学生)も参加を表明した。彼女は嫁ちゃん以上の沖縄好きであり、過去に沖縄は6~7回、しかも島へと旅立った経歴の持ち主。旅行当時は大学からも家からも近いとは言えない都内某所にある沖縄料理専門居酒屋にてアルバイトもしているくらいの彼女。学生生活も残り少なくなってきたこの時期だからこそ行ける沖縄。そうして彼女も参加が決定した。我が家としても沖縄スペシャリストの彼女が同伴してくれることが贅沢なくらいであり、また倫太朗の世話も両親+叔母で見れるということで、とてもありがたかった。
 
さて、そこまで話が進んでも俺はこの時点ではまだ沖縄旅行に行くことに対して賛成をしていたわけではない。冒頭に述べたが、俺は島に行くことに抵抗があったのだから。まずは島に対する衛生上の問題…そんな書き方をしたら島民に失礼であるが、俺は少しだけ潔癖症なため、やはり島というと清潔が保たれていないイメージがあった。嫁ちゃんは安価の民宿に宿泊を予定していたみたいだが、それだけは断固拒否させていただき、島内に3つしかないリゾートホテルでの宿泊を約束し、今回の旅行に至ったわけである。途中までは沖縄ではなく、俺が訪れたことのない北海道への旅行を推していた俺も、さすがに計画的に考えると約束した嫁ちゃんの熱意には負けた。その熱意は沖縄の太陽よりも暑かった。
 
俺自身は沖縄本島には過去に2回ほど訪れたことがあるが、その2回は両方とも冬の時期であり、沖縄ならではの暑さを満喫したわけではないのだが、それでも海街としての風を感じることができたのは確かである。
 
言い忘れたが、俺は飛行機も嫌いだ。ありきたりな言葉であるが、鉄の塊が飛ぶとは到底思えないわけで、その恐怖は安心感をかなり超えている。また、心臓がフワッと浮く感じも嫌いであるので、もちろんジェットコースターの類も嫌い。その割に耳抜きは俺の得意技と言っても過言では無いくらい上手くて、耳の骨をゴギッと鳴らして空気を抜く技を持っている。ハタから見たらたぶん気持ち悪い感じであるがね。
 
俺の飛行機経験は数えるほどで、①高3時にバスケ部でハワイ旅行、②高3時に友達とアメリカへ、③大学2年時に沖縄本島へ、④大学4年時に再度沖縄本島へ、⑤2008年グァム挙式&新婚旅行、⑥仕事の出張で福岡へ、の6回。今回が人生7回目の飛行機である。
 
今回も無事に帰ってこれたので、その7回はすべて順調な空の旅であった。だけどそんなの俺から言わせてみれば結果論に過ぎなくて、飛行機事故ってのは世界に蔓延っている。いつ自分がその目に合うかわからないくらい不安定な乗り物であると俺は思っている。ま、要はビビリってことなんである。そう考えると北海道でも同じなのだが、それはまぁ別にいいとして。
 
ビビってビビってチビりそうになっても、しっかり窓際キープで景色を眺めることは忘れずに、しかも「怖い」という感情を最小限まで隠してスカして飛行機に乗る…そんな技も飛行機経験7回ともなるとベテランクラスになった俺。そんな俺が過去に1番怖かったのは上記②の高校3年生のときにアメリカに行ったときの飛行機である。成田からデトロイト空港まで行った大型飛行機は問題なかったのだが、そこからデイトン空港(オハイオ州)まで向かう小型の20人乗りくらいの飛行機がヤバかった。バスの補助席みたいのに座らされなかっただけでも良かったのだが、とにかく小さい飛行機だから揺れる揺れる(笑)もちろん飛行機酔い。そんなのあるんか?って疑問符なみなさん、あるんです。きっと俺は戦時中の特攻隊員にはなれなかったなぁ…飛行演練でダウンだな。ちなみにこのアメリカ旅行は成田ーデトロイトで14時間半、デトロイトーデイトンで1時間半の2/3日の超長旅でした。メシが2回くらい出たし、映画も3本くらい見たな。さすがにエコノミーシンドロームになるかと思った。高校生の頃だったから酒飲んで眠る…なんてこともできなかったしね。あ、余談だけどその時に現地でNBAを見ました。インディアナ・ペイサーズ。有名ドコだとレジー・ミラー。バスケットマンの夢ですね。うきゃきゃきゃ。
 
旅行計画は2010年2月から、越谷レイクタウンにあるJTBトラベランドにて開始。営業担当が、ほしのあきがちょいとフケた感じちっくな女性だった。ま、要は「ぶりっ子的」な感じをプンプンにおわすような女性で、巻いた髪をペンでクルクルやっているくらいの駄OLであった。そんなんが担当だったから、旅行計画打ち合わせ中は超不安な空気が漂ったことは言うまでもない。郵送で送るといった飛行機のチケットが、果たしてちゃんと届くのだろうか…
 
ちなみに、この沖縄宮古島旅行計画当初は、まさか嫁ちゃん&ナミズちゃんの兄ヨッチャンが結婚し、その挙式を2010年5月に挙げることになるとは思ってもいなかった。しかも、そのチャペルが、まさか沖縄本島になろうとは…もしこれがわかっていたことだったら、この2010年4月の旅行はもしかしたら北海道旅行になっていたかもしれないな。というのは後日談ですがね。
 
 

さて、前置きが長くなってしまったが、そんな経緯があり今回2010年4月22日から24日までの二泊三日での宮古島旅行が始まる。参加者は、嫁ちゃん・倫太朗君・ナミズちゃん、そして一家の大黒柱(自称)であるこの俺である。