沖縄・宮古島旅行記。
あまり意識したことはないが、我々が住む日本は島国である。もっと突き詰めて言うならば地球上の7割は海であり、残り3割の陸地も海に囲まれている島国だと言えなくもない。そんな島国に生まれ育ちながらもこんな表現は滑稽かもしれないが、「島に行くのには抵抗がある」というのが今回の宮古島旅行記を始めるにあたって冒頭部分に選んだ言葉である。
ちなみに、記載に当たっては旅行から約1ヶ月間と幾日かをかけて行われたこともあり、途中の記載においては支離滅裂な表現も含まれてしまっていることをここで付しておく。決して嘘ではないのだが、多少の脚色があったり、フィクションまではいかずとも虚言も交ざり合っている可能性もある。旅行者本人たちからは怒られてしまうかもしれないが、そこはご愛嬌を持って接していただければと思う。
だが、忘れてはいけない。俺らは確かに、沖縄宮古島へと旅立ったことを。
そして、このトラベルレポートが完成したのが、旅行から帰宅した日から数えて45日目の2010年6月8日。奇しくも秋葉原通り魔事件から2年、大阪教育大学附属池田小事件から9年が経った日であり、鳩山首相の辞任により菅直人新首相に国民が大きな期待を抱いている最中のことだった。日本は直に始まるサッカーW杯に沸き返り、子ども手当が施行後初めて支給され、宮城県の口蹄疫問題が難色を示し、無煙タバコのゼロスタイルミントが大流行し、iPadの日本発売に続きiPhone4が発表された、そんな時期だ。
さて、旅行騒動というか旅行記の始まりだが…我が家庭は2008(平成20)年に結婚し子どもが生まれてからはそんなに裕福な暮らしをしてきたわけではなく、また昨今のような経済不況の最中において贅沢をできる立場ではないのだが、そんな転機が訪れたのは2009年春に支給された【定額給付金】のおかげである。
定額給付金とは、ご存知のとおり平成21年春に支給された経済対策の生活支援金である。それによる消費拡大、そしてカネの流通をと目論んだ麻生太郎内閣の(H22政権交代前の)国民にとって非常に良策となった政策。給付対象者1人につき12,000円(ただし、65歳以上の者及び18歳以下の者については20,000円)という大規模なバラマキに賛否両論流れたが、こちらとしてはありがたい。我が家は当給付金で44,000円の受給をすることができた。自民党に愛着があるわけではないが、これに関しては本島に感謝している。
そんな定額給付金を、給付前から「沖縄旅行に使う」と決めていた我が家の家計を管理する俺の妻(通称:嫁ちゃん。当時27歳。専業主婦)は元来の沖縄好きであり、過去に1度しか行ったことがないのでこれを機に是非沖縄に行きたいとの希望。そして、折角行くなら海が綺麗で自然豊かな島に行きたいと。倫太朗(我が家の長男。当時1歳4ヶ月)との3人での家族旅行は絶対沖縄が良いと。
この話を嫁ちゃんが進めている間に、嫁ちゃんの妹(通称:ナミズちゃん。当時21歳。服飾系専門の大学生)も参加を表明した。彼女は嫁ちゃん以上の沖縄好きであり、過去に沖縄は6~7回、しかも島へと旅立った経歴の持ち主。旅行当時は大学からも家からも近いとは言えない都内某所にある沖縄料理専門居酒屋にてアルバイトもしているくらいの彼女。学生生活も残り少なくなってきたこの時期だからこそ行ける沖縄。そうして彼女も参加が決定した。我が家としても沖縄スペシャリストの彼女が同伴してくれることが贅沢なくらいであり、また倫太朗の世話も両親+叔母で見れるということで、とてもありがたかった。
さて、そこまで話が進んでも俺はこの時点ではまだ沖縄旅行に行くことに対して賛成をしていたわけではない。冒頭に述べたが、俺は島に行くことに抵抗があったのだから。まずは島に対する衛生上の問題…そんな書き方をしたら島民に失礼であるが、俺は少しだけ潔癖症なため、やはり島というと清潔が保たれていないイメージがあった。嫁ちゃんは安価の民宿に宿泊を予定していたみたいだが、それだけは断固拒否させていただき、島内に3つしかないリゾートホテルでの宿泊を約束し、今回の旅行に至ったわけである。途中までは沖縄ではなく、俺が訪れたことのない北海道への旅行を推していた俺も、さすがに計画的に考えると約束した嫁ちゃんの熱意には負けた。その熱意は沖縄の太陽よりも暑かった。
俺自身は沖縄本島には過去に2回ほど訪れたことがあるが、その2回は両方とも冬の時期であり、沖縄ならではの暑さを満喫したわけではないのだが、それでも海街としての風を感じることができたのは確かである。
言い忘れたが、俺は飛行機も嫌いだ。ありきたりな言葉であるが、鉄の塊が飛ぶとは到底思えないわけで、その恐怖は安心感をかなり超えている。また、心臓がフワッと浮く感じも嫌いであるので、もちろんジェットコースターの類も嫌い。その割に耳抜きは俺の得意技と言っても過言では無いくらい上手くて、耳の骨をゴギッと鳴らして空気を抜く技を持っている。ハタから見たらたぶん気持ち悪い感じであるがね。
俺の飛行機経験は数えるほどで、①高3時にバスケ部でハワイ旅行、②高3時に友達とアメリカへ、③大学2年時に沖縄本島へ、④大学4年時に再度沖縄本島へ、⑤2008年グァム挙式&新婚旅行、⑥仕事の出張で福岡へ、の6回。今回が人生7回目の飛行機である。
今回も無事に帰ってこれたので、その7回はすべて順調な空の旅であった。だけどそんなの俺から言わせてみれば結果論に過ぎなくて、飛行機事故ってのは世界に蔓延っている。いつ自分がその目に合うかわからないくらい不安定な乗り物であると俺は思っている。ま、要はビビリってことなんである。そう考えると北海道でも同じなのだが、それはまぁ別にいいとして。
ビビってビビってチビりそうになっても、しっかり窓際キープで景色を眺めることは忘れずに、しかも「怖い」という感情を最小限まで隠してスカして飛行機に乗る…そんな技も飛行機経験7回ともなるとベテランクラスになった俺。そんな俺が過去に1番怖かったのは上記②の高校3年生のときにアメリカに行ったときの飛行機である。成田からデトロイト空港まで行った大型飛行機は問題なかったのだが、そこからデイトン空港(オハイオ州)まで向かう小型の20人乗りくらいの飛行機がヤバかった。バスの補助席みたいのに座らされなかっただけでも良かったのだが、とにかく小さい飛行機だから揺れる揺れる(笑)もちろん飛行機酔い。そんなのあるんか?って疑問符なみなさん、あるんです。きっと俺は戦時中の特攻隊員にはなれなかったなぁ…飛行演練でダウンだな。ちなみにこのアメリカ旅行は成田ーデトロイトで14時間半、デトロイトーデイトンで1時間半の2/3日の超長旅でした。メシが2回くらい出たし、映画も3本くらい見たな。さすがにエコノミーシンドロームになるかと思った。高校生の頃だったから酒飲んで眠る…なんてこともできなかったしね。あ、余談だけどその時に現地でNBAを見ました。インディアナ・ペイサーズ。有名ドコだとレジー・ミラー。バスケットマンの夢ですね。うきゃきゃきゃ。
旅行計画は2010年2月から、越谷レイクタウンにあるJTBトラベランドにて開始。営業担当が、ほしのあきがちょいとフケた感じちっくな女性だった。ま、要は「ぶりっ子的」な感じをプンプンにおわすような女性で、巻いた髪をペンでクルクルやっているくらいの駄OLであった。そんなんが担当だったから、旅行計画打ち合わせ中は超不安な空気が漂ったことは言うまでもない。郵送で送るといった飛行機のチケットが、果たしてちゃんと届くのだろうか…
ちなみに、この沖縄宮古島旅行計画当初は、まさか嫁ちゃん&ナミズちゃんの兄ヨッチャンが結婚し、その挙式を2010年5月に挙げることになるとは思ってもいなかった。しかも、そのチャペルが、まさか沖縄本島になろうとは…もしこれがわかっていたことだったら、この2010年4月の旅行はもしかしたら北海道旅行になっていたかもしれないな。というのは後日談ですがね。
さて、前置きが長くなってしまったが、そんな経緯があり今回2010年4月22日から24日までの二泊三日での宮古島旅行が始まる。参加者は、嫁ちゃん・倫太朗君・ナミズちゃん、そして一家の大黒柱(自称)であるこの俺である。