昨日思い立ってヨガをまとめることにした。
今日は呼吸について触れてみよう。
ヨガの呼吸はよく聞かれる質問の一つです。実際その質問が出たとき私は、質問者が知りたいやり方については触れないことにしています。それは知識で呼吸をしてほしくないからです。自然な呼吸が心身を良好な状態に導いてくれるはずなので、それが起こるときまで待ちます。特段何もしないでいれば、自然にそれは起きます。そのタイミングが来たと感じたときに、やり方について触れる場合もあるけれど、その時はもう聞いてきた本人がすでに興味のない状態に変化している(だいたいは)
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私たちの体はコントロールできないものでできている。瞬きや心臓の働き、血流や排せつ生理など。自律神経がそれらを制御しています。
あげたらきりがないけれど、呼吸だって自分の意志で止めることはできない。5分瞬きをしないでいることや、10分心臓の動きを止めることだって、自分の意志ではできない。
その中で(自律神経のはたらきで)
唯一コントロールできるものが呼吸です。
呼吸を5分と止めることはできないながらも、自分の意志によって丁寧に吸って吐くを繰り返すことは可能です。反対に焦ったりパニック状態になったときに自分の意志に関わらず、早い呼吸になってしまうこともコントロールできない。つまり呼吸はコントロールできる側面とできない側面の両方を併せ持つ存在なわけです。
そして、呼吸に意識を向けて丁寧にすることを繰り返していくと、制御できない心身の状態を司るあらゆる機能が、その後に続くようにまとまりだす気がします※コントロールできない身体の重要な機能(自律神経の働き)は、呼吸によって穏やかに制御することが可能(っぽくなる)
自律神経の働きの中で、
呼吸が唯一「意思」を持つことができる。
私はそのように捉えています。
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私は体を体だけのものとしてとらえることに違和感を持っています。心身一如というように、体は心であり心は体なのだと思う。
吐く呼吸を長く…とは言うものの、ガチガチの体に長く吸うも吐くも無理な話で、それをクラスでアナウンスしてみるも空気の静まり返ることよ。全くエナジーを感じずに、これははどうしたものかと頭を抱えていた数年前の私よ。
試行錯誤の末にたどり着いた方法は声を出すこと。これは簡単に心身を緩めることができるとても良い方法でした。そして声によって呼吸の長さを可視化することができたので、自然に長く吐くことで楽に呼吸の循環を起こすことが可能でした。
複数人でやると周りと調和しようとする人間本来の働きのせいか(人間は順応しようとする生き物だから)徐々に重なる声が調和しながら長くなって、その反動で自然に吸える呼吸の素晴らしい循環を生み出してくれました。
長く母音を出すと呼吸に関わる筋肉を無理なく緩めることができるので、体の緊張が抜けて結果的に長い呼吸に変化します(母音についてはまた後日書く予定)
呼吸が変化するときに触れている筋肉の緊張部分が、抑圧された感情と結びついている場合はその結果として感情的な安心感を感じることができるはずです。深呼吸がメンタルに良いと言われるのはこのようなことが心身に起きているからだと思われます。
自然に、長く、吐く、吸う、
ことができるようになっていた。
私が思う自然呼吸とはこのようなものです。
(呼吸と動きとの連動にもつながります)
呼吸にかかわる重要な筋肉である横隔膜が固くなると、呼吸が十分に機能しません。声を出すことは確実に横隔膜を振動させて簡単にその緊張を緩和します。声を出しながらの呼吸のメカニズム的にはこのようなことが起きています(あんまり説明的になりたくないのですが)
上記したことは、知識から知り得たことではないということです。自分の心身の緊張がゆるんだ結果、私は身体感覚からこれらのことを読み解けるようになりました。もちろん最低限の知識は必要ですが、知識で得ようとするよりもずっと多くの情報を自分の身体感覚から得ることができました。
呼吸は意識と無意識をつなぐもの。
物質世界と精神世界をつなぐもの。
私たちのすべてを教えてくれるもの。
精神世界だって無意識だってわかりやすく「ある」ものではないはずだから。パラドックス的にそれらが意識に上がってこない限りずっと気付かない。無意識のプロセスが体を形成しているとしたら、慢性的に緊張した体を持っている人はたくさんいます。
自分の心身に興味を持っていなかったり、感覚に鈍感すぎると、素晴らしい変容が自分に起きていたとしてもそれはすべてなかったことになってしまう。呼吸が繋いでくれた懸け橋の先にある素晴らしい景色を見ることができるのは世界で一人の自分だけ。
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自己実現は慢性的な緊張が柔らかくなった結果として起こるものです(ソマティック心理学より)