客観→俯瞰→ほぼおわり

この前こんな記事を書いた。


  



今日は断捨離をした。

 

家も店も断捨離しまくったはずなのに、時間が経つと物は微妙に増えていく。

 

ここから先は身を削る思いで捨てるのかと一瞬思いかけたけど、はじめてみると次々と要らないものが発掘された。

 

とりあえず取り置いたものはほとんどはいらないものだったけど、商品券20000円分が断捨離をしたがゆえに発見された。

 

 

これはありがたい。

 

 

断捨離の後にぞうきんで床の水拭きをするために神棚のお神酒を少し入れようと思って、先日もらった高龍神社のお下がりを神棚から降ろした。その時にお供えしていた水入れが落ちてしまったが、幸い割れなかったのですぐに拾って水を入れ直した。そしてふと置かれている封筒が気になって開けてみたら、20000円分の商品券が発掘された。

 


やっぱり神様っているんだね。

 

 

そしてもう一つ、店の断捨離をしている時に思いがけずに出てきたものがある。

 

それはおしゃべりセッションで生徒さんが書いてくれてレポート。

 

蒸し暑い木曜日。

 

静かな店内でひとり、それをもう一度じっくり読んでみた。

 

 

 

昨日は6月の家計簿をつけた。

 

たとえ収支がマイナスになろうとも、現実を把握すると安心するのはなぜだろう。

 

こんなに休んでいるのに、なんとかやれてしまっている。

 

 

 

「まじで今月やばい」

 

 

からの~、

 

 

「奇跡的に大丈夫だった!」

 

 

の連続でなんとか生きている。

 

 

振り返るとオープンしてからずっとそうだった。

 

 

いつも結果的に大丈夫だったというオチ。

 

 

お店をやってよかったと思うことの一つに、お金の捉え方が大きく変わったことがある。

 

 

「結局大丈夫なんだ」

 

 

というのは極論だけど、今までの概念が反対になった感じがする。

 

 

もしかして「店」はすごいポテンシャルを秘めているのかもしれないと思った。

 

 

資源ごみとか廃油を捨てに行こうと思ったけど、それは明日にすることにして換気扇の掃除をした。

 

やらなきゃ!と思っていたことを、重い腰を上げていざやってみるとあっさり終わった。

 

部屋がすっきりして、床がすべすべして、換気扇がピカピカしている。

 

にゃー子は2階ですやすや寝ている。

 

私も少し昼寝をしようと思ったけれど、思い切って夕ご飯の準備をした。

 

唐揚げを作ろうと思ったけど、漬け置く時間が足りなかったのもあってやめることにした。昨日買った食材でなんとなく作り始めたら、自分が好きな感じの夕ご飯ができた。

 

 

お風呂に入った後におじちゃんがくれたパルムを食べながら、再び生徒さんが書いたレポートを読み返した。

 

 

生真面目な性格なのだろう。

 

A4にびっしりと自分の変化変容が書かれていた。

 

セッションを始めたころは「〇〇すべき」が強くあって、無意識に言葉尻に「きゃ」が付いていたから、

 

 

「〇〇しなきゃ!の『きゃ族』ですね」

 

 

と、名前を付けた。

 

 

セッションを重ねるごとに「べき」「きゃ」が抜けていき、「私は○○である」の「である」が増えた気がする。

 

 

そして彼女はきゃ族を脱却し、



「デ・アール族」となった。

 

 

レポートを読み返した率直な感想として、悪くない解釈だと思った。

 


主観で捉えられる自分について、かなり深堀できている。

 


だけど。


 

レポートからなんとも言えない力みを感じるのはなぜだろう。

 

ひろみ語で言えば、まだ使えていない脳の領域に触れられていない感じがした。

 

 

潜在意識っておもしろいよ。

 

 

「私は○○である」

 

「私は○○である(と、思っている)

 

「私は○○である(と、思っていることを認めてほしい)」

 

「私は○○である(と、思っていることを認めてくれれば、私が変わったことが証明される)」

 

 

(かっこ)の部分を自分で認識して書き起こせたら、この人はもう5階へお引越ししているはずだ。

 

(かっこ)の部分を認識できていないとしたら、まだ2階にいると思う。

 

でも、上の階へ行きたい気持ちがある人だから、その人自身が無意識の(かっこ)の部分を読み解くことが出来れば、3階を飛ばして7階に行くことも十分可能だと思う。

 

2階でやれることはもうやり尽くしてる。

 

もっともっともっともっと楽で快適な世界はある。

 

 

【ひろみマンションの住人達】

屋上 猫族(何も考えてない)

7階 俯瞰族(眺めてる) 

6階 パルム族(大体大丈夫だと思ってる)

5階 かっこ族(気付き始めてる)

3階 デ・アール族(頑張ってる)

2階 きゃ族(焦ってる)

1階 べき族(自信がない)

地下 他人軸族(決められない)

 

※俯瞰族はきゃ族を理解できるけど、その逆はない。

 

 

湯たんぽの話をしてもみんなぽかんとしていたな。

 

私は毎度、自分のことを信じてもらえていないような気がして複雑な思いが込み上げてきたけれど、今思えばそれはちょっと違うかもしれないと思うようになった。

 

本当のところ、みんな自分のことが信じられないんじゃないかなと思った。

 

自分の感覚がわからないから、体感で感じられる情報を脳で解釈することができないような気がした(これもひろみ語ですけど)

 

そう仮定するとやはり、頭と体が分離している感じがする。

 

 

「湯たんぽやっています」と言ってくれた人たちは今、どうしているかなと思う。

 

 

ちゃんと湯たんぽをやっている人は、いいことだけじゃなくて悪いことも起きる。

 

でもそれはいいことなんだけどね。

 

ヨガ的に言えば「吉兆」ってやつですかね。

 

 

あぶり出された「悪いこと」をちょっとずつ、確実に整理していく。

 

時間をかけて言葉が自然に変わるのを待つ。

 

待てる自分になるまで待ってあげる。

 

この意味が理解できてしまう。

 

 

 

変容を端的な言葉にするとこんな感じなのかな(ひろみ語ですけど)

 

 

 

誰にも会わず、どこにも行かず、なにもしなかったけど良い日になった。

 

朝になったけど、ちょっと寝ようかな。

 

俯瞰族の人生は体感的にフレックス。



今回の募集は30日まで。