謎すぎるサンクチュアリが始まりました。
全6回のうち、2回終了しています。
生みの親である私ですら、
「これは成立するのかな?」
と、実は半信半疑でいたけれど、実際やってみたらサンクチュアリは講座というよりも、ひとりの人の人生を掘り起こしていくような時間だった。
「その人が今なぜそうなのか」
おしゃべりをして、ご飯を食べながらそれが自然に紐解かれていく。
教えることもなければ、教わることもない。
ほぼ制限のない状態で、自由にふるまえる場所。
先生と生徒という関わりもない。
私はただの観察者であるとともに、一緒に場所を楽しむ参加者でもある。
そして共にした時間と場所の記録係兼、表現者。
日常に戻った時にその日の「自分」を文章で振り返ってみる。
そこには全く知らない自分がいるのではないかと思う。
知っているようで知らなかった自分の存在を、無視したまま生きて行くには残りの人生は長すぎる。
そう思いませんか?
見てこなかった自分の存在をちゃんと認識してあげる。
無視してごめんなさいって心の中で言ってあげる。
本当に欲しいと思っている安心感覚は、そういうことでしか手に入らないと私は思っている。
サンクチュアリとは、本物の安心感覚に触れることなのだと思った。
自分がいるべき神聖な場所に、還してあげることなのだと思った。
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一応、自分が主催しているのに
「一体これはなんの時間なのだろう?」
と、我に返って不思議な気持ちになることがある。
熱心にメモを取るわけでもなければ、録音しているわけでもなくて。
一緒にカレーパーティーを楽しみながら話を聞いて、その日の一日を少し時間が経った頃、思い出しながら書き起こしてみる。
そうするとなぜか、その時は気にならなかった表情やちょっとした言葉が妙に気になって、その時のことをもう一度見ようと試みる。何度もその時を感じてみる。
そんな風に外と内を行ったり来たりしていると、その人の人生が自然と浮かび上がって来ると思った。
面白い副産物としては、自分のことも浮かび上がって来ました。
私の目を通したその人を、その人自身が再認識する。
こんな機会は早々ない。
私もなぜこれをやっているのか、もはや説明できずにいる。
ヨガもカウンセリングも、占いもヒーリングも、世の中にあふれているメソッドは、
自分のことを知りたい。
自分らしく生きたい。
自分のことを好きになりたい。
結局はそういうことの為にあるのかもしれないと思うようになった。
偶然だけど全く新しい形で、私らしいやり方で、そこにアプローチしてみたいと思うようになりました。
運動をして、湯たんぽで寝て、おしゃべりをして、ご飯を食べて。
コーヒーを飲んで、デザートを食べて。
まるちゃんが鳴いて、おじちゃんがわーわー騒ぐ。
この一連の流れに誘いつつお供するのは私ですが、限りなく壁に近い存在なので、癒し系の話しやすい壁と思って下されば、ほぼ間違いないでしょう(は?)
壁が見たこと聞いたことを、そのままお返しいたします。
「自分はどんな人間なのか?」
それって永遠の問いだと思っている。
自分らしさなんてきっと、永久にわからないままだと思うとともに、でも人は知りたいはずなんだ。
と、仮定して話をまとめると、サンクチュアリは私の目を通してあなたを見ることができます。
自分の目を通してしか見てこなかった自分を、他者の目を通して見てみるときっと見え方は違うはず。
いろんな角度から自分を見てあげると、意外な自分に出会えてきっと新鮮な気持ちになる。
いつもの毎日だって、見え方がちょっと変わる。
その「ちょっと」が意外なところに繋がる気がする。
それが人生を面白くするんじゃないかな。
と、私はそんな風に思ってる。
わかりやすく大きく何かを変える講座ではないけれど、人生は長い。
「あの時にサンクチュアリに出会ってよかったな」
「思い切って飛び込んでよかったな」
「思い返せば確かにサンクチュアリが自分の人生の流れを変えたな」
そういう内容だと思います。
募集要項です。

