テルマエ・ロマエでおなじみのヤマザキマリさんの最新作

 

 

 

 

私の読書は、職業病というか、すぐに多様性や不登校に結びついて考えるので(笑)

不登校家庭にも響くものがあると、ついつい紹介してしまいます。

 

彼女の著書「ヴィオラ母さん」では

豪快で破天荒な彼女のお母さんのストーリーが書かれていて

ただただ、その破天荒っぷりに「すげえ」と感服。

すごく面白かったです。

 

 

 

次はムスコか。

そう思って読んでみました。

彼女の本は、読者を裏切らない。

少なくとも私にとっては。

 

私が彼女の本が好きな理由は

その多様性にまみれた自由さです。

 

世界中を知る彼女。

多様性のるつぼで育った、ハーフの息子はどんな人生を送っているんだろうか。

 

人生とは、子育てとは。

そんな本質もここには書かれていて、共感するばかり。

 

 

「それぞれの趣味や嗜好は親であろうと分かち合えないこともある」

ムスコがトレーディングカードにはまっていた時も、

自分は好きじゃないし理解できないけれど、

ムスコが好きならと見守っていたマリさん。

それを理解しつつ、ブームは過ぎ去り、成長したときに

たまたまトレカのイベントの英語通訳に駆り出されるムスコ。

そこでムスコが一言。

「無駄に思えることも役に立つこともある」

 

ほんと、それ。

人生、何が未来に影響するかなんて、誰にもわからない。

だからこそ、無駄な経験なんて一つもない。

不登校だって、同じです。

 

マリさん曰く、

「私は子供の将来を妄想したことはなかった。将来だけでなく、教育もそうだ。

生まれて人生歩んでもらうだけでも一苦労なのに、さらにそこへ自分勝手なイデオロギーを盛り付ける気持ちになど、とてもではないがなれなかった」

「大きな挫折と向き合っても前向きに人生を全うする力がはぐくまれれば、もうそれ以上に望むことなどなかった」

 

ここ、かなり本質だと思っています。

不登校で親が悩むのは、根底にこれが大きく影響していることが多いです。

親が「望む」子ども像。

こうあってほしい。

それが強いと、なかなか現状を受け止めるのに時間がかかってしまいます。

「ああそうか、これは私の人生ではなく、子どもの人生だ」

そんな離別感をもって子どもを見守れるようになると、世界は結構楽しく変わります。

 

第18話「思い通りにはならない」には、

「家族のあり方に限らず、世の中は人間の社会も自然も全て、なにひとつとして、思い込まされてきた通りにはならないようにできている。そんなことはわかっているのに、人間というのはつい、「これはこうあるべき」という信念を無理やりにでも押し通そうとして、その通りにならなければ失意や絶望といった感覚に陥る生き物だ。」

そんな言葉が書かれていました。

 

「こうあってほしい」があっても、別に悪いことではないのです。

人間だもの。

ただ、そこに気づいているか。意識があるかどうか。

誰だって、何かに期待し、落ち込み、そうやって人生を歩いています。

失意の底にあっても、立ち上がる原動力は、気づき。

 

 

暴君で有名な、皇帝ネロの話も載っています。

ネロの母親はある意味「毒親」でした。

息子のネロを自らの造形作品として、あらゆる手段で皇帝につかせ、貨幣に親子の向き合う姿を刻印までした。

毒親であることに気づき、母を殺害してもなお、母の亡霊に悩まされて自殺してしまうネロ。

何とも悲しい歴史。

 

ほかにもエピソードのいたるところに

メッセージが込められています。

興味があったら、読んでみてください。

 

最後のあとがきがまた最高だったので少し紹介。

あとがきはなんと、ムスコ本人が書いています。

「ハハ物語」として(笑)

 

締めの言葉まで書いてしまうとネタバレがひどくなるので

やめておきますが、

マリさんが書いていた

「大きな挫折と向き合っても前向きに人生を全うする力がはぐくまれれば、もうそれ以上に望むことなどなかった」

 

達成してます。ムスコさん。

 

レジリエンス力って、結局多様性。

そこに尽きるなあと、改めて納得する私でした。

 

 

 

 

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