その年のコンクール問題には『CTI機能』という言葉がありました。


???


よく読んでみると、コンピューターシステムと、通信システムの統合の略で、今回の問題では、登録された電話番号から電話がかかってくると、自動的にコンピューター画面が立ち上がり、お客様の氏名・電話番号・会員番号・購入履歴などのお客様情報が瞬時に把握できるというものだそうです。


へ~。


今までのコンクール問題は、あくまでも『人と人との会話』がメインでしたので、コンピューターが絡んでくる設定は初めてです。


このCTIを活用した電話応対が求められる。それがこの年からの問題になったのです。


とはいうものの、CTIなんて聞くのも初めて、ましてや見たことなんてありません。


上司に自分のコンクール出場を打診すると、これがあっさりと決まりました。


少しして、コンクールに参加する選手を集めて、事前にCTIを導入している企業を見学させてもらうことになりました。

当時、市内でCTIを活用しているのはタクシー会社だけだったそうです。


で、ユーザ協会さんに引率してもらって見学。


登録している電話番号から電話がかかってくると、お客様の氏名・電話番号・お客様の自宅付近の地図がパソコンの画面に現れました。


『おおっ!』


一同、感激。


早速、会社に戻ってスクリプト作りに取り掛かりました。


今だから言えますが、仕事をしていてもスクリプトの応対原稿が気になって気になって、仕事の書類の下にスクリプトを隠し、思いついては書き込んで、思い直してはまた引っ張り出して書いていました。


このコンクール問題は本当に細かいところまで設定が決められていて、応対月日に始まり(今は時間まで決められています)、事業所名から業種、応対者の名前、取扱商品とその特徴、お客様情報ももちろんこと細かく決まっています。


限られた3分間の中で、いかにその設定の社員になり切ってお客様に応対するか。


人と人との会話だけであったのが、今回からCTIシステムでワンクッションおくことが必須になったのです。


このCTIをスクリプトの中にどう取り入れるか。


当然、電話番号はナンバーディスプレィで表示されますので、相手(会社や苗字)はわかります。


そうなると、今までは


「はい、○○会社でございます」

「課長さんお願いします」

「はい。課長でございますね。失礼ですが、お名前をお聞かせいただけますでしょうか」


と応対していたのをCTIでは


「はい、○○会社でございます」

「課長さんお願いします」

「はい、課長でございますね。あ、△△様、いつもお世話になっております」


という応対もできることになります。


ただ、向こうが名乗らないのに、いきなりこちらから

「△△様」

と、応対するとどうなるでしょう。


びっくりなさるでしょうね。


また、「どうして名乗らないのにわかってるの!?」

と、気味悪がられるかも知れません。


当時は個人情報保護法がまだ施行されていなかったので、このような対相手への感情が配慮されていたように思います。


実際にCTIを導入している他の会社では、相手がわかっていても

『名前を聞く』

『電話番号を聞く』

と応対していたそうです。


ラッキーなことに、その年の問題はお客様から名乗ってくださる設定でしたので、そこまで心配せずに済みました。


スクリプト作りに取り掛かってから約一週間。


私は張り切っていました。燃えていました。


また選手で出場できる。


前はせっかく東北大会に進んだのに何もできなかった。


今回はできる限りのことをしよう。


思うに、初めて選手で県大会に出場した時も、次の年に東北大会に行ったときも、私は『ここまできたんだから、もういいや』と心のどこかで満足していました。


実際は、その上の、また上の大会もあったのに、自分次第ではその次に進むこともできたのに、自分で自分の限界を簡単に線引きしてしまっていたのです。


そのせいで、どんなにか自分自身情けなく、自己嫌悪に陥ったことか。


そのたびに


「どうせ私なんて」

「どうしてもっと頑張らなかったんだろう」

「やっても無駄」

「どうしてあそこで満足したんだろう」


とぐるぐると同じ考えが頭をめぐっていたのです。

それに加えて、自分がアドバイスした選手は毎年成績が振るわず、かと言って自分に何が足りないのかもわからず、焦るばかりでした。


その中での今回の出場決定。


これはチャンスかもしれない。そう思いました。


これで自分に足りないものがわかるかもしれない。

これをきっかけに私はもっと成長できるかも知れない。

あの上位に入賞した素晴らしい選手達のうちの一人に加われるかも知れない。


思いついては書き、書いてはまた消し、いつでもセリフが浮かんだらすぐ書き留めることのできるように、枕元にもメモ用紙をおき、そうやって書き溜めたスクリプトメモは厚さ2cm近くにもなりました。


私のやっていることは無駄じゃない。


きっと大丈夫。


私は、新入社員の頃から会社で受ける電話の評判が上々だったのにも気をよくして、すっかりそう思い込んでいたのです。



地区大会の日が近づいていました。




今年の電話応対コンクールも地区予選、事前研修と始まっていますね。


今回は『愛知トラベルの高橋社員』の登場です。

その年の問題に登場する社名は全国大会開催地にちなんだものがつけられます。

問題を見ると、全国大会がどこかわかるわけです。


昨年は『営業トーク』にスポットが当たっていましたが、今年は営業トークに引き続き『個人情報保護法が絡んだクレーム応対』があげられています。


クレーム応対のスキルを勉強・実践するにはいい機会だと思います。


ちなみに、毎年自分が選手になったつもりで(本当はまた出場したい)スクリプトを組んでいますが、今のところの仕上がりを見るとクレーム応対と営業トークが半々の割合です。


皆さんはどうでしょうか?


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



東北大会に出場した(だけ)の私は、次の年から社内コーチになりました。

その年から地区大会が開催されることになり、毎年社内から一名ずつ選手を出場させていたのです。


『コンクール』と聞いてしり込みする社員を相手に

「大丈夫です。応対原稿の叩き台はこちらで作りますから。練習していただいて、参加してくださるだけでいいです」

と、何とも無茶なお願いをして協力してもらっていました。


こちらで用意した原稿で応対してもらおうなんて、思い上がりもはなはだしいですよね。

東北大会で味わったショックはどこかへ消え去り、私は妙な自信と勘違いで選手の練習を仕切っていました。


ややトーンが低めの選手と違い、私は毎年ハイテンションで教えていました。

コンクールの問題が発表になると、大好きな彼に会うようにドキドキしながら、問題をめくったものです。

そのころ参加してもらった選手は、社内の先輩がほとんどでした。

今にして思えば、よく呆れずに練習に付き合ってコンクールに参加してくれたと思います。


教え方も知らず、選手を伸ばすスキルもわからず、ただ毎年スクリプトを自分で組んで選手を送り出していました。

成績はどうかというと、地区大会はほとんど1位で通過するのですが、県大会に進むとまったく歯が立たない。


その頃の審査基準は、感じよく・きちんとした言葉遣いで・用件が足りているか・・といったものでした。


どうしてだろう。


『スクリプトは簡単な言い回しで、中身を整理して』


これでいいはずだ。


『ゆっくりと大きな声で話す』


これでいいはず。


『発声はきちんと』


これで・・・。


・・・私は間違っているんだろうか。


自分が教えてもらった通りにやっているつもりなのに。


どうして結果が出ないんだろう。


自分が信じてやっていることは方向が違うんだろうか。


迷っている私を尻目に、県大会のシーズンになると出場した先輩や後輩が新聞に載ったりニュースに映っているのを会社の皆で見て、ちょっとしたお祭り気分を味わっていました。


『コーチしても結果が出ない』


どうして?

どうして?

どうして?


不安のスパイラルに陥って、8年。


いつの間にか出場させる選手もなくなり、コンクールの参加自体も見合わせるようになりました。


コンクールの参加案内が会社で回覧になっても、私以外、誰も関心のなくなった頃。


ある年のコンクール案内の文章が目に留まりました。



・・・?これって?何?



つらつらと当時の事を書いていると明らかに今の自分と違うところがあります。

20代前半の私はといえば


「どうせ私なんて」

「田舎者だし」

「やっても無駄かもしれない」

「周りは凄くて自分は大したことない」


・・・とまぁ、ネガティブ思考のオンパレード。

かと思うと、ちょっと誉められると木に登って天狗になり、ちょっとつつかれるとすぐしぼむので、

周りから見るとさぞかし扱いにくい女の子だったと思います。


今はと言えば


「私がやりましょう!」

「見られてもヘーキ」

「努力は必ず花開く!」

「自分は・・大したことはないけれど、周りに助けられている」

「私は運がいいっ」


とても同一人物の言うこととは思えませんね。


コンクールと出会って、私は変わりました。

根本は変わっていないかも知れませんが、少なくとも考え方はプラス思考に

なったと思います。


それはなぜかといいますと・・・・


これから、おいおい書いていきますね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



集合時間になり、選手・役員が会場に入りました。


ステージにはスポットライトがあたり、華々しくセレモニーが始まりました。

司会の方のマイクで会場に響き渡る声さえも、自分がイメージしていたコンクール選手の

素晴らしい応対と重なりました。


・・・すごいなぁ。


・・・いい声だなぁ。


今にして思うと、プロのアナウンサーが司会をしていたのだから当たり前なんですが

その時はそれだけで自分が縮こまっていくのがわかりました。


東北大会は県大会と同じように『交換取扱の部』と『一般社員の部』の同時開催でした。

選手の企業は東北大会ともなると、全国に展開しているコピー機メーカー、百貨店、電力会社

ホテル、市役所・・・。

名簿を見るとサービス業ばかりで、建設会社は私だけ。そこだけ浮いて見えました。


(妙に浮いて目立ってるし・・)


気持ちは暗くなりました。


そんな低いテンションでいい競技ができるはずがありません。


「わたくしは、○○番です」


声が震えて、力のない自分の声が会場に響いたところまでは覚えています。


スポットライトを浴びて、華々しいステージに立ったはずなのに・・・・


・・・はっと気づくと選手控え室にいました。


なんの手ごたえもなく、なんの感動もなく。


あっけなく東北大会の競技は終わりました。


会場の観客席に座り、ステージで生き生きと競技をする選手をぼーっと見つめました。

笑顔が輝いている選手。

声に柔らかさと落ち着きがある選手・・・。


ひとり、とても目立つ応対をする選手がいました。


声には張りがあり、きびきびした応対。

そして受話器を置く際の「失礼致します」が会場に響き、ギャラリーがシーンと

静かになりました。


すごいなぁ・・・。


その選手は満足そうに微笑み、観客席に一礼して舞台袖に消えました。


そして、表彰式。

成績発表でその選手の名前は呼ばれませんでした。

???

なぜ?なぜこの選手が入賞もしなかったの?あんなにギャラリーが注目していたのに?


今ならわかります。


その選手の応対は

「お客様に対しての応対」ではなく、

「会場にいるギャラリーに聞かせるための応対」だったからです。


「私の応対を聞いてちょうだい!」


というイヤらしさが出てしまったのです。


それに気づかず、選手はとても自分の応対に満足していました。


練習どおりに一言一句間違わずに言えた。

会場の皆が自分に注目している。

それだけ自分は凄い応対をしたんだ。


きっとそう思ったことでしょう。


でも、あくまでも電話応対コンクールは『お客様との会話』です。

いかにお客様のために心をこめて応対できるか。

いかに企業イメージのアップに繋がる応対ができるか。

いかにお客様との良好な関係を築けるか。


でも、その時にはそんなこと知る由もありませんでした。


ともかく。


こうして、私のコンクール東北大会は『行って戻ってきただけ』に終わったのです。






電話応対コンクールにはむかーしから『制限時間3分』という決まりがあります。


結構この3分間が厄介で、セリフの無駄を徹底的に省き、スムーズに会話の流れを整え、

その上、自分だけのアピールポイントも入れなければなりません。


もちろん、時間オーバーは厳禁。

審査員一人、5秒につき1点の減点です。

つまり、大きな大会で審査員の数が多くなるほど減点数も多くなり、選手には非常に不利になります。


ちなみに、私が県大会で準優勝した時は『2分57秒』でした。


時間を有効に使うのはいいことですが、ギリギリというのも心臓に悪いので、あまりおすすめできません。


ふだんの計測で2分45~50秒におさまるくらいに余裕を見るといいと思います。

万一、言い直しをしたときにも時間内におさめることができますから、保険代わりのようなものです。


そのころの私は時間配分など考えてもいなかったので、コワいもの知らずですね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



東北大会は仙台でした。


でも、『県大会準優勝』に周囲も自分も浮かれていて、ほとんど練習をした記憶がありません。

本当はそんなに余裕をつけている場合じゃないんですよね。

更に上の大会に行くのであれば、応対をブラッシュアップして調整をし直さなければならないのに、

全然練習しませんでした。


その時点で自分の中では、県大会準優勝に満足して自分のコンクールは終わっていたんですね。

上には上があるのに、自分をもっと高みにと奮い立たせることはひとかけらも考えなかったんです。


加えて、当時は事前研修は実施されていませんでしたし、NTTプロジェクトチームとの打ち合わせもさらりとでなんとなく終わったように思います。

当初の目的は『県北から県大会入賞者を出そう!』でしたから、私も、プロジェクトチームも燃え尽きてしまったのです。


今にして思うと、・・・・・上位大会の出場のチャンスを・・もったいない~!


選手のコンクールに対する目的、価値観はひとそれぞれだと思います。

「予選を突破したからいいや」

「県で入賞していい思い出になったわ」

「地方大会で入賞したよ。やったー!」


でも・・・


コンクールって勝つことが目的なんでしょうか。

そうだったら、コンクールで優勝したら目的が達成されて、それですべてが終わりなんでしょうか。

自分の人生のいい思い出になって、それでおしまいなんでしょうか。


もちろん、当時の私はそんなこと ひとっっつも 考えませんでした。


生まれて初めての仙台行きが決まって、ひとりではしゃいでいました。

支店に連絡をして案内をしてもらう段取りをつけたり、コンクール当日に着る服を買いに出かけたりとすっかり観光気分を満喫していました。


で。


肝心の練習はおろそかに・・・。


コンクール当日、会場に入ってまず度肝を抜かれました。


「なに!これ!?」


・・・・県大会の会議室のような会場とは違って、東北大会の会場はコンサートなどを行う文化ホールのようなところでした。

当然、何百という観客席。

ステージには机の上に電話機がひとつ。

その電話機にスポットライトがあたっています。


え~・・・・・・・。このステージで競技するの・・・・?


そのステージを見ただけで、私はすっかり怖気づいてしまい、顔が引きつるのがわかりました。

周りをみると、常連の選手と会社でしょうか、何人かの人たちがおそろいのユニフォームで観客席に陣取り、楽しそうに話をしています。

反対を見ると、スーツ姿の役員らしき男性が、選手らしい若い女性達になにやら指示を出してミーティングをしています。


明らかに戦闘モード。明らかに意気込みが違います。


私はというと、ユーザ協会担当のNTTの方とふたりきり。(仙台の方でした)


これって・・・




・・・・またしても場違い!?




目の前のギャラリーに一礼して、競技席へ。


去年と同じく、長い会議用のテーブルに電話機がひとつ。

審査員と相手役の模擬応対者は別室にいます。


まず、模擬応対者から目の前の電話機に電話がかかってきたら受話器をとり

「私は○○番です」


と、名乗ります。

この競技番号はあらかじめ受付の時にクジを引いて決められます。

個人名を出さないのは審査に影響が出ないよう、またそう誤解を与えないように

公平を期すためです。


そして一旦電話を切ると、いよいよ始まります。

電話が鳴って

「はい」と出てから(問題によって、こちらからかける場合と先方から

電話がくる場合があります)

「失礼いたします」と電話を切るまで3分以内におさめなければなりません。


競技席で深呼吸をひとつ。

ドキドキと体全体が呼吸をしているようです。

スクリプトを持った指先が汗で湿り、紙がふやけてきました。


大丈夫。あんなに練習したんだもの。


大丈夫。去年のような失敗はしない。


受話器を取って番号を押します。


「はい」


模擬応対者が出ました!


「わたくしは○○番です」


そう名乗って受話器を元に戻しました。

もう後戻りは出来ません。


震える指で慎重にプッシュボタンを押します。


トゥルルルル・・・  もう心臓が張り裂けそうです。


「はい、ユニオン家具、栄町店でございます」


相手が出ました!


「はい、わたくし、本店管理課の・・・」


精一杯の笑顔でスタート。

周りのギャラリーは努めて見ないようにしました。

でも、下を向くと声がこもるので背筋は伸ばして。

視線は電話機本体の少し上におきました。


今回の問題は2シーンで、

①こちらから支店に電話をし、毎年行われている社内行事の

 『販売成果発表会』の発表者に栄町店からは滝田社員が選ばれた旨

 支店長に報告&発表者あてに伝言。

 ちなみにこの発表者に選ばれることはかなりのステイタスらしいです。


用件が終わったら今度はお得意様に電話します。


②『販売成果発表会』はお得意様をお招きして行われています。

 社長様あてに電話をして、ぜひ発表会に来ていただきたい旨のお誘いトーク。


・・という内容でした。

2シーンあるので当然模擬応対者も2人。どちらも男性でした。

今はほとんど女性の模擬応対者ですよね。


ポイントとしては

『社内の応対(事務連絡)と社外の応対(お客様向けの話し方)の差を出す』

『発表会に行きたいと思わせるようなお誘いトーク』

です。


私はかなり緊張していて(当たり前ですが)


「させていただきます」を


「さ、させていただきまス」となんとも噛みカミの応対をしてしまいました。


・・・「さ行」は今でも苦手です。


心の中で

(やっぱりやっちゃいましたよ~!)

と、叫びながら引きつった笑顔で

「失礼いたします」

と静かに受話器を置き、競技終了。


体中の力が一気に抜けました。もう放心状態、脱力。


競技が終わった選手はそのまま会場に残って、他の選手の競技を

聞くことができます。


ギャラリー席に座ると、引率してきたNTT担当課長さんが

「よかったですよ」

と、なぐさめてくださいました。


「えぇ~?だめでしたよ・・途中で噛んじゃったし・・」


できることはしたはずなのに、スムーズに言えなかった

「させていただきます」

がずっと心に引っかかっていました。


時間が経つにつれ、他の選手の応対を聞いていくにつれ、

段々と気分は暗くなっていきました。

やっぱり、他の選手の方がうまい。スムーズで、話しなれていて、

声にゆとりがある・・・。


・・・なんか、今年もダメみたい・・・


先ほどの競技で読み上げた、手にしたスクリプトが涙で滲んで見えました・・・。


すべての競技が終了し、審査に入りました。

ほどなく結果が出揃い、成績発表。

朝の9時過ぎから始まった県大会はすでに夕方になっていました。


まずは入賞者の発表です。


それでも、もしかしたら、下位でも入賞できたら・・そんな淡い思いを

抱いて会場の椅子に座りました。


最初の入賞者の発表。私の名前ではない選手名が呼ばれました。


(ああ、やっぱり・・・。)


次の発表。やはり私の名前は呼ばれません。


(当然かな・・でも、あんなに頑張ってもダメなものはダメなんだ・・)


三位入賞の発表。


(やっぱり。あの選手上手かったもね)


そして


「準優勝。競技番号○○番。○○地区代表、○○美晴さん」




へ!?



わ、私!?


私は思わず

「うそだ~!」と大きな声で言ってしまいました。


静かな会場に私の


「うそだ~!」


が響き渡りました。今思うとかなり恥ずかしい図です。


・・・準優勝。


担当課長さんを見ると大きく頷いています。


わたしが、わたしが、県大会準優勝!


・・・やった・・・やった、やった、やったぁあああっ!!!


とても、とても信じられませんでした。


コンクール出場二回目で、しかも地区大会なしの推薦枠で、

電話応対の実務経験も3年にも満たない、外出着がなくて、

ブラウスとスカートを母親から借りてくるような私が!!

周りの選手は県内でも有名な企業の、洗練された応対の選手が

いっぱいいるのにっ!!


恐るべし、NTTの底力。


一緒に『交換取扱の部』に出場した選手は敢闘賞を獲得。

2人揃って賞をいただけるという嬉しい結果となりました。


担当課長さんの運転で帰る途中、食堂で夕飯を食べました。


「テレビ、つけましょうか」

と、課長さんが言うので、言われるままにリモコンのチャンネルを押すと、

丁度夕方のニュースでコンクールの事が流れていました。


「あ、私達映ってるっ」

はしゃぐ私達に

「そろそろニュースに入る時間だと思って、ここで食事にしたんですよ」

と課長さんも嬉しそう。


次の日、会社では大騒ぎ。


「美晴ちゃん、県大会で準優勝したんだって!?ニュースに入ったんだって?」


「はーい、そうでーす」


もちろん、NTTのプロジェクトメンバーも大喜び。


「いやぁ、やったなぁ美晴ちゃん!よく頑張ったよ~!」


皆で嬉しそうに拍手してくれました。


「ありがとうございます。皆さんのおかげです!」


すると支店長さんが


「いやぁ、まだまだ頑張ってもらわないとね」


ん?


「この調子で東北大会も頑張ってね!!」


えっ???


これで終わりと早合点して浮かれていた私はこの時気づいたのです。



自分が東北大会に出場することに。














初めてコンクールに参加した次の年。


夏が近づいていたある日、また上司に呼ばれました。


「美晴ちゃん、またNTTさんでお願いしたいそうだ」

「え?お願いって・・」

「電話応対コンクール」


途端にあのイヤ~な冷や汗や、恥ずかしい思いが

フラッシュバックのように蘇りました。


「コンクール・・ですか」


にっこり笑って有無を言わさない上司。


「はい・・わかりました」


こうして自分の意に反してコンクール再びコンクールに

参加することが決まりました。


今だったら、頼まれなくても出たいけれど、当時はもう

イヤでイヤでしようがありませんでした。

きっと今も「会社から言われて強制的に」出場の選手も

多いのではないでしょうか。


ともあれ、またあんな思いをするのはイヤだなぁ・・

と思っていたところに地元NTTから連絡が入りました。


「今回はちょっと練習しましょうね」


の「ちょっと」のつもりで私はNTTの玄関をくぐりました。


応接室に通されるとそこには

支店長さん、担当課長さん、電話教室のインストラクターおふたり、

それからもうひとり機械担当(?)の男性の方。


けげんな顔をしている私に支店長さんが

「実は、ぜひこの県北から県大会の入賞者を出してみたくてね」


え!?


「一緒に入賞目指して頑張りましょう!!」


ええぇぇぇえええぇぇぇぇっっ!?


・・・うそでしょぉ~・・・


うそではありませんでした。

この豪華メンバーが私に付きっ切りでコンクールまで

指導してくれるというのです。


『県北から入賞者を出そうプロジェクトチーム』の結成でした。


次の日からNTTに通い、特訓の日々が始まりました。


まずはスクリプトを作り、皆であーでもない、こーでもないと

会議。中でも支店長さんがとても燃えていて


「この『おめでとうございます』は前のほうがいいかな、それとも

後のほうがいいかな!」


と一生懸命。何もわからないうえに押され気味の私に

電話教室インストラクターの○原さんが


「いくらまわりでとやかく言っても、あなたが言いやすいように

したらいいのよ」


とさらりと言ってくれたのがとても印象的でした。

これってちょっとしたことですが、選手にとってはとても

大事なことですよね。いくらスクリプトや言い回しを先生が

教えてくれたとしても、結局本人が言いにくかったら

何にもなりませんから。


そしてスクリプトが完成したら今度は読みこみ。


「あー、早いね。もっとゆっくりでもいいかしら」


「はい」


「『ご案内しました』のところで間を取って」


「はい」


「最初の音をはっきりと」


「はいっ」


「じゃ3分に収まるか計りましょう」


「はいっ!」


・・・・・


「もう少しゆっくりでもいいかな。

もっと笑顔でね。じゃ、もう一回」


「はいいっっ・・・」


こんな調子で毎日約2時間。

10日間NTTに通いました。


ありがたいことに、こちらの上司の理解のもと

日中の業務時間内にトレーニングを受けさせてくれた

上に、最初のこのメンバーがほとんど毎日揃って

私の指導をしてくれたのです。


最初は嫌々通っていましたが、

このプロジェクトチームのメンバーの熱意に押されて

いつのまにか私まで一生懸命になっていきました。

・・・今にして思えば、巻き込まれただけかも。


ともかく、このトレーニングで私は

『スクリプトは簡潔な言葉遣いで』

『笑顔で応対すると笑顔が相手に伝わる』

『語尾まできちんと言い切るときちんとした印象になる』

『強調したいところの前に間をおくと際立つ』

『心のこもったひとことを』


ということを学びました。


そしてあっと言う間にコンクール前日。

やはりなかなか眠れませんでしたが、なんとなくの

前回とは違って妙にワクワクしていたのを覚えています。


『これだけ練習したんだから、どんな結果になるんだろう』


前はほとんど準備もせずコンクールの様子もわからず

不安と緊張だけでしたが、今回は違います。


今自分ができるだけのことをした、そんな充実感に

満ち溢れて、プロジェクトチームの皆さんに対し、

感謝の気持ちでいっぱいでした。


当日はプロジェクトチームの一員、担当課長さんと

もう一人電話交換の部に出場する選手と3人で

県大会の会場に向かいました。

今回も地区大会なし、推薦での県大会です。


おそらく、選手名簿を見て

『コイツ、また来たな』と思われていたかも

知れません。


でも、今回は違うっ!


妙な自信と不気味な微笑をたたえて

もう一人の選手と控え室に入りました。


控え室では交換の部、一般社員の部と

一緒になっていて、他地区の選手の話を

聞くことができました。


皆とても気さくで、中でも県南地区温泉宿の

交換手のヒトは

「夜、交換室にいると酔ったお客が迷いこんで

くるのよね~。光を求めてくる虫みたいに。

ぎゃははははっ」


と、豪快に笑っていました。


午前中は交換の部の競技を見ることができたので

遠慮なく見学しました。

当時は原稿を見てもOKだったので、今と比べて

どことなく和やかな雰囲気だったと思います。


その豪快に笑ったお姉さんが、ひとたび電話に出ると

「はい、うめや旅館でございます」


と、声にハートマークと笑顔全開の応対で思わず

「ほんものだぁ」

とつぶやきました。


続いて、同じ旅館の選手が出てきました。


が。


なんと、この選手はスクリプト原稿を控え室に忘れて

きてしまったのです。


手元に何も持たず、困惑している選手。

でも、そのまま競技がスタートしました。


「うめや旅館でございます」


声が少し震えています。

聞くこちらがわにも一気に緊張が走りました。

でも、さすが。原稿が手元になくてもそのまま競技を

終えました。


終わってから

「原稿、忘れてきちゃったのよぉぉぉ」

と半泣き状態。


こういうこともあるんですね。


午後からはいよいよ『一般社員の部』。


県中央部都会(?)の選手の皆さんの垢抜けた美しさと

余裕とは対照的に、お弁当も喉を通らず、スクリプトを

握り締めたままの私。

ちなみに、社会人3年目の私は公の場に着ていくような

こじゃれた服などなく、母親からスカートとブラウスを

借りて着ていました。


・・やっぱり、場違いかなぁ。


と考えが頭をよぎったその時


「次の競技の方をお呼びします。

○○番、○○番、○○番の方、どうぞ」


きたっっっ!



出番です!




意気揚々と乗り込んだ県大会。


何の根拠もなく「感じのいい応対」さえすれば入賞できると

思っていたこの浅はかさ。


当然、


『発声』『敬語』『言葉遣い』なんてこれっぽっちも

頭の中にはありませんでしたから恐ろしい。


しかも、


『制限時間3分間におさまるかどうか』


もかるーく無視。


控え室に入ると、各予選を勝ち抜いてきた選手が

発声練習やスクリプトの練習をしていました。


な、なんだっ。ここはっ。


ピリピリした空気、異様な熱気、異常なまでの緊張感。


ようやく、私はコンクールに参加するということが

どんなものなのか悟ったのです。


(課長のうそつきーーーーー!聞いてないよーーーー!)

と、心の中で叫んでも後の祭り。


当時は『交換の部』と『一般社員の部』が分かれていて

午前・午後と競技が行われていました。

審査員は5~6名で、局のアナウンサー部長さん達、

でんでん友の会会長、NTTの偉い人・・の皆さんでした。


選手は、交換の部がホテル、旅館、百貨店・・

一般社員の部が、デパート、電力会社、銀行、建設会社・・

皆さん、地区予選を勝ち抜いてきた選手でした。


コンクールにかける姿勢もそりゃあ違います。


競技順が近づいてくると係の人が呼びに来ます。

そして3人程いなくなり、また時間が経つと迎えが・・

そうして段々と控え室から選手がいなくなってきます。


いよいよ、しもつぼの番。未知の世界へ!


「○○番の方、どうぞ」と呼ばれて競技会場に入ると

広い会議室のようなホールの奥に長机がひとつ。

机には電話機がちょこんと乗っていて、資料がぺらり。


そして、ギャラリーが・・


なんでこんなにいるんでしょ というくらいわんさか。

中でも最前列に陣取った報道陣。

ライトやらカメラやらたーくさんいました。

スターじゃあるましいし、これで緊張するなっていうほうが

無理でしょう~。


と、いうわけでその光景を目にしたとたん、思考停止。


緊張で心臓がドキドキして冷や汗をかいたのは覚えています。

が、なんと応対したか、まったく覚えていません。

それでも、何とか終わって会場を出るときに、なぜか私は


「ありがとうございました!」


と、明るく挨拶して退場しました。


会場内のギャラリーの皆さんが

『何やってんだ・・?コイツ』とつめたーい視線をこちらに

投げかけたのは覚えています。ええ、覚えていますともっ。


そして表彰式。

優勝した選手の応対模様がテープで会場内に流れました。

そのとき私は


「なんて素敵な声だろう」

「なんて柔らかいんだろう」

「こういう言葉遣いがあったんだ」

「感じのいい言い方ってこうなんだ」

「なんて聞いていて気持ちがいいんだろう」


と、ショックを受けました。そりゃ当然です。

そういう応対を聞いたことがなかったんですから。


それに比べて私は・・・惨敗です。当然ですよね。

コンクール初挑戦、終わってみて思ったのは・・


「恥ずかしかった」「情けなかった」


・・・でした。


ちょっとくらい「電話の感じがいい」と誉められて

その気になって、事前に準備も練習もせず本番に

出るなんていい度胸というか面の皮が厚いというか

本当に情けなくなりました。


そんな私の応対をこの大勢のギャラリーが聞いていたかと

思うと、さーっと血の気が引いていきました。

恥ずかしさで顔がかあぁっと熱くなり、思わず下を向いてしまいました。


甘い、甘すぎるっ!!


それに、素敵な応対をする選手に囲まれて

「ここは私のいるところじゃない」そうも思いました。


田舎モノの私が、のほほんと参加したコンクールは

こうやって打ちのめされて終わりました。


会社の人たちに

「コンクール、どうだった?」と聞かれても

曖昧に笑って答えるしかありませんでした。


初戦惨敗。


しばらくはコンクールの事を思うと恥ずかしさで泣きたくなり

心が痛み、何も考えたくありませんでした。


思い出すのもイヤなコンクール。


そうこうしているうちに、やがてコンクールの事は忘れ

日常の業務で忙しくなりました。

毎日電話をとりながらも、コンクールの事はつとめて

思い出さないようにしながら日々が過ぎていきました。


最初で最後のコンクール。


に、なるはずでしたが・・


次の年に奇跡が起きたのです。




恥ずかしながら、しもつぼのコンクール選手時代のことを少しお話しようと思います。


電話応対コンクールって知る人ぞ知る・・・

なんですけど、知らない人は知らない。(当たり前ですよね~)当時は私もコンクールなんて聞いたことがなくて、「なに!?それ!?」

なんて感じでした。


それがすっかりハマってしまって、初戦敗退から始まって県大会準優勝、東北大会出場、全国大会入賞、そして今はなぜか契約講師にまでなっちゃったんですから人生変わりましたよ~☆


「こんな選手もいるのね~」

と笑って読んでいただけたら嬉しいです☆


では、いってみよ~。


☆☆☆☆☆☆


当時、初々しい少女だったしもつぼは地元の高校を卒業し入社してすぐ総務課に配属され、お茶くみ・コピー取りそして・・

そう!いわゆる『電話番』(←今はこんなこと言いませんよね~)をしていました。


注※今からン十年前の話です。


元々電話で話しをすることは好きでしたね~。


だって知らない方と仲良くなれるんですもの。(←取りようによってはキケンな発想)

毎日毎日電話が鳴るとニコニコ飛びついていく私を 先輩方は物珍しそうに見ていました。


そしてある日。


上司に呼ばれました。


「はい、なんでしょう」

「あのね美晴ちゃん。電話応対コンクールっていうのに出てみない?」


へ?


意味がわからず黙って立っている私にかまわずに、

上司は説明を続けました。


「NTT(当時は地区のNTTがコンクール担当でした)さんから話が来て、ここの地区からもコンクールに参加させたいんだけど、予選は都合で行わないから推薦でいいって。

美晴ちゃんが感じのいい応対をするからってぜひ推薦したいそうだよ。

コンクール問題っていうのがあって、相手のいうことが決まってて、こちらが言うことを書いて読めばいいそうだから。

ま、大丈夫。はっはっはっ」


本人の意思とは関係なく、コンクール参加が決まった瞬間でした。


当時は日本語の部が『電話交換の部』と『一般社員の部』に分かれていまして、しもつぼが出場したのは当然一般社員の部。


本来であれば地区予選を行って県大会の運びでしたが、なにしろこの辺では電話応対コンクールと言われてもほとんどの会社がピンとこない。

予選会を行うにもコンクールそのものが知られていない状態でした。


地元ではそうでしたが、中央ではバリバリ大会が行われていて、

有名百貨店や有名ホテル有名サービス業などなどの選手が華やかに競技を繰り広げていました。


そんなこんなでわけがわからずコンクール問題を手渡され、設定を読んで社員側のセリフを考えて書き、「こんなもんかな」とひとり満足していました。


恐ろしいことに、「美晴ちゃんの応対は感じがいいから」と言われていたのを間に受けて感じのいい応対さえすればそれで上位に入れると思っていたのです。


甘いっ。甘すぎるっ!信じられない意識の低さ。

今思えば冷や汗ものです。


もっと恐ろしいことに、私はその原稿を誰に見てもらうわけでもなく、時間を規定の3分に収まるかどうかチェックすることもなく、のほほんと推薦枠の地区代表として県大会に臨んだのです。


ああ、今もパソコンに向かう手に冷や汗が・・。


《次回に続く》

しばらくさぼっている間に


『電話応対コンクール』の今年の問題が発表になりました。


内容はある奥様から旅行会社へクレーム。


実はご主人が内緒で奥様を喜ばせようと


銀婚式にちなんだ旅行パンフレットを手配して


そのあて名を奥様にしたのですが


前回の登録違いから名前の漢字が違うし


奥様は「頼んでもいないのになんで


パンフレットが送られてくるのよっ。


それに名前が違うしっ!」


と、たいそうご立腹。


さて。


あなたならこれをどう説明しますか?


この問題のポイントは


『個人情報』と『クレーム応対』です。


終話の頃には良好な関係を築く


というおまけまでついています。


問題発表から11月17日に名古屋で行われる全国大会まで


いよいよシーズンインです。


しもつぼも選手になったつもりで取り組みます。


なんといっても


主催団体、日本電信電話ユーザ協会の


契約講師ですから☆

ずーっと仕事を休んでいるので


頭も身体もなまりきっている今日この頃です。


でもそろそろ


あれこれしたいなぁと


思い始めているところです。


んでもって


まずは美容院に行って


春にふさわしく


髪の手入れをして


んでもって


爪の手入れもして


お肌の手入れもして


ぴっかぴっかになって


にっこり笑って


あいさつ回りに行くことにします。


なんか元気になってきました。


よしっ。