意気揚々と乗り込んだ県大会。


何の根拠もなく「感じのいい応対」さえすれば入賞できると

思っていたこの浅はかさ。


当然、


『発声』『敬語』『言葉遣い』なんてこれっぽっちも

頭の中にはありませんでしたから恐ろしい。


しかも、


『制限時間3分間におさまるかどうか』


もかるーく無視。


控え室に入ると、各予選を勝ち抜いてきた選手が

発声練習やスクリプトの練習をしていました。


な、なんだっ。ここはっ。


ピリピリした空気、異様な熱気、異常なまでの緊張感。


ようやく、私はコンクールに参加するということが

どんなものなのか悟ったのです。


(課長のうそつきーーーーー!聞いてないよーーーー!)

と、心の中で叫んでも後の祭り。


当時は『交換の部』と『一般社員の部』が分かれていて

午前・午後と競技が行われていました。

審査員は5~6名で、局のアナウンサー部長さん達、

でんでん友の会会長、NTTの偉い人・・の皆さんでした。


選手は、交換の部がホテル、旅館、百貨店・・

一般社員の部が、デパート、電力会社、銀行、建設会社・・

皆さん、地区予選を勝ち抜いてきた選手でした。


コンクールにかける姿勢もそりゃあ違います。


競技順が近づいてくると係の人が呼びに来ます。

そして3人程いなくなり、また時間が経つと迎えが・・

そうして段々と控え室から選手がいなくなってきます。


いよいよ、しもつぼの番。未知の世界へ!


「○○番の方、どうぞ」と呼ばれて競技会場に入ると

広い会議室のようなホールの奥に長机がひとつ。

机には電話機がちょこんと乗っていて、資料がぺらり。


そして、ギャラリーが・・


なんでこんなにいるんでしょ というくらいわんさか。

中でも最前列に陣取った報道陣。

ライトやらカメラやらたーくさんいました。

スターじゃあるましいし、これで緊張するなっていうほうが

無理でしょう~。


と、いうわけでその光景を目にしたとたん、思考停止。


緊張で心臓がドキドキして冷や汗をかいたのは覚えています。

が、なんと応対したか、まったく覚えていません。

それでも、何とか終わって会場を出るときに、なぜか私は


「ありがとうございました!」


と、明るく挨拶して退場しました。


会場内のギャラリーの皆さんが

『何やってんだ・・?コイツ』とつめたーい視線をこちらに

投げかけたのは覚えています。ええ、覚えていますともっ。


そして表彰式。

優勝した選手の応対模様がテープで会場内に流れました。

そのとき私は


「なんて素敵な声だろう」

「なんて柔らかいんだろう」

「こういう言葉遣いがあったんだ」

「感じのいい言い方ってこうなんだ」

「なんて聞いていて気持ちがいいんだろう」


と、ショックを受けました。そりゃ当然です。

そういう応対を聞いたことがなかったんですから。


それに比べて私は・・・惨敗です。当然ですよね。

コンクール初挑戦、終わってみて思ったのは・・


「恥ずかしかった」「情けなかった」


・・・でした。


ちょっとくらい「電話の感じがいい」と誉められて

その気になって、事前に準備も練習もせず本番に

出るなんていい度胸というか面の皮が厚いというか

本当に情けなくなりました。


そんな私の応対をこの大勢のギャラリーが聞いていたかと

思うと、さーっと血の気が引いていきました。

恥ずかしさで顔がかあぁっと熱くなり、思わず下を向いてしまいました。


甘い、甘すぎるっ!!


それに、素敵な応対をする選手に囲まれて

「ここは私のいるところじゃない」そうも思いました。


田舎モノの私が、のほほんと参加したコンクールは

こうやって打ちのめされて終わりました。


会社の人たちに

「コンクール、どうだった?」と聞かれても

曖昧に笑って答えるしかありませんでした。


初戦惨敗。


しばらくはコンクールの事を思うと恥ずかしさで泣きたくなり

心が痛み、何も考えたくありませんでした。


思い出すのもイヤなコンクール。


そうこうしているうちに、やがてコンクールの事は忘れ

日常の業務で忙しくなりました。

毎日電話をとりながらも、コンクールの事はつとめて

思い出さないようにしながら日々が過ぎていきました。


最初で最後のコンクール。


に、なるはずでしたが・・


次の年に奇跡が起きたのです。