※このブログは登場する方々の氏名を一部変えて掲載しています。




東北大会の会場は、青森市内の大きなホテルでした。


ここで今日一日、私たちが出場する『日本語の部』と

『英語の部』が開催されます。


私が十数年前に出場したコンクールは日本語のみで

『一般社員の部』と『交換取り扱いの部』の2部門でしたが、

ここ数年でそれが統合され、新たに『英語の部』が新設されました。


日本語の部は全国大会までありますが、英語の部は

地方大会までとしているところが多いようです。


まず、受付でクジを引き、競技番号が決定されます。


確か、私たち県代表5人の中で、マユさんが一番最初で

私は真ん中くらいでした。


競技番号の早い遅いで、成績に影響が出るという話を

聞いたことがありました。


あまり早い番号だと、点数合わせの基準点になってしまって

午後からの選手が有利だとか、上位入賞の選手の競技番号が

ある番号のあたりに固まっていたとか、色々な話が飛び込んできては

私たちを不安にさせました。



でも、本当は実力があれば、競技順が成績に影響することはないのです。


実際、隣の県では競技番号1番の選手が、バツグンの成績で

優勝していましたし、さほど競技順は気にしなくてもいいのです。


早い順番なら早いなりに、遅い順番なら遅いなりに自分の調子を

整えておけばいいわけですから。



競技会場は広いフロアにステージがあり、そこで開会式が

行われました。


開会式が終わると演壇は撤去され、ステージにはテーブルが

引き出されて、その上に電話器がひとつ。


これから、このステージの上でギャラリーの視線を浴びながら

競技するのです。


審査員とお客様役の模擬応対者はそれぞれ別室に入り

この会場には、選手と模擬応対者の電話でのやりとりが

スピーカーで流されます。



選手控え室に入ると、広々とした部屋に丸テーブルが並び

ひとつのテーブルにひとつの県の選手と引率が座れるよう

椅子が用意されていました。


その年の問題は事務機器メーカーの社員がお得意様から

クレームを受け、誤解を解いて、詰め替え式トナーカートリッジと

新発売の再生紙コピー用紙をセールスするというものでした。

そして、スクリプト途中でお客様がAかBのセリフを言う

『二者択一』が盛り込まれていました。


隣のテーブルは秋田県。


男性の銀行員の選手がいました。


私たちのテーブルに届いた情報によると

その銀行員の選手は県大会で


「それでは、A4のコピー用紙が2箱、B5が3箱で

消費税込み〇〇〇〇円です」


と、端数まで瞬時に計算して応対したそうです。


私たちは


「スゴイよね~」


「さすが銀行員!」


「それだけで目立って有利だよね~!」


と真面目に誉めちぎりました。


と、マユさんがその奥のテーブルを示して


「あそこに座っている可愛い子、昨年も出ていて

上位入賞したのよ。

とっても自然な応対でよかったな」


と教えてくれました。


『自然な応対』かぁ・・・。


スクリプトを作って、読み込むだけで精一杯の私にとって

その言葉は魔法のように聞こえました。


呼吸をするように自然にセリフが口から出てくるんだろうな・・。


抑揚も緩急も、わざとらしさや変な引っかかりもなくて

ナチュラルな応対なんだろうな・・。


そんな事を考えていると、マユさんの出番がやってきました。


皆で


「マユさん!行ってらっしゃ~い!」


と、拍手で送り出しました。


マユさんは緊張のためかちょっとだけ笑って

手を軽く上げ、控え室から出ていきました。


行っちゃったよぉぉぉ・・・。


なぜか私たちはため息をつきました。


ため息の後は妙な緊張が襲ってきて

テーブルはしんと静かになりました。


誰もが緊張して、不安でいっぱいでした。


私だけではなかったのです。


千秋さんも、サカさんも、由実さんも、それぞれが


(あの言いにくいセリフ、ちゃんと口が回るかな・・)


(Aが来るか、Bが来るか・・Aだったらいいんだけど・・)


(失敗したらどうしよう・・なんか・・自信なくなってきた・・)


(この競技順じゃダメ・・後の方じゃ待ちすぎて・・・)


と、自分自身と戦っていたのです。


特に、サカさんは英語の部に出場する選手の世話役も

兼ねていたため、自分の練習よりもそちらの選手に

かかり切りでした。


その緊張と不安を紛らわせるために

テーブルで冗談を言い合い、競技順が回ってきた

選手をその都度にぎやかに「行ってらっしゃーい!」

と、拍手で送り出しました。


☆☆☆☆☆☆


その当時は地方大会があったので、各都道府県から

複数の代表選手が出ていましたが、現在は甲子園方式に

変更になったのに伴い、都市部を除いては、原則として

優勝者1名が全国大会に進むことになりました。


同郷の選手同士で励ましあいながら挑戦する地方大会と

代表としてたった1人で臨む全国大会。

その物凄いプレッシャーは察して余りあるものがあります。


☆☆☆☆☆☆


「競技番号〇番、△番、□番の方、どうぞ」


自分の番号を呼ばれて、はっと我に返りました。


「おっ。美晴さん!行ってらっしゃい!」


テーブルに残っていた選手皆が、今までと同じように

拍手で見送ってくれました。


「はーい。行ってきまーす」


会場に向かう間、自分の足元が目に入りました。


黒のアンクルストラップのパンプス。


昨日、青森駅近くで買い物をした時に、店員さんから


「素敵な靴ですね」


と、誉めてもらったものです。


ちょっとエレガントなグレーのニットカーディガンと

いつもつけている香水のミニチュアを買い、

今朝はそれを身につけてきました。


・・・大丈夫。人前に出ても大丈夫。

いつもの私。


競技直前に、今更着ている服や靴や

つけている香水のことを思っても

何にもならないはずですが

それらに目をやるだけで、不思議なことに

すぅっと落ち着いてきました。


・・・大丈夫。


私はもう一度心の中でつぶやきました。


案内された舞台袖には椅子が3つ用意されていました。


私はそれには座らずに、両手で耳をふさぎ

自分のスクリプトの練習を始めました。


(ありがとうございます・・・コピー機の調子が悪いのですね

・・・トナーランプは・・・ところで・・・)


頭の中に自分の声だけが響き、柔らかく反響しています。

まるでお風呂で歌を歌っているようないい気分です。


(・・ぜひご利用くださいませ。・・失礼いたします)


と、ここまで応対したところで、前の選手の競技が終わりました。


係員が舞台袖でステージの様子を伺っています。


どきどき・・どきどき・・


手に汗をかき、指先が冷たくなっていくのがわかります。


鼓動が胸から喉のあたりまで上がってきて

頭全体が脈打っているように思いました。


だんだん呼吸が浅くなってくると

声がちゃんと出るだろうかと不安になり

慌てて深呼吸をしました。


ひとーつ・・・ふたーつ・・・


ゆっくり息をすって・・・はいて・・・


「それでは、よろしいでしょうか。□番の方」


「は、はいっ」




私はステージ下手から、スポットライトの当たる舞台に進みました!