電話応対コンクールの地区予選。


今では会社に居ながらコンクールに参加できる『居ながら方式(又は在社方式と呼ばれています)』と、選手が会場に集まってギャラリーの前で行う『公開方式』とがあります。


どちらの方式で地区予選を行うかは、それぞれのユーザ協会支部に一任されており、また、会場に自分の応対原稿(スクリプト)を持ち込めるかどうかも、地区によります。


全国的に、都市部の地区大会は『公開競技+スクリプト持込不可』が多いように見受けられます。

都道府県大会と全国大会は公開競技ですから、このシュチュエーションに近い状態で地区大会が行われるということですね。


この何年かのうちに『一般社員の部』と『交換取り扱いの部』は統合されて『日本語の部』となり、『電話応対(CTI)コンクール』と名称を改めました。


尚、この他、英語の部があり、地区大会から地方大会までで行われています。


それに加えて企業としての応対を審査する『企業電話応対(CRM)コンテスト』が在社方式で行われており、電話応対コンクール全国大会の場で表彰されています。


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地区大会は、在社方式でした。


あらかじめ、こちらから希望の日時に印をつけてユーザ協会に申し込み、確認の連絡も済んでいました。


私は上司のはからいで、普段座っている総務部と経理部のある一階のフロアではなく、他の部署から遮断された秘書室の電話を使うことができました。


決められた時間になるとユーザ協会から電話がかかってきて、簡単な打ち合わせをします。

確か、合図をもらったら電話を受けたつもりで競技を行い、その会話を録音するという手順でした。


スクリプトを書いた紙を目の高さに据えて、深呼吸。


『それでは、始めます。いいでしょうか』

「はい、お願いします」

『はい。どうぞ』


「ありがとうございます。池袋事務機でございます」


今回はスクリプトの台詞を吟味し、時間も3分以内におさまるように組み立てました。

また、先輩にお願いをして相手役になってもらい、録音しながら練習しました。

そして、笑顔で明るく応対することを心がけました。


後悔だけはしたくない。

できるだけのことはするんだ。

そのためには地区大会を通過しなくちゃ。


過去2回の参加はいずれも地区推薦で県大会に出場したため、地区予選から参加するのは今回が初めてでした。


後から聞くと『県大会準優勝なら地区予選くらいトップで通過しても当たり前よね』という話もあったそうなので、地区大会前に聞かずによかったと思います。


プレッシャーに押しつぶされていたかも知れませんでしたから。


『・・・録音は以上です。お疲れ様でした』


あっという間の3分間でした。

終わったとたん、ふぅーっと力が抜けてラクになりました。

出来はともかく、真正面から取り組んだ地区予選が無事終わったのが満足でした。


電話を切り、書類をとんとんと揃えて片付け、自分の席に戻り、上司に報告しました。


秘書でもある上司は、私のことを気遣い

『お疲れ様。どうだった?バッチリ?』

と、明るく声をかけてくれました。


私はいつものようにへへっと笑って

「ん~どうでしょう。でも終わってホッとしました」

と笑顔で答えて席につきました。


終わってよかった。

笑顔で応対できてよかった。

・・・できれば地区大会を通過してまた県大会に行けたら・・


私が県で準優勝してから実に12年が経っていました。


当時は電話応対といっても、まだまだ関心が薄かった頃でしたが、ここ何年かは大手企業の誘致・進出とめざましく、当然接客応対についても力を入れる会社が増えていたので、地元の応対レベルが格段に上がっていたのです。


私の応対はどこまで通用するんだろうか。


ふと、不安がよぎりました。


もし、地区大会で2位までに入らなかったら県大会に進むことはできません。


もし、ここで落ちてしまったら・・・


県大会準優勝したのに落ちたって言われるんだろうな・・・

そんなヤツがコーチだなんて、みんな笑うんだろうな・・・

自分が信じてやってきたことが無駄になるんだろうな・・・


胸がきゅーんと痛くなりました。ついでに胃も。


ああ、どうしよう。仕事が手につかない。


終わったら終わったで、結果が出るまで何日も待たなければなりません。

重苦しい気持ちでしたが、つとめて笑顔でいつものように接客・電話応対とこなす日々でした。


そして。


ユーザ協会から文書が届きました。


『電話応対コンクール表彰式のご案内』


結果が出たのです!


ホテルに参加選手全員を集めて、その場で表彰をするのです!



胸がどきどきと高鳴って手には汗をかいていました。