「蹲 うずくまる」は信楽焼のやや小型の壺。

もともとは鎌倉~室町頃に作られた、種などを入れる素朴な壷でした。

人がしゃがみ込んだ姿のように見えるところから後世の茶人たちが名付け、愛玩してきたものです。


今でもお茶をたしなむ人には好まれる、いわば花入のスタンダードのひとつ。

普通は信楽ですから赤褐色の肌と緑色の自然釉のかかった素朴な風情が魅力です。


この間の正木さんの個展にも信楽の蹲が出品されていました。

でも、私の目を引いたのは白磁で作られた蹲。。。


大きさも丁度よいし、白磁で珍しいし、などと思い手に入れました。


ウチでは付き合いのある作家さんは陶器、それも土ものの作品が多く

普段生けるお花も野の花が中心。やはり土ものにはしっくりくるのです。


でも、困るのは街中だと野の花は手に入りずらいこと。

最近、茶花を小さなウチのベランダで少しづつ育て始めましたが、ほとんどは懇意にしていただいている茶道具屋さんの社長さんから分けてもらっています。

そう、いまお花やさんは洋のお花がほとんど。。。

私からみると「使えない花」ばかり。


でも、この蹲を見たときは「パステルのバラを生けてみたいな。」と思いました。

ちょっと意外だけど結構いい取り合わせに思えたのです。


そうしたらグットタイミングで綺麗なバラを戴いたのでちょっと試しに生けてみることに。


正木うずくまる


淡いパステルのバラと白磁ながら素朴で可愛らしい雰囲気の蹲がとてもよい雰囲気。。

ついでに他の土物のうつわにも残りのバラを生けてみると、これはこれでなかなかいい感じ。


先入観はいけませんね。

それから本当ならいろいろと可能性があるうつわに対しても失礼でした。


以前読んだ白洲正子さんの本に、「お花を生けるときはうつわに聞きなさい。」という言葉が書いてありました。

このうつわは○○なんだからこうあるべきだ、みたいなことからじゃなく、そのものをちゃんと見てあげるとおのずと生けるお花がわかってくる、みたいなことだったと記憶しています。


今回はちょっとこれに近い感じかな。

それにわざわざ手に入りにくい野の花を欲しがるより、今手に入るお花で上手にやりくりして生けるほうがずっといい。


この蹲との出会いは「知足・・・足るを知る」を気づかせてくれたよい機会でした。