「不良」なんて言葉今では死語でしょうね。
というか、今はそれが当たり前になってしまっていて、特別なことではなくなってしまったのでしょう。
例えば女が夜遅くまで出歩いたり、ましてや男性とお酒を飲んだりダンスをしていたりしたらそれは「不良」だったのですから。
離婚届を出し、自宅も私の名義になって一家の主となった私は、それまでにない自信にあふれていたのだと思います。
経済も安定して、職場は楽しく、しかも元気いっぱいの華やかな芸能界。
私のボスはオシャレで有名な人でしたし、たまにはスタジオに行くこともありましたから私もそれなりにオシャレをしたり、お化粧もきちんとしていました。
いちばん生き生きと輝いていた時代かもしれません。
街で出会った学校時代の友達からは、結婚していた頃より若返って見違えた、などと言われたこともあります。
そのせいかやたらモテましたね。
ナンパもよくされました。
最初はびっくりしたり、怖かったりで逃げていましたが、だんだん度胸がついて感じの良い人ならお茶くらい付き合うこともあるようになりました。
そんなある日のこと、渋谷の雑踏の中で前から歩いて来た男性が私の前で足を止めるといきなり「わー、僕の理想の人だ」と言いました。
びっくりしていると、「あ、失礼。突然すみません。あまり僕の好みにぴったりの方だったので思わず声をかけてしまいました。僕はこういう者です」
と言って名刺を出しました。
私より少し年上のどこかの会社の部長さんのようでした。
身なりもきちんとしていて、目がクリッとした何となく愛嬌のある顔立ちでいやな印象はありませんでした。
「かまわなかったら一度ご馳走させて頂けませんか。お話もしてみたいし。もし気が向いたらここへお電話ください」
それまでは「その辺でお茶でもいかがですか?」というのが多かったのですが、こんなこと言われたのは初めて。感じの悪い人ではなかったけど、どうしたものか。
名刺をもらったまま、それからしばらくは放っておきましたが気になります。
1か月ほどして思い切って名刺にあった会社へ電話をしてみました。
そうしたら彼は大喜び。さっそく食事の約束をしました。
場所は六本木の「瀬里奈」。
食事に釣られたわけではありませんが、女子校育ちで男性経験の乏しい私にとっては大冒険でした。
新しい人生を歩み始め、どこかでいろいろな体験をしてみたい気持ちになっていましたし、ましてや「理想のタイプ」などと言われてご馳走になるのは嬉しいものです。
その方とはその後も何回か瀬里奈や同等クラスのお店でご馳走になり、帰りにはちょっとしたバーでお酒を飲むようにもなりました。
勿論家庭のある方で、仕事もきちんとしている方。
どんな話をしたかは覚えていませんが、一緒にいて楽しい人でした。
家庭は大事にしているけれど、奥さんとでは持てない時間も持ちたいのだろうな、という気持ちは分かりました。
彼に対して恋愛感情はありませんでしたが、何度目かのデートの後はホテルにもお付き合いしました。こんな体験もしてみたかったのです。
遅くなれば家までのタクシー券をもらって帰って来ました。
当時は会社がやたらタクシー券をばらまいていましたね。
ジャズ仲間と遅くなった時などもよくもらいました。
時代はバブル真っ只中。私もかなり浮かれていたと思います。
彼とは時々デートしながら1年くらいお付き合いしたでしょうか。
こちらの電話番号は知らせてないので、私から連絡をしなければ自然消滅する関係です。
そのうち私に本当に好きな人が出来てしまってこの関係は終わりになったのですが、私にとってはとても大きな体験でした。
それまで家からは一歩も出ず、仕事仕事に明け暮れて家事と子どものことで精いっぱい。真面目な夫と真面目一方の人生を送って来た世間知らずの私の目を見開かせ、私にもこんな大胆なことが出来るという自信を与えてくれた体験はとても大きかったのです。
真面目な優等生だとばかり思っていた私が意外に「不良」だったことを知って決していやな気持ではありませんでした。
自分で自分を閉じ込めていた殻を破った、という体験はその後の余裕と自信につながったと思います。
この頃から、そういう自分を客観的に眺めて面白がる余裕が出来たというか、「体験」をしなければ分からないことがあると知って、人生へのチャレンジ精神が養われて来たのです。
時には冒険も大切。そうでないと人生が豊かになりません。
どうせ生きるなら豊かに、楽しい人生を送ろうと、かなり大胆になって行った頃の忘れられない思い出です。
というか、今はそれが当たり前になってしまっていて、特別なことではなくなってしまったのでしょう。
例えば女が夜遅くまで出歩いたり、ましてや男性とお酒を飲んだりダンスをしていたりしたらそれは「不良」だったのですから。
離婚届を出し、自宅も私の名義になって一家の主となった私は、それまでにない自信にあふれていたのだと思います。
経済も安定して、職場は楽しく、しかも元気いっぱいの華やかな芸能界。
私のボスはオシャレで有名な人でしたし、たまにはスタジオに行くこともありましたから私もそれなりにオシャレをしたり、お化粧もきちんとしていました。
いちばん生き生きと輝いていた時代かもしれません。
街で出会った学校時代の友達からは、結婚していた頃より若返って見違えた、などと言われたこともあります。
そのせいかやたらモテましたね。
ナンパもよくされました。
最初はびっくりしたり、怖かったりで逃げていましたが、だんだん度胸がついて感じの良い人ならお茶くらい付き合うこともあるようになりました。
そんなある日のこと、渋谷の雑踏の中で前から歩いて来た男性が私の前で足を止めるといきなり「わー、僕の理想の人だ」と言いました。
びっくりしていると、「あ、失礼。突然すみません。あまり僕の好みにぴったりの方だったので思わず声をかけてしまいました。僕はこういう者です」
と言って名刺を出しました。
私より少し年上のどこかの会社の部長さんのようでした。
身なりもきちんとしていて、目がクリッとした何となく愛嬌のある顔立ちでいやな印象はありませんでした。
「かまわなかったら一度ご馳走させて頂けませんか。お話もしてみたいし。もし気が向いたらここへお電話ください」
それまでは「その辺でお茶でもいかがですか?」というのが多かったのですが、こんなこと言われたのは初めて。感じの悪い人ではなかったけど、どうしたものか。
名刺をもらったまま、それからしばらくは放っておきましたが気になります。
1か月ほどして思い切って名刺にあった会社へ電話をしてみました。
そうしたら彼は大喜び。さっそく食事の約束をしました。
場所は六本木の「瀬里奈」。
食事に釣られたわけではありませんが、女子校育ちで男性経験の乏しい私にとっては大冒険でした。
新しい人生を歩み始め、どこかでいろいろな体験をしてみたい気持ちになっていましたし、ましてや「理想のタイプ」などと言われてご馳走になるのは嬉しいものです。
その方とはその後も何回か瀬里奈や同等クラスのお店でご馳走になり、帰りにはちょっとしたバーでお酒を飲むようにもなりました。
勿論家庭のある方で、仕事もきちんとしている方。
どんな話をしたかは覚えていませんが、一緒にいて楽しい人でした。
家庭は大事にしているけれど、奥さんとでは持てない時間も持ちたいのだろうな、という気持ちは分かりました。
彼に対して恋愛感情はありませんでしたが、何度目かのデートの後はホテルにもお付き合いしました。こんな体験もしてみたかったのです。
遅くなれば家までのタクシー券をもらって帰って来ました。
当時は会社がやたらタクシー券をばらまいていましたね。
ジャズ仲間と遅くなった時などもよくもらいました。
時代はバブル真っ只中。私もかなり浮かれていたと思います。
彼とは時々デートしながら1年くらいお付き合いしたでしょうか。
こちらの電話番号は知らせてないので、私から連絡をしなければ自然消滅する関係です。
そのうち私に本当に好きな人が出来てしまってこの関係は終わりになったのですが、私にとってはとても大きな体験でした。
それまで家からは一歩も出ず、仕事仕事に明け暮れて家事と子どものことで精いっぱい。真面目な夫と真面目一方の人生を送って来た世間知らずの私の目を見開かせ、私にもこんな大胆なことが出来るという自信を与えてくれた体験はとても大きかったのです。
真面目な優等生だとばかり思っていた私が意外に「不良」だったことを知って決していやな気持ではありませんでした。
自分で自分を閉じ込めていた殻を破った、という体験はその後の余裕と自信につながったと思います。
この頃から、そういう自分を客観的に眺めて面白がる余裕が出来たというか、「体験」をしなければ分からないことがあると知って、人生へのチャレンジ精神が養われて来たのです。
時には冒険も大切。そうでないと人生が豊かになりません。
どうせ生きるなら豊かに、楽しい人生を送ろうと、かなり大胆になって行った頃の忘れられない思い出です。