私の母は以前からいわゆるオカルト的なものが好きで、そのような内容の本をよく買って読んでいました。
また泊まりに行った温泉旅館で幽霊を見たとか、不思議なことがあったとか話していましたが私は全く興味がなく、そんなのはお母さんの気のせいよ、と言っては相手にしていませんでした。
その母から父が亡くなった頃に「またバカにされるかもしれないけど、よかったら読んで見て」と渡されたのが「死者の書」と題された本。著者は俳優の丹波哲郎さんでした。
丹波さんは後に「大霊界」などという本を出されたり映画を作られて一躍有名になられた方ですが、その本はチベット仏教の経典である「死者の書」を解説した真面目な内容の本でした。
それには人間というのは目には見えない「霊」というのものが本体で、肉体は単にそれを入れる入れ物に過ぎないというようなことが書いてあり、「死」とは肉体が滅びることであって、その本体の「魂」又は「霊」なるものは死ぬことはなく永遠に生き続ける、と書かれていました。
そしてチベット仏教ではそれが真実と教えられ、チベットの人たちはそれを信じているらしい、と知った時、その考え方は何の抵抗もなくスーッと心の中に入って来ました。
その時まで「死」というものを真面目に考えたこともなく、ましてや「死後の世界」などには全く興味がなかった私がふとそのことに心が惹かれたのは、父のお通夜での不思議な体験が影響していたかもしれません。
それからは、ふと興味を持っただけで不思議にそのような内容の本に出会ったり、久しぶりに会った昔からの友人がそのような話題を持ち出したり、新しい本を紹介されたりする機会が増えて行きました。
そして新しく職場となった私の事務室にもそのような本が何冊も並んでいたのです。
聴いたこともない「高橋信次」という方の本です。
読んで見るとやはり「死者の書」と同じようなことが書いてあります。
死を迎えた肉体から抜けだした「魂」はまた別の船(肉体)に乗って新たな人生という旅に出る、と。
ますます興味が湧きました。
まして、そのお宅にはこの(当時はすでに故人の)高橋信次という方の直弟子という女性のデザイナーの方が時折いらしてはお話会を開かれるとのこと。
早速それにも参加しました。
30名ほどの参加者の中には当時テレビによく出ておられたジャーナリストの方もいて、腰を痛めておられるとのことで、その直弟子の方が目の前で手を当てて治療を始められるシーンがあったりしました。
また別の日にはたまたま行った友人のスナックで隣席になった男性から話しかけられて、理科大出身の彼が脱帽したという「シルバーバーチの霊訓」とう本を紹介されたり、次々と私をその道に誘う道筋が出来ていたのです。
そして久しぶりに会った友人から紹介されたのがシャーリー・マクレーンが書いた「アウト・オン・ア・リム」。東大出身の山川夫妻が翻訳されたことで評判になった有名な本です。
この頃から「精神世界」はスピリチュアルという言葉に変わって行ったような気がします。
その後山川夫妻とは親しくお付き合いさせて頂くようになったり、一緒に旅をしたりするようになり、私の周りには同じような考え方の方が集まるようになりました。
その後スコットランドのエコビレッジとしても名高いフィンドホーンへ毎年通うようになったり、そこでのワークを開催したり、私自身もお話会を頼まれたりして歳を重ねて来ました。
こうしたことで一番恩恵を被ったのは何よりも私自身で、その後に起きる人生での苦難も挫折も悩みもなんとか切り抜けて来られたのではないかと思っています。
その後どこに住んでも同じような考え方の方たちは大勢おられるので友人には常に恵まれ、年齢に関係なく良き友情を育んで行ける幸せを感じています。
私が目覚めた1980年代とは大きく変わった現代、当時はUFOと言われた飛来物も今では「未確認」ではなくハッキリと宇宙からのものと認められたり、量子力学の世界が明らかとなって「霊」や「死後の世界」が別の科学用語で説明されたりで、ようやく科学の世界がそれまで「怪しいもの」として扱われて来た「見えない世界」に追いついて来たような気がします。
昔は「科学で証明できないことは信用しない」なんて威張るご仁がおられましたが、自然界のことで人間界の科学ではとても証明しきれないことが山とあることが分かっている現代、そんなことを言うとあまりにもモノを知らないとバカにされます。
今やスピリチュアルなことについての知識は教養とさえ言ってもよいでしょう。単なる学問とかではなく人生になくてはならない智慧を与えてくれるものだからです。
これからも「不思議に思っていたことが」当たり前になって行く世界を楽しみたいものですね。