若い夫婦にとっての夢は、誰しも同じだと思うのですが、私たちにとってもそれは「マイホーム」でした。それもマンションなどはまだ出現する前の時代ですから、「庭付きの家」を意味していました。

住宅公団に次いで住宅供給公社という半民半官の団体も出来てあちこちに団地が出来、戦後の住宅難もほぼ解消された時代、東京や横浜の郊外の丘陵地などが大規模に造成開発され売り出されていましたが、手ごろな値段の所はほとんどが抽選です。
あちこちに申し込みましたが競争は激しくなかなか当たりません。

1962年、長女が4歳、長男が2歳の夏、私たちは毎年長野県の野尻湖畔にあるYWCAの施設で夏を過ごす友人に誘われて、そこを訪れることになりました。
家族4人での初めての家族旅行です。

中古のオースチンに乗って晴海から都心を抜け、以前住んでいた板橋の家の前の中仙道を通り、国道18号線をひた走って、最後はガタガタ道を土ほこりを舞い上げながらの7時間のドライブでした。

そこは目の前に野尻湖、その先には黒姫山がそびえる景色の良い所でした。
湖で泳いだり、子どもたちも波打ち際で水遊びにはしゃぎ、夜はふわふわ飛び回るホタルに歓声を上げ、友人一家と食事を摂る楽しい日々でした。

実はこの旅行にはもう一つ目的がありました。
少し前の新聞広告で東急不動産が北軽井沢に別荘分譲地を売り出していることを知って、通り道にある軽井沢から少しのぼった所にあるその土地を見に行くという目的です。

18号線の中軽井沢駅前の信号を北へ直角に曲がる146号線へ入り、星野温泉・塩壺温泉の前を通り、曲がりくねった道を上って行くと「峰の茶屋」で道が3本に分かれます。
左は昔高校生の頃みんなで行った「鬼押し出し」へ行く有料道路、右は「白糸の滝」から旧軽井沢へ抜ける、これも有料道路。
真ん中の「北軽井沢」と標識のある道路はそこからは舗装が切れ、ガタガタ道になっていました。そこを15分ほど行くと東急不動産の現地案内所がありました。

さっそく案内してもらうと、道沿いの区画は全部売約済みで、空いているのは4メートル幅の私道が付いた200坪の土地だけでした。坪単価3800円です。
2メートルほどの細い白樺やならや松の木が生えている明るい土地で、はるかに雄大な浅間山がそびえています。
遠くに見える山々、ほほをなでる高原の爽やかな風にすっかりそこが気に入った私たちは購入することに決めました。無理して高い都会の土地を買わなくても夏だけここで過ごすのも悪くないと思えたのは、野尻湖畔での数日の避暑生活の体験が大きかったと思います。

とはいえ、総額76万円はすぐに払える金額ではありません。確か2年か3年の月賦という契約にしたと思います。
土地さえあればテントでキャンプしてもいいしね、と言う私たちの会話を聞いて、案内所の方が言いました。
「近くに廃止になったキャンプ場があって、そこで不要になったバンガローを安く売っていますよ」と。
さっそく案内してもらうと赤い三角屋根のバンガローがいくつも並んでいました。
どれも6畳一間で、入り口の半畳分が土間で、畳が5.5畳分敷いてあります。
それを現地まで運んで、ブロックで作った基礎に据え付けまでして5万円と聞き、それも買うことにしました。
当時のテントはとても高価で、それに近い金額なのを知っていたからです。

こうして翌年の夏、初めての夏休みをこのバンガローで過ごすことになりました。