たいていの団地がそうであるように、晴海団地も2所帯が一つの階段を使うようになっていました。
うちの真下が101号室。その隣は102号室で40代後半くらいの女性が一人で住んでいました。ほかに家族はいないようでしたが、時折初老の男性の姿が見えました。
知的な感じの美人だったので、近所では暗黙の裡に多分「お妾さん」と思っていました。

長女が2,3歳の頃、外遊びが好きでよく一人で階段を降りて行っては、向かいの5号棟との間にあるお砂場へ遊びに行っていました。
うちの窓からはよく見えるので、生まれたばかりの長男の世話をしながら、また翻訳の仕事の傍ら時々外を見ては確認していました。長女はとても活発な子で、気の強い所もあり、砂場で他の子のおもちゃなどを勝手に取り上げてしまう時がありました。
外で子どもの泣き声が聞こえると「うちの子が泣かしたのかも」と慌てて窓からのぞくのが常でした。(うちの子が泣かされたのでは?と思ったことはありませんでした。笑

向かいの5号棟には娘と同い年のモモコちゃんというおとなしい女の子がいて、よくおばあちゃんとお砂場へ来ていて、うちの長女とも仲良しでした。子育てと仕事で忙しい私は時々窓から眺めるだけでなかなかついて行ってやれません。
モモコちゃんのおばあちゃんは、それを知っていて、「私が一緒に見ているから大丈夫ですよ」と言ってくださり、本当に有難かったです。

102号の女性もうちの長女を可愛がってくださり、部屋に入れて遊んでくださったりして娘もとてもなついていました。
赤ちゃんがいてはなかなか外出も出来ないでしょうから、私が預かって上げますからご家族でお出かけになったら?とも言ってくださり、長男を預けて一家で出かけたこともありました。

ある時は長女が遊びに行ったままお昼近くなっても帰って来ないので迎えに行くと、「私がお昼に取ったお寿司の出前を見たら”食べたい”と言うので、今上げちゃったところです」と言われ大慌て。急いで家に帰りお盆にランチを用意して届けたこともあります。
平謝りに謝り、長女をきつく叱ったことは言うまでもありません。

その頃団地には駐車場がなく、うちの中古車はその方の窓の外に停めるしかありませんでした。もちろんご迷惑を詫び、それを快く受け入れてくださっていました。
ろころがある日フロントグラスに「迷惑駐車禁止」と大きく書かれた貼り紙がしてありました。
管理人がいるわけでもないので、どこへ聞きに行ってよいかもわかりません。
同じことが3回ほどありました。

102号の女性も「誰でしょうね?そんなことするの。うちは全然かまわないのよ」と言ってくださいます。

そんなある日、その女性がうちの子に「○○ちゃん、おばちゃんが編んであげた手袋どうした?」と言うのを聞いてびっくりしました。
全然知らなかったのです。
「手袋頂いてたの?ちゃんとママに言わなければだめでしょ?どこへやったの?」と聞いても娘は思い出せないらしく返事をしません。

私は申し訳なくて少しきつく娘を叱りました。
「何ですぐママに知らせないの?!しかも、なくしちゃうなんて!」
娘は大声で泣き出しました。私はどうしてよいか分かりません。

「いいのよ、いいのよ。また新しいのを編んで上げるから」

と、そんな日々が1年ほど続きました。

そしてある日のこと、用事で外へ出ようとドアを開けると、階下から声が聞こえて来ました。

例の女性が、5号棟のモモコちゃんに話している声です。
言葉は忘れましたが、うちの娘の悪口雑言でした。あの子は大嫌い、モモコちゃんのほうがずっとずっといい子だから可愛いよ、とも言ってました。
私は心臓が止まりそうなほどびっくりして、そっとドアを閉め、玄関に立ち尽くしました。あまりのショックだったのです。

娘には「もう2度と下のおばちゃんの所へ行ってはダメ」と言い、出来るだけ外へは出さないようにし、出る時は必ず付き添うことにしました。
日増しに彼女への不信感はふくらんで行き、彼女が5階の若い奥さんと仲良かったのを思い出し、ある日思い切って5階のお宅を訪ねました。

すると「待ってました」と言うように招き入れてくれて、一緒にいたお母さんと2人で堰を切ったように話し始めました。
いつ言おうかと思っていた、と言うのです。

全部が嘘でした。
車の貼り紙も彼女がしたことでした。
赤ん坊を預かったのも、いやなのに押し付けられたと、わざと私たちが出かけている間中外に抱いて出ていて、出会う人みんなにいかに迷惑しているかと話していたそうです。
お寿司も彼女の方から、食べろ食べろと言ったのだそうです。

手袋の話も嘘でした。もらってもいないものを「どこへやった?」と責められて泣き出した娘が急に可哀想になりました。

彼女は娘を小さい頃に亡くしていたのだそうです。
私の家が子どもも2人いて、車まで買って羨ましくて仕方なかったのだそうです。
それで口惜しかった、のだと。

まだ人生経験の浅い25歳だった私は、気の毒と思う余裕はまだなく、生まれて初めての信じていた人から裏切られた経験は大ショックでした。
そしてそれと同時に湧き上がって来た猛烈な怒り。
自分だけならまだしも、娘をダシに使われたことに腹が立ったのです。

娘には2度と階下のおばちゃんの家に行っては行けない、と言い聞かせ、その日のうちに手紙を書きました。つとめて丁寧な言葉を使い、これまでの娘への数々のご親切への感謝とお礼の言葉を述べ、今後はご迷惑になりますからどうぞ娘のことは構わないで頂きたいこと、間違って娘がブザーを鳴らしても決してドアを開けないでください、と書いて封筒に入れ、玄関のポストへ入れました。

出来るだけ出合わないよう気を付け、出会いそうになるとうまく避けているうちに、いつの間にか彼女はどこかへ引っ越していなくなりました。

ところがびっくりするような後日談があるのです。これは次回に。