長女が生まれたのは昭和32年10月。


丁度東京タワーが作られていた、あの映画「ALWAYS3丁目の夕日」の頃でした。
力道山のプロレスの試合があると、テレビのある家に近所中が集まって一緒に見ていました。
テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機が「3種の神器」と呼ばれ、ボーナスが出たらそのどれかを買ってそろえて行くのが楽しみだった時代です。

我が家が始めた新しい仕事はかなり良いお金になりましたから、夫は張り切って仕事を持ち帰って来ました。


うっかり親切心から手伝ったのが運の尽き。こいつは使えると思った夫は私のことも計算に入れて、同僚の手伝いではなく、直接仕事を受けるようになっていたのです。



当時のテープレコーダーは今では見ないリール式。

セリフの長さを合わせるために英語のセリフをテープから聞きながら、口では日本語をしゃべって長さを合わせて行くのです。


一日中家の中でカチャカチャというテープを止めたり進めたりの音が響いていました。
この音合わせのことを「シンクロ」というのですが、あのシンクロナイズドスイミングや共時性の意味「シンクロニシティ」と同じ「同調」という意味ですね。
それを未だに声優さんがその場で長さを合わせていると信じている人がいるので驚いてしまいます。よく考えればそんなこと到底不可能と分かると思うのですが、それほど地味で目立たない仕事だったということです。

そう言えば声優さんの仕事自体が当時はまだ日の目を見ない地味な仕事でした。
アニメが盛んになったお陰で声優という仕事が表に出るようになり、中にはアイドルになる人まで出て来る時代になりました。
今でも覚えている声の良い声優さんに大平透さんとか納谷五郎さんとかがいました。
納谷五郎さんはうちで長く手掛けた「マイク・ハマー」という私立探偵ものの主役の声をなさっていてましたが、もうかなり前に亡くなられましたね。
そう言えば最近有名な声優さんの死が報じられることが多くなっている気がします。
皆さん、もうそういうお年頃なのでしょうか。

3種の神器は我が家で最初に買ったのは商売道具だったテレビ。そして同時に洗濯機でした。二つのゴムのロールの間に洗ったものを挟んで手回しハンドルで絞る、という最初のタイプです。これでどんなに洗濯がラクになったか知れません。

ただシーツは四つ折りに畳まなければ干せませんでした。


まだ排気ガスの規制などなかった時代。前の大通りを走る車の煤煙がひどくて、ベランダの手すりが真っ黒になるので、シーツを広げて干すと汚れてしまうからです。