1年ぶりに板橋区からまた住み慣れた中央区へ戻って来られて、住まいも最新式(当時は!)となって嬉しかったですが、それ以上に嬉しかったのが実家が近くなったことでした。



今は晴海に地下鉄の駅まで出来ているようですが、当時は東京駅の丸の内南口からと八重洲口から「晴海埠頭行き」の都バス2系統しかありませんでした。



丸の内行きは晴海通りを真っ直ぐ有楽町まで行って右へ曲がるルート。
八重洲口行きは勝鬨橋を渡るとすぐに右折して、聖路加病院の裏手を通り、実家のすぐそばの鉄砲洲で右へ曲がって越前堀から亀島橋を渡って真っ直ぐ八重洲口へ行くルートでした。

ですから実家へはバス1本で15分くらいで行けたのでとても便利でしたし、途中に聖路加病院があるので自然と妊娠の検診、そして出産はそこに決まりました。
夫の通勤も銀座で地下鉄に乗り換えるだけでとても便利になりましたが、当時はまだ勝鬨橋が開橋していたので、大型船舶が通過する時は大渋滞が起きます。
それでかなり早い時期に開橋はなくなったのですが、国際見本市や、その会場でのモーターショーが行われる時などはやはり大渋滞になります。
丁度日本が一気にモータリゼーションの時代に突入した頃でしたから。
そのためその後まもなく交通の邪魔になるということで都電は廃止になったのです。

長女を出産したのはその年の10月でした。

我が家の真下に当たる101号室の方と予定日が近かったので一緒に保健所の母親学級などに通って親しくなり、その後ずっと家族ぐるみでのお付き合いが続きました。


そして2日違いでお互いに無事出産。その方は麻布の方の病院で男の子、うちは女の子でした。

初めての検診で病院へ行った時、受付に高校時代の友達がいてお互いにびっくり。彼女は立教大学へ進学したので、その関係で聖公会の聖路加へ就職したようです。
出産は夜中だったので、まだうちの家族が来る前に真っ先に赤ん坊の顔を見に来てくれたのはその彼女でした。その時の感激がよほどのことだったようで、その後会う度に何年も後までその時の感動を言ってくれたものです。